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31th.love:傘一つ(告白:Outro)

 眩暈をこらえる。怒りと後悔が静かにボクを襲う。ボクはそれをこらえて、言葉を返した。

「いつまでも、そうやっていくつもりなんですか?清華さんは辛い辛いと言って逃げているだけだ。それじゃ、いけないんですよ」

「じゃあどうしろっていうんだ! このまま私はお前の見えないところで吐き続けなければいけないのか?」

 彼女はボクを睨み付けて、慟哭する。そうじゃない、そうじゃないよ清華さん。ボクがその苦しみから解放してあげるって言ってるんだ。

「ボクは絶対にあなたを傷付けないし、他の人だってあなたに危害を加えることはないんです」

「ふざけるな、誰がそんな理由もない詭弁を信じるかっ」

「……純平にはボクから話をつけます。もし清華さんを傷付けるような人がいてもボクが守りますから」

 子供のように頭を振り始める清華さん。嘘だ、とだだっ子のように言葉を繰り返す、泣きじゃくりながら。

「口だけならいくらでも言える」

「そうですね、だからボク自身で証明してみせます」

 ボクは彼女に即答してみせた。ボクの中に、迷いなんてものは存在しない。清華さんは百面相のように表情を変えていく。自嘲じみた微笑みで、口元を歪ませた。

「だったらやってみろ」

 そうですね、と言いながらボクは彼女に右手を差し出した。ボクは、その手で彼女の涙を拭いた。ボクの一挙一動に彼女は身体を震わせ、足は静かに後ずさりする。それでも、慎重に彼女に近づき、静かに彼女の涙を拭ってやった。ボクは泣きそうだった。でも、ここで泣いてはいけない。辛いのはボクじゃない。優しさを信じられなくなった彼女なんだ。

 はたして、彼女は怯えこそは示したものの、それ以上の拒絶を見せることはなかった。我慢しているのかもしれない。でも、そうだとしてもそう考えてくれただけで大きな変化だと思う。

「吐きそうですか」

「……そこまでじゃ、ない」

 人にとって、一番の恐怖は『わからないこと』だ。想像の悪魔は、時に現実のそれよりも凶暴な振る舞いをする。予想は実際をはるかに超えて恐怖するものの心を蝕む。だったら、その恐怖はまやかしなのだと、直接示してやればいい。そのやり方は色々あるだろう。でも、少なくとも言葉だけでは足りない。態度だけでも伝わらない。清華さんはボクを知っている。女装していたってやめたって、その態度は変わらないことを教えてあげればいい。そこから徐々に、心を広げてあげればいいんだ。

「ボクは、ボクです。清華さんと出会ってから、今日の今まで、ずっと清華さんが好きなままです。たくさんあなたのことを知って、なおあなたをもっと知りたくて仕方ないんです。辛かったらボクに伝えてください。全部受け止めてあげます。そしてそれは恐怖じゃないんだ、ちゃんと理由があるんだよ、と教えてあげます。ボクは、あなた──菜月清華さん──を、愛しています」

 雨が、降り出した。今日は晴れだと言っていたのに。暖かい雨の匂いが、鼻につく。それでも、ボクたちは濡れ続けた。雨に涙を紛らすことはできなかった。涙は出なかった。清華さんはどうすればいい、と大声を上げて泣きはらした。

 ……風邪をひくと思って、ボクは彼女の手を取ってお台場まで戻ることにした。小さく震える手は雨に冷たく、濡れていた。彼女を壊してしまわないようになるべく優しい力で掴み、導いた。雨をよけられる場所に来た二人は腰を落ち着けた。壁に背中を預け、力を抜いた。なんで、こんなときでもボクの心は穏やかなんだろう。ボクの心は実は知らないうちに麻痺していたんじゃなかろうか。力のない笑みが浮かんでくる。ボクは思い出したように彼女の手を離した。

「今のボクを、ちゃんと見てください。清華さんの気持ちがまだ変わらないのなら」

 ボクが彼女に視線を向けると、彼女はボクに視線を合わせようとした。何度か試みたのち、彼女は諦めてうなだれた。ボクは気にせず、また前を向いた。

「……ろくに視線も合わせられない。気持ちは変わらないのに。ちゃんと君……り、律を、みたいのにっ」

 泣き叫ぶ声が階段を反響する。誰か来るかと心配はしなかった。ボクは黙って彼女が泣きやむまで待ち続けた。帰ろう、と清華さんを促すと彼女は頷いて、ボクの後ろを付いてきた。きっと直視しなくてすむと思ったんだろう。ちゃんと見てほしいって、そういうことじゃないんだけどな、と苦笑をしながら、ボクは階段を下りていった。

 彼女は一旦自分の教室へ戻った。ジャージに着替えてくると言われ、制服がびしょ濡れだったことを思い出した。のくも彼女にならって着替えることにした。口約束もしなかったけど、清華さんは玄関で待ってくれていた。

「か、勘違いするな。ちゃんと律が来てくれるか心配で仕方なかっただけだ」

 ボクは頷きだけを返して下駄箱へと向かった。彼女も納得いかない顔ながらも靴を履き替えに行った。玄関を出て、ボクは傘を持ってきていないことを後悔した。清華さんが大きめで黒い傘をさす。

「入っても、いいですか?」

「……勝手にしろ」

 彼女はいつかの、けれど投げやりではない言葉をボクにくれた。もちろん、辛いようだったら離れるつもりだった。彼女はそっぽを向いていたけど、拒絶することはなかった。言葉もなく、二人は歩いた。清華さんが途中で店に寄るというので、そこまでついていき、そこで傘を買うことにした。安いビニール傘を買って、ボクたちは店で別れることにした。別れ際、彼女が言った。

「わ、私も、律が好きなんだ、今は何もかもが怖くて、本当はすべてから逃げ出したいんだ、でも律がいるなら……」

 そこで言葉を切って、彼女は首を振った。

「また、明日」

 ビニール傘が透過して低い空を見せている。ボクは彼女が去ってからそれをぼんやりと眺めていた。

 家に帰ると、ボクを一目見たかあさまがボクをいきなり抱きしめてきた。今までしてくれた抱擁の中で一番強かった。ボクはそれに身をまかせる。自然と、涙がこぼれて止まらなくなった。どうしてなのか、あやふやで説明がつかない。泣いている理由はなんとなくわかる。でも、本当は、ボクに泣いていい資格なんてないはずなんだ。

「りっちゃんはすごいよ、すごくがんばった顔してる。だから、辛いことがあったなら私にちゃんと言ってね。私は全部受け止めてあげるんだから」

 かあさまは、ボクと同じことを言う。やっぱりボクと清華さんは似たもの同士なのかな? だから惹かれあった部分もあるかもしれないな。こういうとき、ボクはどうすればいいんだろう。うまくできるかわからなかったけど、彼女に身を委ねることにした。ほら、味方がいるってことはとても素敵なことなんだよ。だから、ゆっくりでいいから、いつか、ボクの隣をまた歩いてくれますように。

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