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1=二人の運命の日

「……ほっ、ほっ」


 その日、私はいつになく緊張していた。

 国立・芦川(あしかわ)大学前期入試の合格発表当日。私はセンター試験と二次試験の受験票を手に、受験した経済学部のキャンパスに貼り出されるはずの掲示を探していた。もしも落ちていたら面倒なことになるからと、お母さんには来ないでと言っていた。その割には、受かってその場で入学手続きをする気満々で受験票を持っていたのだが。


「……あった」


 三月上旬、まだ冬物のコートを着ていなければ寒い頃。試験会場の教室棟前の掲示板を見つける。もうすでにわらわらと人が集まっていて、喜んでいる人もいた。時々何も言わずその場を離れる人もいたから、そういうことだろう。私は口を真一文字に結んで、自分の番号を探す。


「……!」


 こういう時、人間は目の前の光景を自分の知識の範囲内で理解しようとするようで、受かっても落ちても一瞬腑に落ちてしまう。少し経ってから、だんだん現実が心の奥底の方に染み渡ってくるのだ。その時の私も、自分の番号があったのにも関わらず、喜ぶより先にほっ、と落ち着いてしまった。いくらか経ってから、ようやくその事実が心に染み渡ってきた。だから隣の人のように、飛び跳ねて喜ぶことはできなかった。なんだか落ちた人みたいに見えるかもしれないが、どう見ても受かっている。もう一度掲示板を見てみれば、番号が前後の人も両方受かっているから間違いない。


『……もしもし?』

「お母さん? 受かった」

『本当に!? よかったぁ』

「うん」

『あんた、落ち着きすぎでしょ』

「まあ、ね」


 お母さんに電話しても、あまり変わらなかった。思えば昔から、嬉しいことがあってもあまり喜ばないことが多かった。感情がないとか薄いとか、そういうサイコパス的なアレではない。きっと、自分でこうしたい、とはっきりした意思でものを決めたことがないからだ。


『じゃあ、手続きしてくるのね?』

「うん、そうする」

『お母さんは書類届いたら、振り込みに行ってくるから。勝手に開けてもいいのね?』

「いいよ、ありがとう」


 私が経済学部を選んだのも、半分くらいは自分の意思だけれど、逆に言えばもう半分はお母さんに言われた結果だ。本当は理系の学部に興味があったけれど、理科が絶望的にできなかった。でも数学は好きで、それをほとんど使うことなく生きていくのはちょっと嫌だな、と思っていた。そんな時に、お母さんが経済学部を勧めてくれた。同じことを担任の先生に相談した時も勧められたから、今のこの選択はたぶん正しかったと、私は思う。


「(……ま、でも後悔することはないかな)」


 志望理由がその程度の、いわば『意識低い系』の私だから、はっきりした理由があって経済学部を受けた子が少しうらやましいと思っていた。近くに同じクラスの子で明らかに受かったらしき男子と、明らかに落ちたらしい女子がいたから、余計にそう思った。とはいえ、私なんかが受かってよかったのかなと思うほど、私は悲観的な思考の持ち主ではない。


「やったぁっ」


 そんな気持ちだったから、私と同じように一人で発表を見に来ているのに、胴上げされているかのような大声を出す子に、思わず注目してしまった。もっとバカ正直に、飛び跳ねて喜んでみたかった。それくらい熱意を込めて受験したかった。


「……っ」


 輝いた目だった。いい人も悪い人も玉石混交なこの世の中で、人よりたくさんのきれいなものを見てきたような瞳。どんな状況でも希望はある、そう信じて疑わない目。私が絶望や挫折を感じて生きてきたとか、悲しい目に遭ってきたとか、そういうわけではないけれど、すごくまぶしく感じた。一緒にいたらこっちまで人生が楽しくなりそうだな、と思うと同時に、ずっと一緒にいるとしんどくなるタイプだな、と感じた。だから入学してもしもう一度会うことがあれば、話しかけてみようかなと決めて、その場を離れる。一学年二百人の大所帯とはいえ、たかだか地方の国立大学の経済学部なのだから、世間の狭さというやつは知れている。理系の学部に比べて受ける講義の数自体が少ないのが懸念点ではあるが、どうせこの子とはもう一度会うことになるだろうと、根拠のない自信が私にはあった。


「合格者の方はこちらにどうぞー」


 現役大学生の先輩だろうか、プラカードを持って気だるそうに案内する人に従って、私は会場になっていた講堂の方へ向かう。入学手続関連の書類はまとめて郵送されるのが基本だが、直接大学まで合格発表を見に来た人は、そのまま書類を受け取って帰れる仕組みになっていた。


「早く帰んないと……」


 あまり大学に長居するわけにもいかなかった。それなら書類は大人しく郵送してもらえという話なのだが、大学に直接合格発表を見に来た手前、それだけで帰るのも何となく嫌だった。

 やりたいことはないのかと聞かれてもないですと答えるしかなく、とりあえずそれっぽい進路を選んでいればいいか、と妥協を重ねてきた私だけれど、熱中しているものはある。それは活動開始から三周年が近いVTuber・虹ノ宮(にじのみや)るりの推し事だ。魅惑の歌声を持ちながら、私と同い年ということもあってか等身大のティーンさがにじみ出ている彼女は、いつしか私の心の支えになっていた。受験勉強のさなかでも、彼女の歌枠だけは欠かさず見ていた。そして今日は、活動三周年に向けて重大発表をするということで、すでにSNS上であれこれささやかれていた。るりちゃんと同期デビューの二人に比べて活動頻度は低かったものの、企業勢ということもあって人気で、登録者も多い。まさに一挙一動が注目されている、というわけだ。


「つぶったーは……反応なし、か」


 配信の情報や普段の何気ないことを発信できるように、るりちゃんはじめその会社に所属するVTuberはみんな、SNSを積極的に活用している。中でもるりちゃんはサバサバした感じの配信をするのと対照的に、見る者をほっこりさせるようなつぶやきが多い。例えば家では三毛猫を一匹飼っているらしく、定期的に可愛らしい写真がアップされる。界隈によってはカオスな修羅場が展開されるつぶったーにしては、随分と平和だ。

 そんなるりちゃんのつぶったーを見てみたが、特に今日の配信に関するお知らせはつぶやかれていなかった。いつもなら配信の三時間前までにはお知らせを流すし、それが活動三周年記念についてならなおさらだと思うのだが。


 思えば、この時から私の中で、何となく悪い予感とやらはあったのかもしれない。いいお知らせがあるなら、ここで楽しそうなつぶやきをするはずだから。


「ただいまー」

「はーいおかえりー」

「ごめん、入学金すぐいるんだって。来週の木曜まで」

「分かった、まあ国立だし仕方ないわね」


 帰ってきてもらった書類の説明を一通りして、私はすぐに自分の部屋に引きこもった。思えばこれほど俊敏な行動ができたのも、自分では気づいていないながら嫌な予感があったからなのかもしれない。


『こんばんは、Virdolプロジェクト7期生・ティーン担当の虹ノ宮るりです。……今日は三周年に向けて、意気込みを語るって回なんですけど。こういうの、最後まで取っておくとか、苦手なので。重大発表を最初にしたいと思います。大丈夫です、そんなに悲しいことではないので』


 絶対に見えないのだけれど、そう言う彼女の目には、確かに涙が浮かんでいた。嬉し涙とは程遠い、画面越しに嫌というほどに感情の伝わってくる姿だった。


『私、虹ノ宮るりは、来月4月18日――私自身のデビュー三周年の日をもって、引退します』


 その瞬間、この日はるりちゃんのデビュー日に並んで忘れたくとも忘れられない日になった。今でも、夢に出てきてうなされるほどに――。

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