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4th. love:その気になって

 放課後になるまでさんざん純平に中庭での出来事で冷やかされた。彼はこれから陸上部の練習へ向かう。ほんと、朝練だってあったのによく身体が動くなぁと感心する。ボクならランニングでへばってしまいそうだ。小学生のころはよく動いたけれど、中学のころからさっぱり運動しなくなった。色々あって、一人で遊んだり本を読むことが多くなったからだった。そんな内向的な世界から引っ張り出してくれたのは純平だった。彼の背中を見送りながら、改めてありがとうと思う。

 ボクは教室を出る前にぼんやりとグラウンドへ目をやった。新人戦が近づいていることもあって、そこは活気に満ちあふれていた。この学校は部活動が盛んで、運動部文化部問わず優秀な成績を上げている。ボクも一応部活には入っているものの、幽霊部員状態になっていた。ボードゲーム部なんて、あってないようなものだし、そもそもつじつま合わせで入部を頼まれたので行かなくてもいいことになっていた。一年以上行っていなければ、行く意味もないし。

 人気のなくなった教室を出た。階段を下り、玄関に向かう廊下は人気もなく、春が過ぎたのに少し肌寒い。なんとなく通り過ぎている道でも、不安になっているボクははたして何を気にしているんだろう。気を取り直して美術準備室の横を通り過ぎようとする。

 耳がざわついた。

 玄関はもう目の前だ、そのまま帰ることもできる。第一、何かの聞き間違えかもしれない。でも、聞き覚えのあるその音は無視できない要素でもあった。振り向いて、音がした方向へ向かう。足音は立てないように。──確かに、聞こえる。とても、微かだけれど、その微かな声はボクの耳に届いた。

 それと同時に罪悪感も芽生えてきた。美術準備室の扉の前まで来ると話の内容がなんとなく分かった。そして音が漏れている理由も。やや開いた引き戸はまるでボクを誘っているようだった。ボクが取るべき行動は一つのはずなのに、取ってはいけないそれを選んでしまいそうになる。少しだけ残った理性がボクを思いとどまらせる。けどそれも──突然膨らんだ甘い声に消された。

 大きな声を出しちゃいけないとたしなめる。ボクはその声の主を確かめに一歩踏み出す。隙間から覗き見えたのはこの場所にはふさわしくない、甘く苦い世界だった。

 ボクの目に映る二つの横顔は恥じらいと期待で朱に染まっているようだった。制服はわずかにはだけ、肌の色が露わにされていた。二人は腰を下ろし、一人の女生徒を後ろから抱き寄せている。抱き寄せる彼女の片方の手はあごをなぞり、もう一方はゆっくり身体を愛撫する。目を離したいのに離せない。その行為に夢中になっている彼女たちが自分の知らない人だったら、すぐに目をそらしただろう。確かに抱かれている人は知らない。一年上なのは校章のバッチの色で分かった。でも同じ色のそれを付けるもう一人は、ボクの知っている人だった。

 思考がぐるぐる回る。疑問符ばかりが浮かんでくる。なんで、の問いはその数を増していく。その時点でボクは彼女に惹かれてしまっていたのだと気付かされた。たった一日の邂逅だったのに、ボクは彼女を必要としていた。だからこそ、この風景は──痛い。この感情は言葉にできるものなのか、ボクにはよく分からなかった。嫉妬?……違う。怒りじゃなくて、もっと切なく繊細なもの。ふと、彼女の一言がよみがえる。──残念ながら、私は男に興味がないのだよ──やっぱり、ボクは彼女にとって意味のないものなのかな。ボクの身体は、女の子とは違う。どれほど女の子らしくあっても、それゆえに、女の子『らしく』でしかない。ボクは、ボクは──。

 静寂は急に破られる。

 気付いたときにはボクの手から鞄が落ちていた。地面はそれを呼んで、騒がしく存在を主張させる。息を飲むボクは鞄から隙間へと目を向けた。彼女と視線が合う。ボクは耐えきれなくて目をそらした。ずるいことをしたのはどっちか、もうそんなことどうでもいい。ボクはもう一人の生徒に気付かれないうちに鞄を廊下から奪って、逃げるように美術準備室をあとにした。

 ああ、視界がぼやけている。玄関はどっちなんだろう。ボクは前に進めているのかもわからない。歩みがやがて止まる。頬に伝うしょっぱい水は、きっとボクの心だ。この泉が枯れ果てたら、すべて元通りになりますか?我慢すれば、この思いを閉じこめれば、彼女は幸せになれますか?もしそうなら、ボクはそれを選ぼう。難しいことじゃない。難しいことじゃないんだから……。

 だから、そんなに優しく後ろから抱きしめないで。こんなに早い結末だったけど、あなたに会えて嬉しかったから。

「そんなこと、言わないでくれ」

 でも、あなたは彼女を選んだ。ボクはどう悪あがきしても男になるしかないなら、あなたの理想にはなれない。

「違う、話を聞いてほしい」

 これじゃ、あなたの方が男みたいだ。泣きたいのか、笑いたいのかわからなくなって口元が歪む。彼女は抱きとめる腕を弱めない。強く打ちつけつづけていた鼓動と逃げ出したい気持ちは自然に静まっていく。けれど、消えない。この痛みだけは。

「彼女のことを好きでやったわけじゃないんだ」

「ひどい人です」

 反射的に、そう言っていた。あなたは好きでもない人を抱けるの?あんな、甘い囁きを誰の耳元へでも伝えられるの?そんなずるいことってない。

「あの人にもそうやって言うんですか? ……君のことは愛してないんだって。あの人のことをあんなにして、それでも愛してないんだと」

 彼女の腕をとると、力なくしがらみは解けていった。ボクは向き直り、涙を制服の袖で拭いた。今のボクがどんな顔をしているのか、彼女の瞳からはうかがい知ることができなかった。無言の彼女に、ボクは別れを告げる。

「彼女を、選んであげてください」

 今のボクは、うまく笑えているんだろうか、よくわからなかった。

「ボクは、あなたに会えて本当に楽しかったです。……ちゃんと名前も呼べなかったけど、あなたに触ってもらって、すごくどきどきしたけど、恥ずかしかったけど、それ以上に、嬉しかったです、だから」

 だから、これで最後にしましょう。傷付くのはボクだけでいいから。

「あ、あの、なんかシリアスなシーンおじゃましてすみません」

 新たな声に足が止まる。ほんとは足を止めるべきではなかったのかもしれない。でも、ボクは立ち止まり、振り向いた。

 さっきの女生徒がふたりの様子を見ていかにも挙動不審な様子であわてていた。

「わ、わたしにはなぜこんなことになっているのか全く理解が追いつかないのですがっ」

 ボクより背の高い冷静な彼女も首をすくめる。

「さっきから全く話を聞いてくれないんだ、おかげでちょっと修羅場。代わりに説明願いたい」

 頷いた女生徒は一度何もないところでつまずいてから、ボクに向き直った。背はボクと同じぐらい。さっきはしていなかった眼鏡をかけていた。

「簡潔に申し上げますと、私、部長にマッサージをしてもらってたんです。確かに体勢は怪しかったですが……」

 ……さて、状況を整理しようか。ボクは何を見て、何を見てないのか。それとも、その余裕すらないのだろうか。

「そもそも、のぞき見したのはどこの誰だったかなぁ?」

「私は肩周辺のマッサージしか受けてないんですけど。なぜあごを触っていたのかはよくわからないですが」

「あれは顔の引き締めだ。ちゃんと意味があってやってるんだぞ」

 涙が引っ込んでいく、それはもう鮮やかに。驚くぐらい。なぜ、ボクを美術準備室へ連れ込もうとしてるんですか二人とも!

「何、君も同じことをしてもらいたいんだろう? 乙女二人にされるなんて天国じゃないか、これ以上何を望む?」

 私を困らせた罰だ、と最後に彼女──菜月清華(なつきさやか)さんはにんまりと笑うのだった。


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