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39th.love:望み

 ……目を覚まし、今日はどうしようかと思ったけど、今度は違う方向に進むことに決めた。まだ雨宿りできる場所を見つけられていない。この世界の仕組みについてはもう諦めることにした。その先がないのならば、今のこの世界の中、新しいものを見つけるしかない。私は一歩を踏み出した。

 しばらく彷徨っていると森を見つけた。どのくらいの規模なのかはわからない。迷う心配もあったけど、そのときはそのとき、と腹をくくることにした。食事をとらなくても平気なところ、死ぬことはなさそうだったし。そこは轍もない場所だった。私しかいないのならば、それも当然だ。自分がどこに向いているのかもわからないまま、森の中を進んでいく。白い毛は土に汚れて、落ち葉はちくちくと痛い。それでもどこに続くような気がして、彷徨い続けた。

 ……どれくらい進んだのだろうか。足を止めたくないのに、身体が言うことを聞かなくなり始めていた。それでも、それでも、と意地になって足を進める。でも限界だった。疲れないはずなのにな、と苦笑したけど、頬は引きつるだけだった。私はゆっくり、意識の泥に沈んでいった。

 ……瞳をこじ開ける。しばらくぼんやりとして、ピントを合わせることに努めた。そこは森でも、雑草の続く平野でもましてや湖でもなかった。頭に静かな感触があって、それは私の背中をなでていた。悪い心地ではなかった。私は全身であくびをして、そこから降り立った。今までいた場所のほうへ目を向ける。そこには、見たことのないものがいた。私とは身姿がまるで違う。大きな存在だったそれを私は警戒した。なんと呼べばいいかわからなかったし、どう対処すればいいのかもわからなかった。

「心配しないでいいわ」

 ……それが私にわかるように伝えたのか、それの言葉を私は元から理解できたのかわからなかった。わからない存在に対して、しばらく畏怖していたような気がする。それは自分が人間であることを伝えた。人間とは何か、と私は問うてみる。それは表情を変えずに、よくわからないわ、といった。その言葉は本心からのような気がした。私は静かに警戒を解いていく。なんでこの世界にいるのか訊くとそれはしばらく黙り込み、そうね、と言葉を紡いだ。

「あなたに名前をつけてあげようと思ったのよ」

 私は驚いて、それを見上げた。それでもそれは表情を崩さない。それを微笑みと呼ぶと知ったのは少しあとのこと。それより、名前をつけることの意味を思い出す。誰にそれを教わったのかは知らない。最初に与えられた情報の一つだった。

「私が、色々なことを教えてあげる。この世界から、羽ばたくために」

 それは自分の名を名乗り、それが女性であることを知った。女性に対する代名詞はそれではなくて彼女。彼女は黒い長袖と同じ色のズボンをはいていた。人は洋服というものを着なければいけないらしい。絶対というわけでも、いつまでも着ているわけにもいかないけど、基本的には裸で生活することはない。彼女と私がいる場所は木で建てられた小屋。ここには最低限のものが揃っていて、ここからでないで暮らすことができた。この世界で食事が意味を持たないのは人間も変わらないようだった。

 私はしばらくこの小屋の中で、色々なことを学ぶことになった。いろんな言葉を覚え、自分が何であるかを学んだ。私にとっては彼女から与えられるものがすべてで、受け入れられないものはなかった。私は外の世界のことを考えるようになっていった。そこで待っているのは試練だということも、使命とは絶望的までに苦しいものだということもわからずに、夢だけを描き続けていた。

 彼女は、いつものように私に話しかけた。穏やかな微笑みと瞳をたたえて。それは、初めてのお誘いだった。この世界を出て、違う場所へ行かないか。私は冗談だと思って聞き返した。そんなこと、できるのかと。彼女は頷いた。

「でも一つ、条件があるのよ」

 私は、向こうの世界に行くために人間にならなければならないという。彼女も、向こうの世界では猫に変わるらしい。なぜ、猫と人間なのか。その問いにはわからない、と彼女は答えた。そして、一度変身してしまうと二度と元の姿に戻ることができないといった。この世界に戻ることができても、猫になることはできない。今の二人の関係とは真逆になるのだ。私は三日三晩悩んだ。もちろんここではない世界には強く憧れた。だからといって……。

 充分に考えた上で、結論をまとめた。私は、この世界を出ることに決めた。保証がないことは心配だったけど、なんとかなると思った。人間になることにも憧れた。彼女に伝えると、早速身支度を整え始めた。彼女が用意しているのは私のための服だった。

 小屋を出て、森を抜ける。彼女は地理を知っていたのか、迷うことはなかった。私には抜けられない壁の前で彼女は何かをつぶやく。何のきっかけもなく、彼女は頷いた。私は彼女の後ろをついていった、そこには壁なんてなかった。彼女の足取りに迷いはない。どこがその境目だったのかはわからなかった。気付いたら、違う世界に来ていた。そろそろね、と小さく言う彼女。

 次の瞬間、一気に視界が高くなった。下のほうから声がして、私はその指示に従った。人気がないところでよかった。私は裸身で、なだらかな胸や白い肌を晒していた。素肌のままでいることは寒いし、それ以上に恥ずかしい。私は恥ずかしいという感情を感覚的に理解した。あわてて鞄を開け、とりあえず上にあるものを引っ張り出してそれを着た。それは私の身長にちょうどよかった。昔の洋服を持ち出してきたのだという。とっておいてよかった、と今となっては黒猫となった彼女が苦笑した。

 再び彼女の後ろをついていく。どこの商店街に出た。けど、誰かがいる気配は全くない。彼女と私はそれが来るまで待つことにした。しばし沈黙が続く。あまり穏やかではない空気がここには流れていた。程なくして、暗闇より黒いスーツを着た男が現れた。夕暮れにそれは決して溶け合おうとはしなかった。二人とも彼が話を始めるまで待っていった。柔らかな表情を浮かべているように見えて、その逆のような気がした。彼は決して自分の身元を明かさなかった。そして私たちのことについても質問することはなかった。無機質な口調で彼は言った。

「これからは別行動をしていただきます」

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