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35th.love:静かな畏れ

 季節を思い出したかのように雨は降り始めた。あのあと、雨は降り止むことなくコンクリートを濁った色に湿らせていた。ボクは不機嫌そうな空を眺めて、授業が終わるのを待っていた。チャイムが鳴って、ボクは清華さんのクラスに顔を出した。彼女に声をかけると、輝いた瞳でボクを見つめた。……その一瞬前まで、ひどく怯えた表情をしていたのに。

 怖くて外を歩けない、という内容のメールをもらったのは今日の朝のことだった。学校と逆方向の彼女の家まで、ボクは迎えに行くことになった。早めに家を出て、彼女の家のチャイムを鳴らす。ベル越しにボクの声を聞いて安心したのか、彼女は玄関から出てきた。身だしなみはしてきたようだったけど、目の下のくまがひどい。おはようと声をかけると、彼女は急に抱きついてきた。

「ずっと一人だったんだ」

 怖かった、とひたすら連呼する。ボクは、なんで彼女がこう変わってしまったのか理解できなかった。壊れてしまった、と予感した。それとも──壊してしまったのか?家で何かあったのかもしれないし、まだ予想でしか語れない状況だった。でも、昨日の彼女とは違う。それだけははっきりとしていた。

 彼女と手を繋いで、学校まで向かった。彼女は終始おどおどとしていて、顔を上げてはまたうつむき歩く。ボクは頭をなでて、誰も危害を加えようとする人はいないんだと言い聞かせた。けど、耐えられなくなるのかすぐにまたうつむいた。ボクはそれ以上の無理強いをせず、彼女の手を引いていた。

 坂の前まできて、美緒先輩に会った。彼女はいつもの子供のような笑顔を凍りつかせた。彼女と目があっても清華さんは笑いかけもせず、ただぼんやりとした目で彼女を見つめるだけだった。泣きそうなまなざしをボクへと向ける。

「りっちゃんくん……何かあったですか?」

 ボクにも何があったのかわからない。だからボクはただ首を振った。

 坂道、ボクたちの空気は呼吸がしづらくなるほど重く、三人とも無言のまま校舎へと入っていった。靴を履き替えるのにも彼女はついてきて、決して離れようとはしなかった。二度手間になるとはわかっていたけど、ボクは内履きを彼女の下駄箱まで持っていき、そこで履き替えた。それから外履きを自分の下駄箱へと片付けた。

 さすがに教室は正反対なので、別れようとした。けれど手を離そうとはしなかった。ボクは美緒先輩に目配せをしたけど彼女は苦い顔をするばかりで、結局教室までついていくことになった。別れの挨拶をする。行ってもいいけど、また戻ってきてくれと言われた。清華さんはまるで親とはぐれた子供のように、辺りを不安そうに見回した。ボクは目を伏せ、彼女に背中を向けた。

 どうしてこんなことになっているのか、ボクは原因を探ろうとした。昨日までの彼女とはまるで違う。まるで……昔の彼女に戻ってしまったかのようだった。話でしか知らない、内向的でふさぎ込むような彼女に。

 昼休み、ボクは清華さんの教室で彼女のことについて考えていた。隣の人の席を貸してもらい、何かあったら対応できるように努めた。純平と会ったのかもしれないと思い訊いてみたけど、それはないと否定された。それに彼女は言っていた、ずっと一人だったと。それは比喩であり、事実でもあるようだった。それなら一人でいたときに、何があったのだろうか。何かを思い出したのか……でも、何を?

 彼女が不意にボクの肩をたたき、ボクに呼びかけた。

「なあ、この人たちは何を考えているんだろう」

 周りを見回し、首をかしげる。そんなの、誰にもわかりようがないことだ。だから、普通はそんなことを考えないでいる。考えないように、している。

「私は、それを考えずにいられないんだ。これっておかしいか?」

 ボクは、最初曖昧に答えを濁そうかと考えた。でも、すぐに思い直す。ここで正直に答えなければ、きっと彼女はまた悩んでしまうと思ったからだ。

「うん、おかしいよ。そんなこと、誰もわからないよ。だって、今清華さんが考えていることすら、ボクにはわからないのだから」

 そうか、と彼女は頷いた。しばらく考え込むような素振りを見せて、彼女は切り出した。

「あのな、律。私はいつもの私なんだ、それをわかってほしい」

 その言葉に安心する。ボクの考えていることが杞憂で終わったからだ。

「ただ、自分でもわからないぐらい、人に対して恐怖心を持ってしまっている、今は律の言うこと以外信じられないし信じたくない」

 だからって、このままでいるわけにはいられない。ボクがそうであったように。

「清華さん……ちょっとずつで今はいいから、心を開いていこう。確かにいいやつばかりじゃないけど、少なくともボクの知る中では、本当に清華さんを傷付けたい人はいないんだから」

 純平にだって、彼女を傷付けなければいけない『理由』があったはずなんだ。例えそれが許されないことであったとしても、その理由がわからなければ解決にならない。ボクは彼女のためにすべてを明らかにする必要があった。そして、彼女が不条理に巻き込まれたとき、彼女自身がそれに負けない強さを手にする必要も。それだけは、ボクが手に負える相手ではなかった。理由のない暴力だって存在する。ただ純平はそうじゃないと信じていた。だからこそ、彼とは対峙しなければいけない。

 努力してみる、と彼女は頷いた。まずは友達と会話してみよう、とボクは背中を押してあげる。たどたどしい口調で、彼女は友達の輪へと入っていく。急に大人しくなってびっくりしたんだよ、と彼女たちは清華さんのことを心配してくれているようだった。彼女が生徒みなに好印象を持たれていたことは前々から知っていた。ボクは彼女に目配せをして、教室を出て行った。

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