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3=様子をうかがう

 VTuber・虹ノ宮るりの最大の武器は、その歌声だ。五年前――もう五年も前なのかと驚いてしまうのだが――のデビュー配信で早速何曲か披露してみせたのだが、私は思わずプロの人がカバーでもしているのか、と錯覚してしまった。VTuberとして会社に抱えられ、その専属タレントとして活動を始めたことを除けば、私と何ら変わらないはずなのに、だ。自己紹介の時に昔から歌が好きだという話をしていて、そして後の配信の中でおばあちゃんに誕生日の歌を歌って喜ばれたことがきっかけで、どう歌えば人に喜んでもらえるかを考えるのが好きになった、と言っていた。それが彼女の歌に対する姿勢であり、彼女なりの解釈や感情を乗せて歌われた数曲は、私の人生を変えたと言っても過言ではなかった。


「……いやいや、まさかね?」


 ゼミ配属初日、家に帰っていつものように過去のるりちゃんの歌枠アーカイブを見ている時に、私は気づいてしまった。もしかして里奈ちゃんというあの子こそ、るりちゃんの『中の人』なのではないか、と。

 るりちゃんは歌声も独特だけれど、普段の声もるりちゃんでしか出せない感じがする。もちろん配信用に声を作っていた可能性もあるが、それでもあの精度で似ている声を私は聞いたことがない。それともこれは、私がいわゆる『るりちゃんオタク』で、過去のるりちゃんの声ばかり聞いているから、少し似ているだけでるりちゃんと同じだと判断してしまっているだけなのだろうか。


「とにかく、もうちょっとサンプルがないと……」


 違うなら、世の中には似ている声の人もいるというだけの話。仮に同一人物だとしても、そのことを距離を縮めるきっかけにしてはいけない。私はそう考えていた。なぜなら虹ノ宮るりという女の子は、ネット上にしか存在しないから。『中の人』かもしれないという私の推測が仮に合っていたとしても、彼女は府中里奈であって、虹ノ宮るりではないからだ。私が今でも唯一推す虹ノ宮るりというVTuberの領域を、他ならぬファンの私が侵してはならない。それが三年間推してきた相手への敬意の払い方だ。……と、もっともらしい理由を並べはしたが、実際に里奈ちゃんの声をもっと聞いてみたいという好奇心には負けてしまう。


「……最悪、るりちゃんかどうかは分からなくてもいい。せめて友達には……」

「どうしたの」

「えっ! いや、何でもないけど」

「何か言ってなかった? 話しかけられてる気がしたんだけど」

「あー、違う違う、大丈夫」

「そう? ならいいんだけど」


 ゼミ配属から顔合わせを終え、私たちの席も決まった。そして私は里奈ちゃんと背中合わせの位置になっていた。

 四年生には女の先輩は一人しかおらず、しかもその先輩もだいぶ野郎っぽさがあるというか、女子力が高そうには見えないというか。とにかくお酒好きで、性格も豪快。高知出身で、血縁者はうわばみばかりらしく、その血筋を遺憾なく受け継いだのだとか。飲み会ではしこたま呑んでも顔色一つ変わらないそうだ。ゼミの学生居室でも、共用の冷蔵庫の奥の方にこっそりパックの清酒を隠していて、鞍馬、三宅両先生の目を盗んで昼間からこっそり呑んでいるらしい。そこまで行くと病院にかかった方がいいような気もするけれど。

 そんなわけで、自分で言うのもなんだが、女子らしい女子は私と里奈ちゃんの二人。となれば、仲良くなっておくに越したことはない。だが、どうも早速失敗した感じがある。ちなみに里奈ちゃんの声はやはり信じられないくらいるりちゃんに似ていた。隠す気もないのか。里奈ちゃんとるりちゃん、どちらが隠した時の声なのかは分からないが。


「あ、そうそう。卜部さん、今日の歓迎飲み会行くんだっけ」

「行くよ。別に予定ないし」

「なるほどね」

「別にそんなにお酒好きじゃないんだけどさ。付き合い程度には、一応飲めるけど」

「わたしもそんな感じ。気合うね」


 こんな話を堂々とするくらいには、暇なのだ。向こう一週間はゼミの雰囲気をつかんで慣れる期間ということで、特にやることは与えられないらしい。強いて言えば、そのいわばボーナスタイムが終わった後にそれぞれテーマを決めるのだが、基礎知識がないと決めようにも決められないので、各自学生居室にある本を読むといいよ、とは言われている。ちなみに鞍馬ゼミの専門はゲーム理論だ。


「本を読むって言っても……やっぱり基礎からやっとかないと、かな」


 これでも大学に入ってからの二年間、世の遊んでばかりの文系大学生よりは多少真面目に勉強してきたという自負がある。それが成績に出ているかどうかは置いておいて。私にとってあまりにも大きかった、虹ノ宮るりという存在がなくなってからのこの二年、ぽっかりと空いてしまった穴を埋められるものは少なかった。それがたまたま、高いお金を出して買った教科書や参考書をちゃんと読んで、少しでも元を取ることだったというだけだ。そのおかげで、多少分厚い本くらいなら読むのに抵抗がなくなったからよかったはず。

 一方の里奈ちゃんはというと、そんなステップはとうの昔に終わった、とでも言いたげに、パソコンに向かって論文を探していた。私はこれまで、るりちゃんの配信を見るために散々画面に向かってきたくせに、論文になると急に「あんまり長いこと画面見てると目がチカチカしちゃうから」と筋の通らない理由をつけて現実逃避し始めるタイプの人間だ。里奈ちゃんはそうではないということだろう。素晴らしい。

 ゼミ配属二日目はそうして、真面目に勉強してみたり、先輩に絡まれてみたりで終わり、そのまま私たちの歓迎飲み会に行くことになった。


「卜部さん、宮の浦女子って私立の中高一貫だよね?」

「そうです、経済に同級生はいないんですけど」

「あー、じゃあ結構先輩のツテ頼ってた感じ?」

「そんなとこです」


 自分で言うのもなんだが、宮の浦女子はそこそこ頭のいい学校だ。毎年某東京の大学とか、某京都の大学にコンスタントに合格者を出しているし、医学部に行く人もそれなりにいる。現役でもそれなりの数が合格しているから、浪人も含めれば大した実績だ。

 すでにリケジョがもてはやされて久しく、その時代の波に乗って宮の浦も理系科目の教育を強化している。そのおかげでよりレベルの高いところに理系学生として行けるようになった子も多い一方で、落ちこぼれるととことん悲惨なことになる。その一人が私だ。もちろんそこはトップクラスの私立、文系を選択したからといって冷遇されることはもちろんないのだけれど。ただ、経済学部で同期に宮の浦出身の子がおらず、先輩後輩にも二、三人ずついるかどうかというのが、宮の浦が芦川大をどう見ているのかよく表している気もする。


「ごめんなさい、ちょっとトイレに行ってきます」

「はーい」


 鞍馬ゼミの先輩たちはみんな親しみやすく、こちらからも話しかけやすい人ばかりだった。とはいえまだ顔合わせをして間もないので、警戒するに越したことはない。ちゃんとグラスの飲み物は空っぽにしてからトイレに立った。男性が多いとはいえ、とても女子に薬を盛ってなんやかんやできそうなタイプの人は皆無だし、男子より豪快な女子がいて場を仕切っている感じだから、極度に警戒する必要もないのかもしれないが。


「……んー」


 歓迎飲み会が始まって三分の一くらい。少なくとも肩身の狭さは感じないし、鞍馬ゼミを選んだのは間違いじゃなさそうだな、と思いつつ、トイレを済ませる。


「おっと」


 出ると、里奈ちゃんが待っていた。だからどうということはなく、普通に交代して、私は席に戻るだけだったはずなのだが。里奈ちゃんが個室に入った後、話しかけてきた。


「そうだ、卜部さん。VTuberって、興味あったりする?」


 私は思わず、手洗い場の前で固まってしまった。

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