10=悪魔の契約
「……るりの話をすることが、事務所的にNGだったかって質問だけど。もしかしたら、これが今回一番、こっちから話したかったことなのかも。うん、マネージャーもうなずいてる。じゃ、話すね」
それまで和やかな音楽がバックで流れていたのが、すうっと自然に止まった。少し間をあけて、バラードをオルゴールで演奏したようなBGMに切り替わった。
「結論から言えば、別にNGは出てなかった。るりの引退の次の日からバンバンあの子の名前を出すことはできたし、出そうかとも思った。特にみなもは一番、るりのこと話したかったと思う」
「うーん……やっぱり、一番るりちゃんと絡んでたって、自負してるからなのかなぁ」
「るりって、あんまり積極的にバラエティ寄りの企画に参加しなかったからね。みなもはそのあたりうまく引き込んで、先輩たちとの絡みを作ってくれた功労者だし。それでも……事務所の中で、話題に出すような雰囲気じゃなかったのは、確かかな」
「それは確かに……ちゃんとるりちゃんの名前は配信で出していいし、引退後も連絡取っていいって、書面でもOKもらってたんだけどね」
そのあたりを書面で出してくるあたり、少しでもるりちゃん引退後の混乱を避けようとしたのが分かる。そうでなくともるりちゃん引退前後のVTuber界隈は騒然としていたから、あれでもまだマシだったのかもしれない。
「昔からあたしたちのこと応援してくれてるみんなだったら知ってるかもしれないけど、るりが引退した前後って、あたしたちの配信がしばらくなかったんだよね。先輩たちはそうでもなかったと思うけど、特に同期のあたしとみなもは、対応に追われてた。結局、四か月前だったかな。ちょうどセンター試験直前って時期に事務所には引退したいって言ったんだって、後からるりに聞いたんだよね。そこから事務所との話し合いがもつれて、結局引退に向けての手続きとか諸々やり始めたのが、ホントに直前になってからだった。るりは最終的に引退したわけだけど、そこまですごくたくさんの人を巻き込んで、すごくたくさんの人に迷惑をかけた。これは後出しで事務所から言われたんだけど、るりが引退するにあたって、主に条件が三つついた」
「ペナルティ……ってことだよね。少なくともリョウカちゃんと私は、そう見てる。すっごくドタバタしたのは事実だし、仕方ないとは思うけどね」
二人がそう言ったタイミングで、配信画面の背景が切り替わった。落ち着いた色でまとめられたシンプルな画面が、急に物々しい、活字の並んだ光景に変わる。最後にるりちゃんと、事務所の社長の直筆サインがあり、契約書の類だと分かった。
「これは許可をもらって、載せてるんだけど。最終的にるりが事務所と交わした契約書の一部。スパチャの収益がいつの分まで支払われるか、この時点でリリースが決まってたシングルアルバム、あと歌ってみた動画をいつ出すのか。そのあたりの、いわば活動三年間の清算みたいな条件もあるんだけど、あたしが紹介したいのはこれ。蛍光ペン引いてるところね」
確かに数ある条件のうち、三つだけピンク色の蛍光ペンで強調されている文章があった。上から、「今後も『虹ノ宮るり』名義でグッズは出すが、その収益は全て会社に入るようになる」「引退は取り消せない、競合他社の別名義でタレント復帰することは認めない」「引退後は『虹ノ宮るり』の知名度を使って行動を起こすことを認めない」。ざっと見るだけでも、界隈を混乱させた代償としてはあまりに重いのではないか、と思ってしまった。あとはやはり、引退したVTuberが別会社の別名義で再デビューすることも禁止。最大手でもないのに、そこまで力を持っているのかという疑念は残る。
「……これを出すのも、すごい時間がかかったよねぇ。でもやっぱりこの話に触れないわけにはいかなくて、ちょっと苦労したのかも」
「まあ、会社の利益に関わる一番大事なとこだから。もう読んでもらったかもしれないけど、要は『虹ノ宮るり』って人間の中身がなくなった状態で、これからはほぼ会社のものになりますよ、ってことなんだよね。当然、いくらるりのわがままで起こったこととは言っても厳しすぎる、って言い出した人は多かった」
実際、るりちゃんの関連グッズは引退した後少なくとも一年は、それまでと同じようなペースで発売されていた。ぬいぐるみやキーホルダー、シールや付箋など。活動中に発売されたものも、引退後何度も再販がかかっていた。私がリュックにぶら下げているラバーストラップは、一番最初の完全受注生産で予約したものなのだが。昔からのるりちゃんのファンでも、現役時代は人気でグッズが買えなくて、引退後の需要が細くなってきたタイミングでグッズを漁ったという人も少なくないだろう。それぐらい「虹ノ宮るり」は人気だったし、完全受注生産でやってくれたグッズは少なかったから、私は別にそのスタンスを非難する気はない。引退してからのるりちゃんのグッズ売り上げが本人に入っていなかったのは、残念ではあるが。
「あんまりメタ的なことを言うのもよくないけど、るりはすごく自然体で振る舞ってた、珍しいVTuberの一人だと思う。オフの時も全然『虹ノ宮るり』と変わらなかったし、まして無理してる様子なんてかけらもなかった。だからるりが引退した後で事務所が虹ノ宮るりってVTuberを動かすのはどうなんだって、先輩たちも、八期生の後輩たちも声を上げてくれた」
今現在、Virdolプロジェクトは十期生までデビューを果たしている。ここまで来ると一期生や二期生の先輩たちはすでに引退し、裏方に回っている人たちがほとんど。リョウカちゃんは事務所のことを他と比べて小さい方、と言っていたが、十期生と銘打ってフレッシュな子たちをデビューさせられている時点で、決して小さくはない。しかし弱小事務所だった時期が他と比べて長かったというのも、また事実だ。そして七期生の二人は、すでに古参の域に入っている。
「でもちゃんと、事務所はあたしたちが言いそうなことの対策をしてた。……って言うと事務所が悪者扱いだけど、決してそんなことはなくて。あたしたちがすぐに考えつくことくらいはるりも考えてた、って意味ね。さっき契約書を見てもらったと思うけど、るり本人のサインがされてた。あと、この条件を呑むって言ってる動画も残ってるし、キャラを作らずにそのまま行くっていうのも、元はと言えばるりのわがままから始まったことだって言われて、あたしたちは言い返せなかった。散々好きにさせてきたんだから、引退に際してこれくらいの義理は果たしてもらわないと困る、ってことだったんだよね。だからあたしたちはみんな、黙って事務所の方針に従うしかなかった」
ここまでずっとリョウカちゃんとみなもちゃんがしゃべってばかりだったが、マネージャーさんの計らいか、いったん関連する質問に答える時間となった。
「一個ここで関係しそうな質問あったから、答えるね。……『るりちゃんは自然体で配信をしていたとおっしゃっていましたが、るりちゃんに本来設定としてあったのはどんな性格なのでしょうか?』」
「これは、あたしそのもの。るりが一番年下だし、いろいろ素人だからってことで、お願いを聞いてやってくれってあたしたちの方からも掛け合ってね。だから設定がそのままあたしの方にスライドして、今があるって感じ」
「うーん……だからるりちゃんが納得してるなら、それでいいでしょってなったのは、仕方ないっていうか。私たちがどうこう言うことじゃないのかな、なんて思ったり。それにるりちゃん、私たちだけじゃなくて、先輩たちにも引退発表の二日前に知らせたって話だから。だんだんそういうペナルティを受けるのは自業自得じゃないか、って言う先輩も出てきて。それも一理あるしねぇ」
「そこから、あたしたちも触れづらくなったのよね。このへんは、できればるりに直接聞きたかった」
「るりちゃん、私と違って提出物はきちんと出して、遅れることなんて一度もなかったし。先輩を呼んでのコラボはずいぶん前からスケジュール確認して、こまめに変更がないかも連絡取ってたし。そこまでいろんな方面に気を配れるのに、どうして引退のお知らせだけ、そんなにギリギリになったんだろう……って。もちろん、事務所とずっと話し合いしてて、話せないことが多かったって言われたら、その通りなのかもしれないけど」
るりちゃんからは確かに、提出物が間に合わない、などといった焦りが含まれる発言がまずなかった。それでいて学業とも両立していたのだから、元がすごく優秀なのかもしれない。ギリギリまで周りに打ち明けなかった理由が、何かあるのだろうか。
「……ちょっと待ってね。うん。うん……はい、了解……ごめん、ちょっと十分くらい休憩取るね。画面も一回待機に戻します」
リョウカちゃんがマネージャーさんと話した後、私たちに向かってそう宣言した。すぐに「Now Loading...」の画面に切り替わり、コメント欄がざわついた。私はトイレにも立てず、十分間ただ画面の前で待つことしかできなかった。




