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41th.love:希望

 その日から、訓練は始まった。護身術から始まり、それと同時に銃を使った訓練も行われた。最初は銃に触るのも嫌だったが、いつの日にか慣れてしまった。時間が経つにつれて、私は組織の中でもなかなかの狙撃率を得るようになっていた。そして、外での活動が始まった。

 心を鬼にしろ、と一緒に行動した上司に言われた。指示の上で、初めて引き金を引いた。足を踏ん張り、反動に耐える。乾いた音が心臓に響いた。次の瞬間見えたのは遠くで力なく膝を折る人の姿だった。一気に血が冷め、身体が震える。拳銃が手から離れ、コンクリートに音を立てる。私は彼のように倒れ込んだ。人殺し、と誰かが叫ぶ声がした。甲高いその女の人の声を私は忘れられない。私は地面に向かって吐き続けた。吐くものが何もなくなっても、胃液だけを流し続けた。嗚咽を上司が口を塞いで隠す。私を抱きかかえると、待っていたバンに乗り込んだ。私は車の中で叫び続けた。

 その日から、私の心は乾いてしまった。何度も引き金を引いて、何度も人を殺した。急所を外すと出血性ショックで死ぬまで若干意識が残る。そのもがく数秒の時間が私が経験した中でも最大の恐怖だった。数人殺すと罪悪感はなくなった。やがて組織の中でも忌み嫌われる存在になっていった。報酬のためならいくらでも人を殺す、と罵られた。そんな言葉で傷付くほどの余裕は私にはなかった。私はただ銃弾を放つ殺人機械になっていった。私は人間になって何をしたかったのだろう。でも、そんなことを考える余裕があったら訓練をしていたほうがマシだった。ユノと会うことはもうなくなっていた。

 そんな日々がいつまでも続くと思った矢先、呆気なくこの組織は崩壊した。任務に失敗した人間が逮捕されたのだった。そこからこの組織の全貌が明らかになり、国家権力の手が入った。上部の人間は逮捕され、その行方は知れない。私や他の未成年の人たちは被害者として罪を問われることはなかった。保護されたとき、私の目の前で引き金を引く人もいた。洗脳の話を聞いていた私はそういうふうに訓練されていたのかな、とその人を冷たい目で見送った。警察官が私の目を塞ぐ。そんなことをしなくても大丈夫。私はもう数え切れないほどの死を見てきたから。

 身寄りのない私は孤児院へと送られた。名前は一つしか知らなかったから、読みしかなかった名前に和泉美緒、と当て字をつけた。年齢上高校生になっていた私はそこからほど近い学校に編入することにした。運良く私は組織の中で教育を受けられた身分だったので、それは難しいことではなかった。そこでの暮らしは、幸せそのものだった。鉄の塊の重みに耐えることもない。誰も血を流さないですむ、平穏な世界。私にとってそこは切ないぐらい幸せすぎた。私はこの最悪だと思えた世界で初めて安らぎを得ることができた……!

 素敵な人たちは、みなそれぞれに痛みや悩みを抱えていたけれど、みんなそれを克服する力を持っていた。だから私はその手伝いをした。最初は大人しかった清華、彼女に恋をした純君、そしてりっちゃんくん。素敵な二年半だった。どんなに傷付いても人は救われることができるんだって知ってから、もうこれ以上はないというほどの幸せに包まれた。私、おなかいっぱい。だから、私はこの世界に戻ることにした。

 あのときはぐれた彼女は猫ということもあってのんきにやっていたみたいだった。気楽ね、と笑うと冗談半分に怒ってくれた。私は彼女を抱きかかえた。彼女はずいぶんと年老いてしまったけれど、彼女の瞳は絶望に汚れてなんかいなかった! そのことがすごく嬉しかった。私は彼女に道案内をしてもらった。何度も説得された。でも、私は断った。……もう、理由はわかるでしょう?

 だから、私はここにとどまることにした。

「……そんなの、いやだよ」

 律君は、首をだだっ子のようにぶんぶんと振り回した。

「ずっと、幸せにいようよ……ずっと、幸せでいてよ、ボクたちと一緒にっ」

 私は、それでも首を振る。律君、罪人は幸せになってはいけないんだよ?

「そんなの、間違ってるっ、だって、先輩はそれを強要させられたんじゃないか」

 それでも、罪は罪なんだよ。幸福になることを認められてはいけないんだよ。

「だとしても、せめて、純平のことを見守ってあげてよ!記憶から先輩が消えたら、純平は独りで生きようとする、それがボクのわがままでも、見当外れでもかまわないから、純平の側にいてよ、美緒先輩だって、好きなんでしょ、彼のことが」

 ……まさか、ばれてるなんて思わなかった。でも、この恋は土に埋めると決めたんだ。もう、引き返さないって──あれ、でも、なんで、涙が止まらないんだろう──。一度溢れた涙が、頬を濡らしていく。どうしたんだろう、私、おかしくなってしまったのだろうか。どうするべきなんだろう、私は。

「ねぇ、戻ろう」

 ──まだ、幸せな時間は続いていくんだよ。ボクたちが前を向いていられる限り、ずっと、ずっと。だから、せっかく掴んだ幸福のしっぽを離すようなことはしないで。それほど辛いことはないんだから。

「りっちゃんくんのくせに……あなたは、ずるいです」

 何がずるいかわからない。けど、言わざるを得なかった。私は、彼女に声をかけた。

「全部、元に戻せますか?」

 彼女はお安いご用だと胸を張った。その姿がかわいらしくて、誇らしい。あと、ともう一つお願い事。

「この世界の扉に、鍵をかけてください」

 この世界がある限り、私は逃げてしまう。だから、さよならしなくちゃ。彼女は頷いた。私は別れ際、一度だけ振り向いて、バイバイとつぶやいた。


 ──後日。私は放課後の中庭に純君を誘った。今日は部活もないらしく、訝しがりながらも了承してくれた。誘いながら顔が真っ赤になってはいなかったか、そのことがものすごく心配だった。今日は穏やかに晴れ、今週中には梅雨明けするらしい。どう言おうか必死に考えながら彼が来るのを待った。

「……んで、用事って」

 急に声がして私は飛び上がる。うわ、純君がきょとんとしてる!私は必死に言葉を紡いで、下手なりにも気持ちを彼へと伝えた。沈黙が数秒あって、彼がうつむいた。

「俺は、また人を傷付けるかも知れ──」

「そんなことさせません」

 私は彼の言葉を遮った。そして微笑む。

「知ってました?美緒、武術の達人なんですよ?そりゃ、えいやーって!」

 彼が顔を上げる。彼は泣き笑いで私を見つめた。

「じゃあ、そんときは俺のことぶっ飛ばしてくださいね、それはもう、てやー、って」

 私はその言葉に力強く頷いた。きっとその顔は、純君とそっくりだったに違いない。

 律君……ありがとう。

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