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8th. love:増えていく違和感、ささやかな幸せ

 昼になり、ボクは立ち上がった。むかう場所は決まっている、中庭だ。何をしに行くのかも。清華さんに逢いにいく。身体を扉へ向け、外へ出ようとしたのに、それを邪魔された。また席に座らされた。

「どうかしたの、純平」

「……まさか、昨日の約束を忘れたわけじゃないだろうな?」

 はは、まさかこのボクが約束をおぼえてるわけないじゃないか。そう開き直ろうとしたけどその前にやけにぎらぎらした目にやられてしまった。これを蛇に睨まれた蛙というのかな。よくわかんないや。

「えーと、カツサンドが何でしたっけ?」

 よしわかってるんならこい。ボクはごつい手に腕を捕まれ、食堂まで連行されるのだった。

 ──ここが戦場と呼ばれるようになったのは、いつのころからなのだろう。勝者には希望の食事が与えられ、敗者は黙って残り物かもっぱらまずいと評判のラーメンを涙ながらにすするしかない。それがここでの唯一のルールだ。そしてその戦場へとボクも乗り込まなきゃならない。仕方ないと意を決する。『コロシアム』の名を持つパン売り場へ、ボクは身を乗り込んだ。

「はあっ、はあっ、はあ……」

「うむ、実に見事な戦いっぷりだったな」

 思わぬ人の声に驚いて、パンを放ってしまう。清華さんがそれをうまくキャッチしてくれた。彼女もまた勝者のようで、片手に三個パンを持っていた。

「私はこれから中庭に行くんだが、一緒に来るか?」

 本当は行きたかったけど、猛獣を怒らすのは勘弁だと思ったのでそれを断った。清華さんは何か考える風に目を閉じ、うんうん頷いてから独り言を呟いた。

「たまには、食堂で食べるか」

 そういうとボクの手を取り席へ案内する。その途中、純平にぶつかった。清華さんの足が止まり、掴む手の力が弱まる。

「真枝君……」

「なんですか」

 短い言葉には感情がこもらない。手はいつの間にか離れて、所在なさげに指を曲げたり伸ばしたりしていた。純平は同じ言葉をもう一度、繰り返した。

「な、なんでも、ない」

 そう返答した清華さんは目を泳がせ、右手は警戒するように左腕を掴んでいた。ボクは二人の物々しい雰囲気に口を出せずにいる。やがて耐えきれなくなったのか彼女は顔を伏せ、失礼する、とだけ告げて食堂を出た。喧噪が溢れ、食堂に人がたくさんいたことを思い出す。三人しかいないと思ったことは錯覚だと気付く。溜め息をひとつ吐いて純平はボクを促した。怒りにも似た表情はもう彼からは伺えなくて、それだけに清華さんとの関係について訊くのはためらわれた。

「ごめん、ボク、清華さんのところに行ってくるよ」

 昼食(結局ボクはラーメンだった)を食べ終え、そう話をすると彼は表情も変えず、了承した。

「んなの勝手にしろよ、ただし」

 俺の話はするな。そう釘を差された。ご飯粒ひとつないカレーの皿を横にずらし、カツサンドに手を出した純平はどこか不機嫌そうで、それがボクのせいなのか清華さんのせいなのかはわからなかった。

 中庭、いつかのベンチに彼女の姿を見つけた。目があっても彼女はそらしてしまう。ボクはそれでも清華さんの隣に腰掛けた。彼女は落ち着かない様子で視線をさまよわせている。ボクは彼女が話しかけてくれるまで待った。最初に口にしたのは友人を食堂に残してよかったのか、ということだった。苦笑しながら──それはうまく笑える自信がなかったからだけど──大丈夫だということを伝えた。

「さっきは取り乱してしまって、すまない」

 あの生徒はどうしても苦手でな、とだけ理由を語り、またそれ以上は話そうとしなかった。ボクはそれで十分だと思って話題を変えようとした。くしゃくしゃ、と優しくボクの髪を撫でる少し冷たく柔らかな手。

「優しいんだな、律は」

 違う、きっと違う。ボクはこういうやり方しか知らないから。単純で、不器用なだけ。だから、彼女の言葉に何も言えずに、ボクはなすがままにされていた。ゆっくり手を動かしながら、言い含めるように彼女は言葉を転がした。

「人は多かれ少なかれ、辛い過去を背負いながら生きていくものだ。いつ癒されるかもわからない、癒されことなどないかも知れないそれを嫌でも背負わなければいけない。でも今のことを思えば、人は常に幸せなんだと思えないか?」

 たとえば、私が愛しい人に触れられていられるように。でもボクは今が幸せなのかよくわからなかった。この世界はわからないことだらけだ。そして、知らなくても明日はやってくるし、確かに日常が訪れる。たとえそれをいいこととは思えなくても、今隣に自分の好きな人がいることは確かだから、幸福を願おうと思った。

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