あなたの生きる海
夕焼けが2人の顔を赤く染めている。麻紀は、隣に並ぶ同い年の光路の頬を横目でじっと見つめた。彼には気付かれていない。そのことに何だか可笑しさを覚えて唇の端で笑ってしまった。
夕焼けの逆光を浴びながら、海を眺めていると、その暖かさに身が引き締まるような想いがした。
波はきらきらと光り、その美しさにいつまでも目が離せない。
「綺麗な海だなぁ」
光路の声を聴きながら、麻紀は海の赤く光る水面を見つめたまま静かに頷いた。
「オレさ、今年までだって」
日の光に当たった赤いビー玉のような海に見惚れていた麻紀の瞳は、そのゆらぎから視線を逸らす。
弾かれたようにゆっくりと、光紀を見た。
彼のその顔は、あまりにも穏やかで、生まれたての自分の赤ん坊を見ている父親のようであった。
「医者に言われた」
一拍置いて、悲し気に微笑みながら麻紀の方を見る。男にしては長い睫毛が夕陽に染まって揺れているのがわかった。
「だからさ。今年オレが死んだら、オレの灰はお前にあげたい」
「えっ?」
「オレの灰は、お前が来年の今日と同じ日にこの海に投げてくれよ」
「そんな、そんなこと言わないで!」
「頼む! お前しか頼める人がいないんだよ」
一瞬視線を光路の手に落とした。彼の手の上に雫が一つ落ちている。これはいつ彼が落とした涙であろうか。
再び顔を上げ、彼の顔を見つめる。
光路は今まで見たことが無い程顔を歪ませていた。泣く前の子供のようだ。光路の声が少し大きくなった。
「オレが一番好きな場所は、墓場なんかじゃない。この海岸から見る海なんだ。オレは死んだ後はこの海と一緒に生きていきたい。お前に毎夏見守られながら生きていきたいんだよ」
涙ぐみながら叫ぶように語尾が大きくなっていった。
「光路」
麻紀は光路を見つめながら瞳に涙をためた。そして確かめるように一つ頷いた。
「わかった。あたしがあんたの灰をその海にばら撒いてあげる。あんたは死ぬんじゃないわ。この海に生まれ変わるの。この海になって、あたしに見つめられ続けるのよ」
「麻紀……」
声が詰まったようになり、光路は嗚咽した。
「ありがとう……」
俯き、地面を見つめる。視界には海が半分映っていた。その海がきらきらと星屑のように輝いて、涙で曇る視界と同化していくようであった。
麻紀はじっと涙を海へ流していく光路を見つめていた。だが堪え切れず急に大きく顔をゆがませて大粒の涙をこぼした。
お互い拳一つ分の距離を保ちながら泣いていた。子供の頃に帰ったかのようだった。
その距離を詰めるように、光路が麻紀に手を伸ばす。
ふいを付かれたように一瞬瞠目したが、何かを確かめるようにゆっくりと瞼を閉じ、麻紀も光路を抱きしめ返した。
夕陽の逆光を受けながら海を背景に2人は抱き合っていた。
あの日と同じく、海は星屑を流したかのように眩い煌めきを宿してただ麻紀の眼前に広がっていた。
光路がこの世から旅立って、一年が経過した。
辛い想いはある、胸の中に常にくすぶっている寂しさから逃れられずにいる。けれど……。
一人だけ海岸沿いに立つ麻紀の足は、海風に煽られているからであろうか、少し震えていた。
琥珀色に輝く瞳で、柔らかく漂う水面を見つめていると、自然と光路が隣に立ち、息をしていたことを思い出す。
傍らにいた彼が時折自分の手をそっと握ってきたときの、温かい掌の感触まで覚えていた。
ゆっくりと瞳を閉じ、もう一度開ける。
呼吸を整え、胸に手を置くと、カーキ色のジャケットの中から一つの黒い箱を取り出す。
漆黒の外面に滑らかな肌触りを宿したその箱を麻紀は親指で優しく撫でた。
唇を噛むと、一気に顔を上げ、片手で箱を開ける。
中に入っている白い灰を思いきり良く掴むと、海に向けてばら撒いた。
きらきらと光り、海へと落ちていくその砂を、泣き笑いの表情で眺め、震える右手を上げると、
「さよなら光路、さよなら!」と海に向かってブンブンと手を振った。