4=たぶん単推し、バレてます
「そうだ、卜部さん。VTuberって、興味あったりする?」
「えっ」
せっかくいい感じで酔っていたのに、一気に醒めてしまった。いやこの場合は醒めた方がいいのか。VTuberの一オタクをやってるファンが本人に話しかけられているのだから。そういう問題でもないか。
「……どういうこと?」
「いや、わたし人間観察とかが好きでさ。せっかく女子少ないとこに配属になったわけだし、こう、わたしなりの距離の近づけ方というか。迷惑だった?」
「え、いや、そんなことはないけど。むしろありがたいなって」
「よかった。高校までと違ってさ、大学生って距離の近づけ方よく分かんないでしょ? たくさん知り合いができる分、一人ひとりとのつながりは薄くなるし。だから合ってるかどうか怪しかったんだけど」
「間違ってないと思う。さっきも話してたけど、私そんなに大学で知り合いいるわけじゃないし、サンプルが少ないから分からないけど」
「なるほど、まあ……それはわたしも同じなんだけどね」
あまり飲んでいないのか、それとも付き合い程度にしか飲まないと言いつつ、お酒自体は強いのか。里奈ちゃんははきはきとしゃべる。
「それで、VTuberには興味あったり?」
「ん、まあそれなりには?」
「ま、そうだよね。最近は全く興味ないし見かけもしないって人の方が珍しいし」
「毎日どころか、どの時間も誰かしらが配信してたり動画上げたりしてるもんね」
「そうそう。ちなみに推しは誰とかあるの?」
出た。今の私にそれは致命傷だと思うのですが。
私にとっての推しは、虹ノ宮るり一人だけだ。私が大学に入ってすぐくらいのタイミングでるりちゃんは引退したが、私のVTuberそのものに対する興味自体が消えることはなかった。高校の時に出会ったるりちゃんという存在があまりにも私にとって心の支えになりすぎて、それを失って代わりを必死に探していた、ということだろう。だがどれだけるりちゃんより前にデビューした子を漁っても、アンテナを張って次々デビューする子たちをチェックしても、私が満足できる『るりちゃんの代わり』は見つからなかった。もちろんみんなるりちゃん以下だとか、そういう失礼なことを言うつもりはない。一人のVTuberをきっかけに沼にはまり、一生懸命に応援してきた一ファンとして、他のVTuberを貶めるようなことを言ってはならない。
だからと言って私の推しは虹ノ宮るりです、と言えばいいかというと、それはまた別の問題だ。もちろん目の前にいる府中里奈という女性が虹ノ宮るりの中の人とは何ら関係ないという可能性も、あるにはある。というか普通初めて声を聞いただけでそう確信するのは変態だけだ。だが、本当に中の人である可能性がある以上、推しですと言うのは告白に等しいのではないだろうか。私は同性の友達とは仲良くしていきたい派だが、友達以上の親密さを求めるつもりはない。たぶん。とまあいろいろ考えて、結局、
「まあ……いろいろかな」
どっちつかずの回答をしてしまった。私が考えている間に里奈ちゃんはトイレを出ていた。本当ははっきりと推しはあなたですと言いたかったが、仮に全然別人で何言ってんだこいつ、みたいな顔をされると死にたくなるので、言わない選択をした。すると里奈ちゃんもこれまた何とも言えない顔をして、そっか、と言ってきた。何かまずいことでも言ったのだろうか?
「ま、世の中にはいろんなVTuberいるしね。最近はあんまり単推しって人、いないのかな」
「そうじゃない?」
「そうだよね。……こんなとこで話し込むのもあれだし、また今度話そっか」
「ありがとう」
里奈ちゃんの言う『単推しの人は今時いない』というのは、おそらく正しい。SNSで同じるりちゃん推しの人のプロフィールを見ても、だいたい十個くらいの推しマークをつけている。私のように、アカウント名の後ろに半円状の虹マークしかない人は非常に珍しい。いないわけではないが、すごく少ない。
本当は聞きたいことがたくさんある。まだ里奈ちゃんがるりちゃんその人だと確定したわけでもないのに、どうしてあの時突然引退宣言をしたのか、引退の理由は何なのかと尋ねたかった。里奈ちゃんが自分の正体を明かしてくれなくてもいい、仮にるりちゃん推しの一VTuberオタクとして里奈ちゃんが振る舞ってきたとしても、るりちゃんの話をしたかった。
「……今、じゃないか」
けれど手を洗って、拭き終わってふと鏡で自分の姿を確認すると、我に返った。どうしてるりちゃんのこととなると、こんなに結論を急ごうとしてしまうのだろう。どうして我を忘れて行き過ぎた行動に走ってしまうのだろう。
「もっと準備万端な引退だったら、違ったのかな」
それは今も時々考えることだ。るりちゃんの引退はあまりにも突然だった。引退します、という発表から、最後の生配信までの時間はごくわずかだった。その間に心の準備ができたファンはどれほどいたのだろうか。せめてもっと、何か月か開いていれば、私のるりちゃんに対する思いはもっと違ったものになっていたんじゃないか。そう思う。虹ノ宮るりという一人の女の子が、すっかり過去の存在となってしまった今となっては、何を言っても仕方ないのだけれど。
「……せめてもっと里奈ちゃんと仲良くなってから。か……」
もやもやした思いを抱えつつ、それを悟られないようにと表情を元に戻して、私はトイレを出る。飲み会の時間はちょうど折り返しを迎えたところだった。里奈ちゃんとはテーブルが違ったこともあって、その日はそれっきり話すことはなかった。
「お疲れ様ですー」
四年生の先輩は後輩ができたということで嬉しくなったのか、みんなそれなりに飲んだらしかった。どうして迎え入れられる私たちの方が素面に近いんだろうな、と思いつつ、一本締めをして飲み会は終わった。その段階になっても、私の頭の中では虹ノ宮るりのことがぐるぐるしていた。
「……ふう」
いろいろあって疲れていたので、私はスマホをチャックつき袋に入れてそのままお風呂に入る。多少テストの成績が悪かろうが、落ち込むことがあろうが、るりちゃんの配信アーカイブを流しながらお風呂に入っていれば、上がる頃にはだいたいメンタルが回復していた。るりちゃんは歌声が何より特徴的だが、普段のしゃべる声も高すぎない、絶妙に聞いていて心地いい音域なのだ。だからこそお風呂でうっかり寝てしまわないよう気をつけなければならないのだが。高二の夏のるりちゃんのお悩み相談回のアーカイブを流しながら、身体を洗う。
『じゃー、次。バイオレットさん……るりちゃん、こんにちは。私はるりちゃんと同い年で、身近に感じる話も多いし、歌声が大好きなので、いつも楽しく聞かせてもらってます。……るりちゃんに相談です。私は今、進路に迷っています。やりたいことが特にないなと思ってしまって、そういえば昔からそうだったなと思い返して、自分が嫌になることの繰り返しです。この道に進みたい、というのがなくはないですが、それも決めた理由が上手く説明できません。その道に進むのに、自分が納得しているのかどうかも分かりません。けどそれ以外にはないような気もします。こういう経験は、るりちゃんや周りの人にありますか。もしあれば教えてください。それと、私の尊敬するるりちゃんに、背中を押してほしいです』
私がるりちゃんに送った悩み。その前後のるりちゃんの話を聞きながら、私は浴室から出た。さっきまで背負っていたリュックサックが視界に入る。
「……あ」
メインのチャックに、ラバーストラップがぶら下がっていた。虹ノ宮るりをデフォルメ化した、活動二周年と新衣装公開記念で発売されたもの。
そんな分かりやすいところにあるラバストと今日の言い淀み方からして、里奈ちゃんにるりちゃん単推しであることがバレていると、悟った瞬間だった。