side:士道歩 1
『ようやく生徒三十八人全員が運ばれました。い、いったい彼らに何が起きたというのでしょうか?』
七月二日正午、冨羽市の住宅街の一角、古びた二階建ての建造物の一室で、一人の男性がテレビを見ていた。
ゴミ捨て場から拾って来たのかと思うほどに埃を被った二人掛けのソファに腰を落ち着け、不安定な肘掛けの上に奇跡的なバランスで置かれたコーヒーカップ。それを時折持ち上げては静かに中の液体を啜る。
男は髪を碌に整えず、寝癖は放置して伸ばしっぱなし、さらに目の下にできた隈が、ただでさえ悪い男の目つきを一層際立たせている。
当然そんな人間の部屋が整理されているわけもなく、そこら中に何かの資料や本が転がっている。そんな中一ヵ所だけ、埃一つなく綺麗に保たれた場所があった。
高そうなアンティークのテーブル、そしてその上に置かれたコーヒーミルである。よほどコーヒーが好きなのか、テーブルには何種類ものコーヒー豆が瓶に詰めて綺麗に並べられている。
『心理学者の飯田さん。先程の映像を見てどう思われましたか?』
いつの間にか画面はスタジオに切り替わっており、司会の女性が席に座る眼鏡をかけた大人しそうな初老の男に質問をしている。
『そうですね。私は精神科医でもあるのですが、その観点から見ても彼らの行動は異常ですね。自殺する人間というのは何らかの精神疾患を抱えている場合がほとんどです。ある出来事をきっかけに、視野狭窄、つまり物事に対する視野が狭まってしまうことですね。そういう状態に陥って死ぬしかないと考え、自殺に至ってしまうのです。ある日突然自殺を思い至る何事はなく、必ず兆候が見られるのです。しかし、周囲の誰もそれを見つけることができなかった』
雄弁に語る飯田の話を、テレビの前に座る男はコーヒーを飲む手を休めて真剣に聞いている。
『さらに自殺の状況についてですが、それについてもあり得ないんですよ』
『それはどういう事でしょうか?』
『自殺に至るという事は、自分の現状に満足していないという事です。先程申し上げた通り、視野が狭まり、死ぬという選択肢しかなくなる。こうなってしまう人間は大抵自分の事が嫌いです。だから他人にその姿を見てほしいなんて普通は考えないんですよ。しかし今回は他人の前、それも授業中という目立つ状況で自殺しています。これは明らかに誰かに見せつけるという目的が見えます。これはカルト宗教の集団自殺などに通じる……』
そこまで見たところで、男はテレビの電源を切った。
「大した情報にはならなかったな」
先程まで随分真剣に聞いていたにも関わらず、そうバッサリと切り捨てて、詰まらなさそうにリモコンをソファの上に放り出した。
彼としては今日の依頼のために少しでも事件の情報を集めておきたかったのだが、昼間のワイドショーなのだから、視聴者が理解しづらいような専門的な話を期待する方が無駄であろう。
スマホで一度時刻を確認し、ソファの横に立て掛けた松葉杖を手に取り、左足に力を込めて立ち上がる。体の不自由さを感じさせない滑らかな足取りで部屋を出ると、松葉杖を肘で抑えて器用に体を支え、慣れた手つきで鍵をかけた。
「これから、忙しくなりそうだ」
彼が背を向けた扉には手製の木の看板が掛けられていた。そこにはこんな文言が筆で書かれていた。
『士道探偵事務所』