32th.love:青い鳥はどこに
──かあさまが新しい洋服を買ってくる度、ボクはそれを着るのが楽しみで仕方なかった。フリルのついたワンピース、細身のジーンズ、七分丈のロングシャツ。それらに袖を通すことを考えただけで胸がわくわくして、またそれらを着たときの喜びは両親に愛されることの次に嬉しいことだった。コーディネートはもちろんかあさまだ。鏡の前でかわいらしくなっていくお姫様。まだ幼かったボクは自分が女の子であることを疑わなかったし、それを望んだ。かあさまは満足したように鏡越しに微笑んだ。パパにこの姿を見せる。パパはどこから取り出したのかカメラを用意してボクにポーズをするように言った。フラッシュに目をつむってしまって、もう一回。今度はちゃんと撮れたみたいだ。かわいい、と呼ばれることが何より嬉しかった。愛されていると知ることができたから。認められることが、ボクの世界の土台だったから。
幼稚園のころのアルバムを眺める。そのころから女物の服を着ていた。ボクは最初からそのつもりで生きてきた。幸い、そのころはまだそれを咎める人もいなかった。
ボクは汚れてもいいような服に着替えさせてもらって、外へ遊びに出かけた。公園に行くと友達が待っていた。今日は何の遊びをするか相談して、じゃんけんをする。女の子の友達が多くて、男の子とも遊ぶようになったのは小学校に入学してからだった。今日はかくれんぼ。ボクはじゃんけんに勝った。一目散に駆けだして、鬼に見つからないような場所を探す。いつ見つかってしまうかはらはらするのと同時に、このまま見つからなかったらどうしようと不安になったりもした。結局、最初のほうに見破られてしまうんだけど、それでなぜか安心できた。昔から心配性だったのかもしれない。見つかった瞬間困り顔をしながらも、心の中では胸を撫で下ろしていた。
服を汚して家に戻る。服を脱いで、今日着飾った服を着直した。手洗いうがいはしたの、とかあさまに言われてもちろんといわんばかりに頷いた。頭をくしゃ、となでる彼女の手は冷たくて心地よかった。そんな満たされかたをしてボクは育っていった。
やがて小学校に上がり、見知らぬ顔が増えていった。低学年のころというのはあんまり男女の意識がない。男の子も女の子も混じって同じ遊びをした。その中で知り合ったのが真枝純平だった。クラスのガキ大将で、みんなをまとめることはうまかったけど、同時に先生を困らせる厄介者でもあった。けど、その背中はボクから見てみればとてもかっこよくて憧れだった。彼のようになにごとにも物怖じせずに立ち向かっていければいいのにと思った。
そんな彼と知り合うようになったきっかけは、実は覚えていない。何かきっかけがあったのかもしれないし、自然にお互い仲良くなったのかもしれない。そこはあんまり思い出せず、また気にする必要もボクはないと思っている。
ボクは彼の背中についていくようになっていた。彼は邪魔だとも、いていいとも言わなかった。そのかわり、この町のいろんなことを教えてくれた。ボクは記憶にこの街を刻んでいく。視野が広くなってよかったし、それと同時にこの街が不意に見せる様々な景色を見ることができてボクは幸せだった。
学年が上がっていくにつれて、自分は何者なんだろうという思いが膨らんでいった。女の子と男の子の身体の違を特別授業で教わったのがきっかけだった。ボクの身体は、男の子のそれだった。体育も男女別になって、自分は男子に振り分けられた。納得がいかなかった。ボクは体力もなかったし、何より女の子だと疑わなかったからだ。でもこの感情をどう伝えればいいのかわからなかった。だから黙って先生の言うことを聞いていた。けど、そのうちに違和感はどんどん膨らんでいく。ボクはそれを抱え込んだまま学年を上がっていった。
ボクの味方がどんどん減っていくような気がした。そのかわりボクのことをおかしい、という人たちが増えていった。その言葉はボクの気持ちを代弁するものではなかった。むしろボクを排除しようとする意思だった。ひそひそ話だった言葉が、徐々にボクへと向けられていく。ボクはその言葉に耐えられるほどの心の強さは持っていなかった。
それでも、ボクは女の子として生きようとした。両親に悲しい顔をしてほしくなかった。ボクがこの格好をすることをやめたい、といったらきっと、その理由を知ろうとする。そのことを話したらどうなるだろう。きっと今以上にひどいことになるんじゃないだろうか。そう思うとそれがすごく怖くて、どちらにも縋ることができなかった。ボクは大事な親友のことも忘れて、やがて図書館や保健室にこもるようになっていた。