6=お泊まり
「せっかくだし、卜部さんの家に遊びに行きたいんだけど」
里奈ちゃんにそう言われたのは、そろそろゼミ配属から一か月経とうかという時だった。
「えっ」
「ダメ?」
「あ、いや……別に、大丈夫なんだけど。ちょっと狭いし、もう一人入れようと思ったら片付けないといけないから」
「なるほどね。今日じゃなくてもよくて、その、もしよければって感じなんだけど」
「全然大丈夫。今日今からはちょっと厳しいかもってだけだから」
「ホント? じゃあまた行けるようになったら教えて?」
ついに来たか、と思った。鞍馬ゼミは例年女子が少ないこともあって、女子どうしのつながりが強いらしい。私も里奈ちゃんも下宿勢で気軽に誘えるからか、すでに四年生唯一の女性である財部先輩と一緒に、三人で何度かご飯に行っていた。私と財部先輩、里奈ちゃんと財部先輩の組み合わせも時々。ただ、里奈ちゃんと私の組み合わせでご飯を食べたり一緒に行動したりということは今までなかった。
「(るりちゃん……あ、いや里奈ちゃんと……)」
楽しみ半分、不安半分だった。楽しみというのは単純に、家に行きたいと言ってくれたことに対する嬉しさからだ。今は他人を心地よく迎え入れられるような状態ではないけれど、相手が人当たりのいいゼミの同期の女の子なら、掃除にも力が入る。裏の顔とか正体とか、そういう話は抜きにして、里奈ちゃんとはこれからも仲良くしたい。そして不安というのはもちろん、虹ノ宮るり関連のことだ。
私は本来がだらしない人間なうえ、女子校という特殊な環境で育ったために、基本的に片付けるということを知らない。体育の後の授業が女性の先生担当だと、体操服やひどい時は下着まで教室の窓際にかけてあったりした。かく言う私も中学生の頃は恥ずかしがってきちんとカバンの中に押し込んでいたが、高校生にもなると男性の先生がほとんどいないことを理解していたので、同じように干すようになっていた。有名な私立女子校でも、全部が全部花園やら楽園のような環境ではない。そんな普通の子たちからすれば『異常』な環境で六年間過ごしたせいで、感覚はまひしてしまっていた。今一人暮らししている家も、だいたい服やら何やらが散らかっている。一度ゴミ屋敷になったらおしまいだという危機感はあって、食べ物飲み物のゴミは意識して片付けるようにしているから、呆れるほどひどくはないと信じているが、それでもお母さんがうちに来た時は毎回掃除させてしまっている。
「(ま……これも試練だと、思って)」
里奈ちゃんが来てくれる、ということがあっても、やっぱり片付けは億劫だった。それでもテンションが上がる音楽をかけてみたり、るりちゃんの歌枠を一時間しっかり聞き込んでみたり、ご褒美の前借りにちょっと高いコンビニスイーツを食べてみたりして、何とか里奈ちゃんを入れられる環境を整えたのだった。
* * *
「おじゃましまーす」
「どうぞー」
数日後、その日はやってきた。ゼミでいったん別れた後再会してみると、里奈ちゃんはすっかりお泊まりの用意をしてきていた。いつもより重たそうなバッグを背負う里奈ちゃんを見るだけで、私は少し感動さえ覚える。ついに家に友達を迎え入れて、お泊まりする環境を自分の手で用意できたということに。
荷物を置いて少し休憩した里奈ちゃんは、そのまま私と一緒に晩ご飯作りを手伝ってくれる。よっぽど気が向いた時しか自炊しない私にとってはそれ自体が久しぶりかつ新鮮だった。そして、一人暮らしを始める前の一か月くらいの間、お母さんを横に一人で作るのもめんどくさくない料理を教えてもらった時のことを思い出す。
「普段から自分で作ったりするの、料理?」
「まあ、ちょくちょくって感じかな。休みの日はちょっと手のかかるのも作ってみたり」
「料理、好きなんだ」
「まあまあってところかな?」
里奈ちゃんの手際はよく、正直定期的に来てもらってご飯を作るのを手伝ってほしい、と思うくらいだった。るりちゃんも時々自分でお弁当を作るくらいには料理が好き、と言っていたような。……いや、今るりちゃんの話は関係ない。でも里奈ちゃんの発した「まあまあ」のイントネーションは、完全にるりちゃんのそれと一致していた。ふとしたところで100 %クロだという証拠を目の当たりにしてしまうんじゃないか――そんな私がしても仕方ない心配をしてしまう。
一方で里奈ちゃん本人は楽しくて仕方がないようだった。大学入ってから何回か、友達の家に泊まること自体はやっているらしく、おそらく私のようなタイプの人間と同じ空間で同じ空気を吸う、という体験が新鮮なのだろう。
「(……ま、隣にいるのはただの『るりオタ』なんですけど)」
たぶんゼミの唯一の同期、という要素がなければこのお泊り会は実現しなかっただろう。里奈ちゃんとゼミというグループの中で一緒に過ごすことで初めて、私が案外後ろ向きな思考の持ち主であることを知った。だから何というわけでもなく、二十年も生きてきて今さらガラッと考え方やら性格を変えるのは難しいしやろうとも思わない。ただ、私と同じくらいのポジティブとネガティブのバランスを持つ子が宮の浦に多くいたのは事実で、だからこそそれが普通だと思っていた。里奈ちゃんが極端にポジティブで珍しいだけなのか、それとも里奈ちゃんくらいの人間も世の中にはたくさんいるのか、それはまだ分からない。
「……そういえば。私、里奈ちゃんと会ったのたぶん初めてじゃないんだよね」
「そうなの?」
「入試の合格発表の時、やたらはしゃいでる子がいたなって」
「あー……それわたしですね」
「だよね。顔があの時とそっくりだったし……」
その後もご飯を作り食べながら、里奈ちゃんとはいろいろ話をした。他の同期や先輩たちがいる環境ではためらわれるような話題も出た。合格発表の時のあの子が里奈ちゃんだという確認が取れて、世間は狭いなと思ったり。
「そういえば前に。VTuberの配信見るのが好きだって話してたけど」
「あー……あれね」
「具体的に誰推しとかあるの?」
この間と全く同じ質問。つまり私があの時適当な返事をしてしまったことを見抜いている。普段ほわほわしているようで結構抜かりない。これは正直に答えるべきか、それとも適当に思いついた子の名前を言うべきか。
「んー」
「リュックにつけてるラバスト、あれどっかで見たことある気がして」
「あー、るりちゃんか」
あれこれ考えていたが、結局尋問のごとく鋭い里奈ちゃんの質問に折れて、正直に答えた。これは公開処刑なのでは?いや、本人と決まったわけではないし、里奈ちゃんが私と同じただのるりちゃんオタクである可能性も少しはある。まだ諦めるには早い。
「あれだっけ、あの、Virdolプロジェクトとかいう……」
「結構詳しいんだ」
「まあね。広く浅くって感じだけど、一応知識はあるってところかな」
大嘘つきだ。るりちゃんはデビューして以降すっかりVTuberオタクになってしまったと公言していて、実際他の子の配信にも頻繁に出没していた。他の事務所の子の配信でコメントを残すこともしばしばで、当時の私と同じ高校生なのだとしたら一体いつ勉強していつ寝てるんだ、と言いたくなるほどだった。だいぶ白々しい会話になってきたなと思いつつ、とりあえず様子を見る。里奈ちゃんがどこで正体を現すか。
「わたしはVirdolの7期生の中だったら、どっちかというとリョウカちゃん派かなあ」
「へえ……」
「きっちり自分の世界っていうのを持ってて、しかもそれがかっこよくて。憧れる」
「確かにね……」
私はだんだん冷や汗をかき始める。聞けば聞くほど、虹ノ宮るりの特徴そのものだからだ。もう少し隠そうとしてくれ、とさえ思う。私はるりちゃんが活動していた頃、同期デビューの時雨リョウカという子とるりちゃんがてえてえ、もっと言えば百合営業に近いことをやっていたのを思い出す。さすがにるりちゃんが高校生だったからリョウカちゃんの家にお泊まりに行くなんてことはなかったようだが、それでも実は本当にデキてるんじゃないかと言うファンもいた。それぐらい親密だったのだ。
「お湯入ったみたい。先入る?」
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えて」
まるで自宅にいるかのように里奈ちゃんはくつろぐ。変に緊張されるよりかはそっちの方が断然いいのだが、私に対してどうも油断しすぎな気がする。そんなに私は心を許せる相手なのだろうか?そう考えている間にも、里奈ちゃんは浴室の方へ行ってしまう。
「時雨リョウカ、か……」
日にちはいくらかずれているものの、るりちゃんと同期デビュー扱いになっている二人は今も元気に活動を続けている。そういえばその二人の配信も最近ちゃんと見られてないな、と思っていると。里奈ちゃんが置いていったスマホが通知を受け取って点灯した。私は特に意識せず、そちらの方を見てしまった。
「……っ!?」
それはVTuberをはじめとした配信者にとってほぼ必須と言える通話アプリからの通知だった。何気ない日常会話の一部。送り主は、時雨リョウカ。
『@虹ノ宮るり るりは?明日の夜は空いてるの?』
私は心臓の鼓動が、死んでしまいそうなくらい激しくなるのを感じた。