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この虹がかった空の下なら  作者: 奈良ひさぎ


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12/12

12=あの時、気づけなかったこと(終)

 私はまだ、心のどこかでるりちゃんが里奈ちゃんと同一人物でない可能性を考えていた。だからゼミ配属の時にもらった学生の住所録を引き出しから引っ張り出した時も、この選択が本当に正しいのか私は悩んでいた。でもその時間は一瞬で、里奈ちゃんの家の住所をスクショしてすぐに外に出た。

 私が大学生になるにあたって、夜中に一人でうかつに外に出るな、とお母さんには教えられている。もちろん女性の夜の一人歩きは不審者につけ回される恐れがあるのもそうだが、何より私がおっちょこちょいでぼやぼやしたところがあるからだ。だが今の私にそんな忠告は関係ない。一応人通りの多い道を意識して通るようにしながら、大学の敷地を挟んで反対側にある里奈ちゃんの下宿先へ向かう。


「『プレザント・ハイツ東芦戸303』……」


 キャンパスの東側で一番目立つ学生専用のアパートだったから、場所はすぐに分かった。ネットで「芦戸大 下宿」と調べると真っ先に出てくるほど大規模で、しかも築年数もそこそこ浅い。そこまで本格的ではないものの、学生だけで自治会を作り運営しているらしい。うちの大学は確かに文系理系たくさんの学部を揃えるだけでなく、ユニークな学科も存在して国際色も豊かな、大きな大学ではあるのだが。こんな団地レベルのアパートというかマンションを作るほどかと問われると、微妙なところだ。ちなみに私もネットでこのどでかい集合住宅を見て、家賃がそこそこ安い割に機能も充実しているということで、ここにしたいとお母さんに言ったのだが、「あんたこういうとこの人付き合い苦手でしょ」と一蹴されてしまった。全くもってその通りだ。だから私はもっと小規模な、あまり近くの部屋の住人と会わないマンションに住んでいる。


「ここの三階……」


 実物で見ても、やはりそのマンションは学生街には不釣り合いなほど大きかった。住処というより要塞で、ある意味不気味ささえ感じる。そして明らかにVTuberとして配信をするのには適していないであろうそのたたずまいが何より印象的だった。もうあの頃には戻れない、戻るつもりがないという事実が、冷酷に私を襲う。

 気持ちの整理をさせてほしいと言っていたから、もしかすると日を置いて訪ねた方がよかったのかもしれない。明日は普通にゼミがあるから、お昼休みとかのタイミングで呼び出して、いろいろ言った方がよかったのかもしれない。あるいはいつ言うかに関係なく、そもそも余計なお世話だと門前払いを食らうかもしれない。しかしそれでも、私は今、このタイミングで里奈ちゃんに想いを打ち明けたかった。


「……はい」


 私がインターホンを鳴らすその指は震えていたが、数十秒のためらいの後にゆっくりと押すことに成功する。里奈ちゃんも夜中に誰が訪ねてきたのか、モニターで分かっているはずだから、トーンの低い声で応対したのだろう。出てきた里奈ちゃんはいつもとは比べ物にならないほど髪が乱れていて、ずっとだらしなかった。


「里奈ちゃん」

「……中にどうぞ」


 昨日里奈ちゃんにうちに来てもらって、お泊り会をしていたのが遠い昔のようだった。里奈ちゃんは別人のようで、むしろ配信でよく見ていたるりちゃんに近いくらいだった。


「……私がもう遅いのに来た理由、分かる?」

「……わたしは、に」

「さっきちょっと、すっごい自虐してるVTuberの配信見ちゃってさ。ま、メン限だったし、里奈ちゃんは知らないかもしれないけど。あまりにもあんまりだったから、ちょっと愚痴りたくて」

「わたしに?」

「そ、里奈ちゃんに。私それなりに人見知りとかする方だし、ゼミに入るまでも試験の過去問ゲットできなくて、結構苦労してたけど。里奈ちゃんには、自然体な感じでいけるっていうか。愚痴も言っていいのかな、って思えるから」


 里奈ちゃんは黙ってうつむく。私は構わずに続けた。


「その子はさ、VTuberを三年間続けて、結局自分の中には承認欲求しかなくて、それが肥大化しただけだった、って言っててさ。三年間の総括もそんな感じで雑に、卑下するような言い方で。確かにそうかもしれない、間違ってはないかもしれないけど、私はその子の歌ってるとことか、コメント拾ってもらってその子自身の言葉で励ましてもらったりとかで、好きなとこなんて数えきれないくらいたくさんあったのに。そうやって畳みかけるように卑下するところが許せなくてさ。関係ないはずなのに、里奈ちゃんに愚痴りたくなって」

「……っ!」


 るりちゃんが私の推しだとバレた時の飄々とした感じとは正反対に、里奈ちゃんはあからさまに動揺していた。視線が定まらずきょろきょろと目が泳いでいて、頬杖をつく手も心なしか震えていた。


「分かるよ。私も能天気じゃないし、ポジティブ思考でもないし。時間が経てば経つほど、何のためにそれまでやってきたのかよく分からなくなる。でもすっごく無気力で過ごしてた中高時代も、その子が活動してくれてたから乗り切れた。大学受験も乗り越えられた。お気楽に見えるかもしれないけど、あの時推し事ができてなかったらって思うと、今でもぞっとする。それくらい思い入れがあったから、大学の合格発表があったその日に引退発表されて、情緒ぐちゃぐちゃにされてさ……」


 一人語りでもいい。またオタクが何か言ってるわ、と思われてもいい。それくらい、あの子は私の支えになってくれたのだから。本人がどう思っていようと変わらない。本人の意思を尊重すべきだなんて、そんなことは本人に身の危険が迫っている時の話だ。


「自分を卑下するなとは言わない。言わないけどさ……そういうのと、ファンがまるでいなかったように言うのは違うと思わない? だって、少なくとも私は、自分が悔しくなるくらい、あの子のことが好きで、応援してたのにさ……」

「……」

「あの子のグッズだっていっぱい買った。いつか消えちゃうかもしれないアーカイブより、確実に形になってて、自分がどうにかしない限りずっと残ってくれる。それが全部あの子じゃなくて会社のお金になるって言われたって、別名義で復帰するのも禁止されてたって言われたって、もう二度とあの子の名前が生きた形で世の中に出てくることはないって言われたって。私は平気だって思えた。それくらい、あの三年間のことが大事だったから……私が三年間の、あの子の軌跡を覚えてる限り、どんなことがあっても私の記憶からは消えない。あの子が私の青春だったから、私の半分はあの子でできてるって言ってもいい。それなのにさ……それなのに、その三年間がひどいもんで、大して意味はなかったって、自分で言うのは違うよね?」


 私は顔じゅうをぐずぐずにしながら泣いていた。高二のクリスマス、付き合っていた彼女に別れを切り出された時から何も変わっていない。私は受け入れられないことがあるとすぐに泣いてしまう人間なのだ。子どもっぽいと言われた回数は数えきれないし、中学高校の友人にも、当時の彼女にもよく呆れられた。でも、自分の要求が通らなくて反抗して泣いているわけではない。自分でも目の前の事実をどう受け止めればいいのかが分からなくて、泣くという行動に逃げてしまっているのだ。今だってそうだ。私がかけがえのないものと思っていた三年間を、他ならぬ本人に否定されたことがとても受け入れられなかった。彼女と別れることになった時は、そんなに泣かなくても、と慰められたが。里奈ちゃんは何も言っていないわけだし、引いてはいないかと滲んだ視界で彼女を確認した。予想に反して、里奈ちゃんは落ち着かない感じでうつむいたり、目を泳がせたりを相変わらずやっていた。


「なんか、さ……何言ってるのか、自分でもよく分かんなくなってきたけど……でも、あんまり当時は分からなかっただけで、ファンはいるんだよって。少なくともここに一人、いるってことをさ、どうにかして知ってほしかったんだなって」

「……ありがとう」

「え?」

「ちょっと、別件で悩んでてさ。昔から塞ぎ込むってほどじゃないんだけど、一人で勝手に結論出して、思い込む癖があって。今さっきまでそうだったから、助かったかも。ありがとうね」

「どう、いたしまして……?」

「やっぱ他人に思いっきり言ってもらわないと、なのかな」


 そう言う里奈ちゃんの声は、あの頃いつも配信で聞いていたるりちゃんの声によく似ていた。だからといって、イコールである証拠にはならないのだけれど。

 私もひとしきり文句をぶつけて泣いた後にそう言われたものだから、急に我に返ってしまって、恥ずかしくなってそのまま里奈ちゃんの家を後にしてしまった。が、里奈ちゃんは間違いなく私が押し掛けた時とは違う、晴れやかな顔をしていた。


『確かに、あの頃は褒めてもらって、存在を認めてもらうことだけを追い求めていて、ついてきてくれてるファンのことを考えられてなかったかもしれない。そのことばっかり考えてて、前のメン限配信ではひどいことを言ってしまいました。ごめんなさい』


『でも今は、そうじゃない。それがよくないことで、前の自分を振り返って、これからの振る舞い方を考えるべきだと気づけました。やっぱりわたしがもう電子の海に戻ることはないけれど、応援してくれてた、そして今も応援してくれているファンのことを、どこかでそっと見守りたいと思います。ありがとう、バイオレットさん。ありがとう、ファンのみんな』


 文面ではあるけれど、るりちゃんのコメントがリョウカちゃんのYoutubeチャンネルのコミュニティで紹介されたのは、その翌日のことだった。



―完―

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