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イタイ-青春厨症候群-  作者: 師走
第一章 青くして死ね
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side:森本潤也1 & 士道歩3 & 林屋倫子2


 鷺橋団地、


 この区域は元々広い公園だったのだが、その敷地の半分を使って高層の賃貸住宅を建てられてできた場所だ。多く夕方のこの時間には家族の談笑する声や、テレビ番組の音が聞こえてくる。

 そんな賑やかな中にただ一つ、明かりも点けず、まるで周囲の賑わいに委縮するようにひっそりと静まり返る部屋があった。

 三階の真ん中辺りにある部屋で、表札に書かれた文字は『森本』。


「はぁはぁ……」


 カーテンを閉め切った部屋には、布の隙間からオレンジ色の光が淡く差し込み、それが辛うじて彼の姿を表している。


 リビングの小さなソファの上に座り、毛布で全身を覆ってまるで何かに怯えるようにガクガクと震えている。毛布の隙間から覗く彼の瞳には、二重に鍵のかけられた玄関の扉が映っている。


 事件以降の彼の、森本潤也の一日は基本的にこれだ。部屋の中に閉じこもり、誰も入ってこないように扉を見張る。碌に食べ物を口にしていないため、この三日間で彼の顔色はかなり酷くなり、顔の肉が減ったようにも思える。何故このような事をしているかといえば、ひとえに恐怖からだ。


 ピーンポーン


「ひっ!」


 突如鳴った来訪者の存在を告げる音に、森本の体はビクンッと跳ね上がる。恐怖で焦点が定まらない目でドアをジッと見つめる。すると、来訪者は何を思ったのか、インターホンを連打し始めた。


 軽快な音が部屋の中に反響して彼の耳を刺激する。


「止めろ……」


 追い詰められた精神状態の彼には、その音すらも恐怖を煽るものでしかない。


「くっ……」


 とうとう堪え切れず、森本は毛布を被ったまま玄関に向かう。ドアスコープから来訪者の姿を確認すると、ドアの向こうに立っていたのは見知らぬ男だった。


 自分とさほど変わらいほどボサボサの髪、その隙間から覗く鋭い目付き悪人面、足が悪いのか右手で松葉杖を付いている。


「森本潤也だな」


 すると、来訪者は彼が玄関に近付いたのを察したのか、インターホンを押すのを止めてドア越しに問いかける。


「だ、誰だ!」

「士道歩。お前のとこの学校から依頼されて集団自殺の調査をしにきた、ただの私立探偵だ」

「た、探偵?」


 探偵が事件の調査だなんて、まるで映画や小説のようだと森本は考えた。その思考を察してか、士道と名乗る男はこう続ける。


「私立探偵が自殺の原因調査をすることに何か不都合があるか?」


 そうか。世間ではあのおぞましい出来事は『自殺』として扱われているのか。しかし、彼は知っている。あれが自殺なはずがない。目の前で見ていた自分がそれを一番よくわかっていた。


「そういうわけだ。お前の話を聞かせてもらおう」


 すると、二人を隔てていたドアが突如として開いた。急にドアが開いたことで、彼は思わず腰を抜かして倒れる。


 一方探偵は、そんな彼を蔑むわけでも憐れむわけでもなく、ただ見下ろしていた。


「邪魔するぞ」


 ◆


 数時間前、三年二組の担任教師、森本潤也にメールでの連絡を試みたが、返事がないのを切っ掛けに、士道は森本に向かうことにした。本来なら、勤務先である学校に住所を確認するところだが、今回に限ってはその必要はなかった。


「まさか、住所を晒されているなんてな」


 捜査の一環としてアノニマスの投稿を閲覧していたところ、偶然、森本潤也の住所を示す書き込みが見つかったのだ。調べてみたところ、どうやらごく一部の人間に彼はかなり嫌われているらしい。


「一応削除依頼は出したが、受け入れられるかは分からんな」


 元が炎上前提のサイトだ。管理人がこれを聞き入れるとは思えない。


 ひとまず、褒められない方法とは言え自宅を突き止めたことで士道は森本の家に向かった。


 ピーンポーン


 一度インターホンを押してみたが出る気配はない。留守の可能性もあったが、少し考えた挙句士道はインターホンを連打するという選択肢を取った。


 近隣住民に悪いと思いながら、ひたすら連打を続けてた結果、扉の前に人の気配を感じて手を止めた。


「森本潤也だな」

「だ、誰だ!」


 返答はすぐに返ってきた。その声は妙に上ずっており、扉の前の彼が酷く怯えているのが分かる。


「士道歩。お前のとこの学校から依頼されて集団自殺の調査をしにきた、ただの私立探偵だ」


 士道はあえて敬語を使わない。こういう手合いには強気の態度を取った方がうまくいきやすい。姿は見えなくても、相手の困惑する姿が感じ取れる。士道はその隙に懐から針金を取り出し、ドアノブに差し込む。


「た、探偵?」

「私立探偵が自殺の原因調査をすることに何か不都合があるか?」


 わざわざこんな事を言ったのは、相手の探偵のイメージが恐らくフィクションの世界の名探偵だと感じたからだ。士道は映画や小説に出てくるような名探偵ではない。これは彼の探偵としてのスタンスであり、同時に嫌悪する名探偵と一緒にされたくないという個人的な感情でもある。


「そういうわけだ。お前の話を聞かせてもらおう」


 そう言うと、ピッキングによって解錠した扉を思いっきり引っ張った。

 姿を現した男は、痩せた不健康な男だった。自分と同じくらい整っていない髪、そこから覗くのは猛獣に襲われていた小動物のように弱弱しい目、そしてその顔に浮かんでいたものを見て、士道は少しだけ表情を崩した。


「邪魔するぞ」


 礼儀も何もない挨拶だったが、定型文として口にして応答を待たずに敷地を跨ぐ。


「お、おい!」


 勝手に上がり込んだ士道を森本が制止する。しかし、士道はそれを無視して玄関の段差に座り込んだ。


「な、何なんだお前は」

「さっき名乗っただろう。ただの私立探偵だ」

「ふ、不法侵入だ!警察に……」

「いいのか?お前、このままだと死ぬぞ?」

「!」


 士道のその発言に、彼の顔にはっきりと動揺が表れた。そこで士道は畳みかける。


「お前はあの日、何を見たんだ?一体何にそんなに怯えている?」

「っ!」


 士道の言葉で、その光景を思い出したのか、森本が再び恐怖に駆られたように頭を押さえて激しく呻く。その様子を見て、士道はため息を吐いた。


「分かった。今日はもう帰る」


 今は話を聞ける状態ではないと判断し、士道は立ち上がる。狼狽する森本の横を通り抜けて部屋を出ると、懐から一枚名刺を取り出して玄関に落とす。


「また落ち着いたら話を聞きに来る。じゃあな」

 そう言って士道はその場を後にした。


 ◆


 森本の部屋を出ていき、そのまま階段を下りて松葉杖の男は消えていった。


「なんか凄い事になってきたわね」


 一部始終を見ていた倫子はそんな感想を漏らした。


 アノニマスの事を記事にまとめようとしたものの、ワイドショーに先を越されてしまった彼女は別の情報を得ようと森本潤也を取材に来たのだ。


 彼女もまた、ネットに晒されていた彼の住所を見てここに辿り着いたのだが、先に来ていた謎の男を発見し、つい隠れてしまったのだ。


「ここからじゃよく聞こえなかったけど、確か探偵とか言ってたわね」


 現実にいる探偵といえば、浮気調査や素行調査、企業の信用調査等を行うものだが、本当に事件を解決するような探偵という事だろうか。しかし、依頼を受けてとかなんとか言っていたような気もする。


「こっちを追ってみた方がいいのかしら」


 この場に茂網がいれば彼に森本潤也の取材を任せて、自分は探偵を追うという事ができるのだが、残念なことに今日彼はいない。


「全く、この取材を提案したのはあんたでしょうが……」


 この場にいない後輩に文句を言いながらも、視線を部屋と探偵に行き交わせる。


「今回は……こっち!」


 迷った挙句、彼女は探偵を追って全速力で走る。足を怪我している彼に追いつくのは、女性の倫子にもそう難しくなかった。


「ちょっと失礼します」


 出口に先回りした彼女は、探偵の前に立ち塞がった。


「なんだ?」


「初めまして、私は週刊声旬の林屋倫子です。少しお時間よろしいですか?」


 そう言って倫子はとびっきりの営業スマイルを彼に送る。絶世の美女というほどではないが、そこそこ綺麗な顔をしているという自覚のある彼女は、男性の取材相手にこういう手をよく使う。しかし、探偵はにやけ顔一つ見せず、むしろ顔をしかめて露骨に不機嫌そうな態度を取る。


「雑誌記者が俺に何の用だ?」


 険しい顔で威嚇する松葉杖の男。しかし歴戦の記者―――といってもまだ入社四年目だが―――である倫子はひるまない。


「先程、森本潤也さんの自宅を訪ねていましたよね。彼とはどういった関係で?」

「チッ……今日会ったばかりだ」

「なるほど。ではあなたは森本潤也氏に今日初めて聞き込みをしたんですね」

「お前、どこまで聞いてたんだ?」

「あなたが探偵ってところしか聞こえませんでした。ですのでもう少し詳しい話を聞けたらと思いまし……」

「帰る」


 探偵は倫子の横を通り抜けて去ろうとする。


「あ、待ってください!」


 それを受けて、彼女は思わずその手を掴んだ。それに対して振り返った探偵は、憎悪すら感じさせる顔で倫子を睨みつけた。


(あれ?)


 そこで彼女はあることに気付いた。

 この男の顔、どこかで見たことがある。


「放せ」


 かなりイライラした様子の彼は、乱暴に倫子の腕を振りほどく。その際に少しバランスを崩したがこけることはなく、そのまま歩いていく。


「あ、ちょっ!」


 追いかけようとするが、急に振り向いた彼が倫子に指をさしてこう告げる。


「いいか。俺は名探偵と記者が嫌いだ!分かったら二度と話しかけるな」


 ほとんど恫喝に近い強い語彙で倫子に言い放った。


「……」


 威圧に負けた訳ではない。ただ彼の口にした名探偵という言葉に妙な引っ掛かりを覚えて、彼女はその場を動くことができなかった。

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