7=限りなく確信に近い疑い
Virdolプロジェクト・7期生は、三人で構成される。『ラッキーセブン』ということもあって、ベテランの域に足を踏み入れている1期生と並んで、広報活動に注力してVirdolプロジェクトの知名度を上げる役割を担っていた。既に5期生デビューの時点でVirdolプロジェクトはVTuber界大手と称されるくらいには知名度が上がっていたが、7期生は会社内外に関わらず界隈全体を盛り上げる、という仕事を担っていた。
聴き心地のいい低音ボイスが特徴的で、三人の中でも一番年長、リーダー的役割を担うお姉さん、時雨リョウカ。3月22日デビュー。キャラクターデザインは黒髪ロングの正統派で、ポップながらきびきびとしたダンスを得意とする。一人でダンスパートを任されることも多く、歌の上手い子と組んでライブをすれば、たちまち神回に化ける。
年齢は真ん中だが、天然な行動や発言が多く、おっとりした話し方が特徴なムードメーカー、晴川みなも。5月5日デビュー。キャラデザインはオレンジを基調とした毛先が水色の髪に、雫のような瞳。ぼうっと物思いにふけることが好き、とプロフィールにもあるが、芯はしっかりと持っていて、時々リョウカちゃん以上の頼もしさを見せる。歌やダンスを人並みにこなしながら、作詞の才能を開花させオリジナルソングもいくつか発表している。Virdolプロジェクトの他のメンバーに積極的に楽曲提供していることでも知られている。
そして、二人の間にデビューを果たしたのが、虹ノ宮るりだ。
「……っ!」
デビューは時雨リョウカ、虹ノ宮るり、晴川みなも、の順だが、実際はるりちゃんの高校入学に合わせて二人のデビュー日が前後に決まったと言われている。どういう思惑があったのかは今では分からないが、リョウカちゃんとみなもちゃんにある程度設定というかキャラクターがあり、るりちゃんは自然体路線で行くことが決まっていたから、間にるりちゃんを挟んでバランスを取ろうとしたのだろうと、私は思っている。
るりちゃんのそうした活動方針が認められたのは、彼女がまだ本当の自分とはズレのあるキャラクターを演じることが難しいこともあっただろう。だがそれ以上に、会社側にそれを認める寛容さがあった。逆に言えば、会社の人たちを認めさせるほど、るりちゃんには光るものがあった。ファン目線で、私はそう思う。
「いや、まさか……ね」
自分ではそう口にしつつも、私は決定的な証拠を目の当たりにしていた。
これまで私が里奈ちゃんの声を聞いて、もしかしてるりちゃんの中の人なんじゃないかとか、やたら匂わせてくるなとか、邪推することはいくらでもできた。ただそれはあくまで、『目の前にいるのはるりちゃんかもしれない』でとどまっていたからであって、『いやそんなまさかね』という接尾語がくっついてこその話だった。それが今はどうか。私の邪推は全部『やっぱりるりちゃんで間違いなかったのか』という話になるし、全て『まあ虹ノ宮るり本人なら自然な話か』と納得できてしまう。里奈ちゃんに対する私の印象が、がらりと変わる。
「(いいのか……これで)」
VTuberにとって中の人がバレるのは一大事だ。私自身、それほどネットに詳しいわけでもないので、どういう経緯でいわゆる身バレというやつが進行してゆくのか分からないが、声をあからさまに作っていてもたぶん普通にバレる。特にるりちゃんはほとんど偽ることなく、言ってしまえば中の人の素をかなりオープンにして活動していたがゆえに、いざ証拠を一つつかまれると芋づる式にバレてしまう。普通ならVTuberにとっての中の人バレというのは、すなわちVTuber生活の終わりに直結する。あるいはリアルの身の危険にすらつながる。
つまり、里奈ちゃんは私にあえて、自分が虹ノ宮るりであることを見せつけているのだ。よくよく考え直してみれば、いろいろと不自然な行動が多かった。私がリュックにつけていたるりちゃんのキーホルダーを見られたあたりから、その傾向が加速したような気がする。
「(でも……どうして?)」
どうして、自分から正体を明かすようなことをしているのだろう?気づいてほしいのだとしても、そこから私にどうして欲しいのだろう?
るりちゃんのスマホに手を伸ばして、あと数センチのところで手が止まる。私は、突っ込んではいけない沼に足を入れている気がする。首筋を冷や汗が伝う。
「(……違う)」
私はこんなことをしたいんじゃない。虹ノ宮るりが実際誰なのかなんて、探りたいわけでもない。そのはずなのに、気になって仕方ない。あの時、私の背中を押してくれたのは本当にあなたなのか――。
「ふー。ありがと、気持ちよかった」
「う……うん」
里奈ちゃんが戻ってきた時、私は彼女のスマホから距離をとっていた。それ以上見るのが怖かった。私の気持ちも知らずに、里奈ちゃんは無造作に置いてあったスマホを手に取り、素早いフリックでメッセージを打ち込んだ。さっきのお誘いの返事をしているのだろうか?
「……じゃあ、入ってくるね」
「うん。いってらっしゃーい」
この気持ちをどうすればいいんだろう。あなたは虹ノ宮るりですか、と尋ねていいと言う自分と、やめておけと言う自分、二人が激しくせめぎ合っている。卜部紫という一人の一般人の女としては、聞いておきたい。こんなに身近な人間にVTuberかもしれないという可能性が出るだけでも大事だし、単純に興味がある。好奇心がそうしろと言ってくる。けれど私は、彼女のデビューから引退まで応援し続けた、るりちゃんオタクでもある。オタクとしての私は、虹ノ宮るりというキャラクターを崩すような真似は絶対にしてはならない、と釘を刺してくる。
るりちゃんが引退した後、VTuberファンを公言するためだけに漠然といろんな人の配信を漁り続けた。新しい夢を見つけたとか、リアルとの両立が難しくなってリアルへの専念を決めたとか、様々な理由で引退を決めたVTuberを見てきた。そうした別れを何度も経験して、分かったことがある。引退すれば、「そのキャラクターとして振る舞う権利」は自分のもとから離れる。たとえ府中里奈が虹ノ宮るりと同一人物だとしても、彼女が虹ノ宮るりとして振る舞うことはもう許されない。里奈ちゃんの行動は、別にその規約に抵触するわけではない。「わたしはあの虹ノ宮るりです」と言おうが、直接言わなくとも匂わせようが、少なくともはっきりと証拠を見せない限りは何のタブーにも触れない。でも、なのかだからこそ、なのか。里奈ちゃんのここ最近の行動は、何らかの意味があるように思えて仕方ないのだ。お湯に浸かっている時も、ずっとそんな思考に沈んでいた。
「(……そうか)」
お風呂から出る直前で、私は一つあることに気づいた。里奈ちゃんは、何か私から尋ねてほしいことがあるのではないか。そして私が虹ノ宮るりについて、知りたいことと言えば一つだ。
「……あのさ」
「うん」
「この前、VTuberの話したじゃん。知ってると思うけど、私、虹ノ宮るり――るりちゃんのこと、ずっと追っかけてて」
「そうだったね。あのキーホルダー可愛いよね」
「でも……ずっと、気になってることがあって。ま、こんなこと里奈ちゃんに言ったって仕方ないんだけどさ」
「うん。ま、わたしもるりちゃん追っかけてたし、考えてること同じなのかな、とか思ったり」
これだけ白々しい会話をしているというのに、里奈ちゃんは一切隙を見せなかった。おまけに自分も追っかけだったとまで言って。いったん自分の中で、限りなく確信に近い疑いが得られると、全てが胡散臭く思えてしまう。それでも、言いたかったこと、聞いてみたかったことを私は口にした。
「るりちゃんって、引退した時、ネガティブな理由じゃない、としか言わなかったじゃん? あの時、本当はどういう理由でやめようと思ったのか、知りたいな、なんてね」
私がそう言葉を発した途端、あたりの空気が凍りついた。触れてはいけないところに触れてしまったと、私はすぐに気づいた。里奈ちゃんの顔が、はっきりと強張っていた。