5=優柔不断な私の背中
私は昔から、意志の弱い子だと言われ続けてきた。大学生になった今、自分でもそうだろうなと思ってしまう。とにかく、『自分で決める』ということをしてこなかった。
逃げていたわけではない。責任を前にして逃げ出していたとか、そんな高等な話ではない。自分で何か決めなくても何とかなってしまっていたから、癖を直さずにずるずる引っ張ってきただけだ。このあたりでは有名なお嬢様学校である宮の浦女子に入学したことすら、自分の希望からではなかった。お母さんがテストを受けさせてくれて、どうやら頑張れば宮の浦女子に届きそうだということが分からなければ、そもそも中学受験をすることもなかっただろう。
優柔不断、と言えば聞こえはいい。それも大してよくないだろうが、四字熟語で表現できるだけまだマシな気がする。実際はもっと、深刻な気がしてならないのだ。小学校の時から、新クラスになって自己紹介をする時も、席を立ったはいいもののそのまま固まってしまい、何も言えなくなるというのはもはやお決まりだった。特に紹介するほどの特別なことが自分にできるとは言えなかったのもあるが、仮にいくつか言いたいことを思いついたとしても、どれを言えばいいか、どれから言えばいいかが決められなかった。だが二度ほど担任の先生が自己紹介シートなるものを用意してくれて、その時は対照的にすらすらと書くことができた。「名前」「誕生日」「好きな食べ物」「苦手な食べ物」「好きな教科」「苦手な教科」「勉強以外で好きなこと一つ」「クラスのみんなに一言」――どれも私にとって答えは一つだった。卜部紫、2月6日、だいたい全部、セロリ(強いて言うなら)、算数・数学、図画工作・美術、本を読むこと、一年間よろしくお願いします。自己紹介シートがあった年は不思議と、初めて同じクラスになった子とそれなりに仲良くなれていた。逆にそうでない時は出鼻をくじかれて、ちょっと寂しい思いをしていた。
「……はあ」
お風呂から上がった私は、一人暮らしなのをいいことにパジャマもまともに着ないままぱたん、とベッドに倒れ込む。オートロックでセキュリティはしっかりしているマンションだけど、カーテンの閉め忘れとかに注意してね――一人暮らしを始める時にお母さんにそう言われたものの、神経質になっていたのはせいぜい一年生の夏までだ。一人暮らしの学生のために設計されたマンションで、そこそこ狭いせいで友達を呼んだこともないし、油断するとすぐベッドの上に脱いだ服をほったらかしにしてしまう。
自分で自分のことを決める意志力はなかったけれど、運はそれなりにあったように私は思う。中学受験をすることになり、塾に入ってからの成績は結局最後まで伸び悩んだが、何とか宮の浦女子に合格することができた。入学してからも、それなりに授業についていくことができた。
「……私が理系に進んでた世界線、ねえ」
中学生の時は何とかなっていた。高校に入ってから、どうにも上手く行かなくなった。女子特有のあれのせいかどうかは分からないが、体調を崩すことも増えた。成績も特に理系科目が壊滅的になっていった。定期テストや模試の成績を伝えるたびに、お母さんにはため息をつかれ、お父さんには気まずい顔をされたものだった。現国や日本史なんかは平均より少し上くらいだったくせに、物理やら化学やらになると下から五番目あたりをうろちょろする点数。高校二年生の最初に理系文系を選択するのだが、このまま理系に進んでも何もいいことはないと、ついに担任の先生に諭されたのは夏休みの三者面談の時だった。
「卜部さんの成績であれば、今から文系コースへ変わることは十分できます。どうしても理系学部を志望されるのであれば、私どもはそれに合わせた指導を致しますが、現時点では現役で合格するのは非常に厳しいと、申し上げざるを得ません」
思ったことは正直にズバズバと言ってくれる先生で助かったと、今だから思える。適当に濁されたり、頑張れば行けると言われていれば、そんなものかと従って、苦しんでいただろう。それにしてももうちょっと言い方ってものがあるだろ、とお母さんは憤っていたけれど。
逆にそこまで言われて初めて、私は自分自身についてちゃんと考えるようになった。夏休み明けから文転することを選んで、数学は得意だったこともあって、経済学部志望にした。るりちゃんのお悩み相談の配信で取り上げてもらったのは、そんな時だった。
『じゃー、次。バイオレットさん……るりちゃん、こんにちは。私はるりちゃんと同い年で、身近に感じる話も多いし、歌声が大好きなので、いつも楽しく聞かせてもらってます。……るりちゃんに相談です。私は今、進路に迷っています。やりたいことが特にないなと思ってしまって、そういえば昔からそうだったなと思い返して、自分が嫌になることの繰り返しです。この道に進みたい、というのがなくはないですが、それも決めた理由が上手く説明できません。その道に進むのに、自分が納得しているのかどうかも分かりません。けどそれ以外にはないような気もします。こういう経験は、るりちゃんや周りの人にありますか。もしあれば教えてください。それと、私の尊敬するるりちゃんに、背中を押してほしいです』
その配信のアーカイブは今でも見返せるし、高評価の数もちょくちょく増えている。私はるりちゃんのデビュー当時から追っていたから、すでにファンになって一年半くらいが経とうとしていた頃だった。
『……長くなるけど、大丈夫かな』
るりちゃんが珍しく言葉を選びながら進めた話は、そんな一言から始まった。るりちゃんが話をする時はいつも、事前に読んでいるわけではないのにすらすらとしたしゃべり方で、その聞き心地の良さがウリと言ってもよかった。そんなるりちゃんが言葉を詰まらせ選ぶのは、すごく真剣に考えてくれている証拠だった。
『わたしは……自分ではそんなに迷わずにここまで来たって思ってるけど、それでも他の人たちからすれば、まあまあ悩んでるように見えるのかなとも思うんだよね。わたしがこうしてデビューするまでにも、いろいろ道はあって。みんなに歌声を披露することも、何気ない日常を切り取って見せることもないわたしなんて、いくらでもあり得たかなって。わたしがおばあちゃんに歌を歌ってみせて、飽きるくらい褒められてなかったら――』
懐かしむような声が、ふとぴたりと止まった。画面のるりちゃんは笑っていた。全てを包み込むような、優しい笑みだった。とても十七歳がしているとは思えないものだった。
『思い出話、長くなりそうだから。先に結論だけ言おっかな。……わたしには、バイオレットさんほど悩んだ経験はない。ないけど、気持ちは分かる。そりゃ、ちゃんとこういう理由でこの道に進みたいです、って言えたらカッコいいけど。でも何となくこっちがいいと思ったから、みたいに直感に従うのも大事だと思う。VTuberじゃなくても、自分の歌を聞いてもらう方法はいろいろあるわけだけど、結局この道にしたのはたまたま見かけたからだし。もちろん直感で選んだ先に後悔があるかもしれないけど、その後悔は絶対マイナスにはならないと思う。それに、たまに後悔するくらいじゃなきゃ面白くないでしょ?』
それを聞いた当時の私は、はっとさせられたのをよく覚えている。言われてみればそういうもので、それほど特別でもないことなのに、自分一人では絶対にたどり着けなかった答え。担任の先生に、理系でやっていくのは厳しいと教えてもらった。自分でも薄々そうなんじゃないかと、少し思ってはいた。だからといって、文転するべきなのか、私には決められなかった。そんな私の進路の最終的な決め手になったのは、間違いなくるりちゃんだった。結局現役で無事に合格したけれど、文転してダメなら浪人の一年や二年くらいやってやる、と思えた。
『だから、今は自分の直感を信じてあげてほしいな。わたしは、そう思います』
るりちゃんがいなければ、今の私はいない。素直に私は、そう思う。私はあの時のるりちゃんの配信を見直して、それから眠りについた。