2nd. love:つかの間のMeet again.
気持ちのいい朝、教室に着くなり大あくびをしたボクに、彼が苦笑いした。
「おいおい律、かわいい女は大口なんか開けないもんだぞ」
骨太なその声にあわてて口を塞ぎ、会釈をかえす。
「今度から気をつけるよ、純平」
そう、彼に返事をしながら席に着いた。彼の席はボクの前で、黒板に近いところだ。彼はすぐ居眠りをするので教師の面前と授業の始まった早々から決められた。ちなみにボクはくじ引きで決まった。って、別に話すようなことじゃないか。純平と違って教師に目を付けられたわけではないってこと。あと言わずもがな、ボクが男だってことを彼は知っている。
──ホームルームまではしばらく時間があるから、人もまばらだ。もう一つあくびをすると純平が椅子をボクの方へ向けた。部活で引き締められ、かつ筋肉で太い身体はブレザーにとっても似合っていなかった。どちらかと言わなくとも学ランがよく似合いそうだ。彼はボクを一瞥すると、首をかしげた。
「なんだ、昨日寝てないのか?」
たしか、彼の両腕には五キロのリストウェイトが巻かれているんだよなと思いながらあまり寝られなかったことを告白する。もちろん何があったかは伏せた。
「あんまり寝不足ってのはおすすめしないなぁ、ちなみに俺は毎日十二時間睡眠を実践してるぜっ」
「一日って何時間?」
反射的に質問が出てきて、彼は不服そうに顔を曇らせた。
「おまえ、俺を馬鹿にするなよ?そんなの幼稚園児でもわかるっつーの。……ああ、一日は二十四時間だよな、だから」
だから?
「四十八時間」
「あなたはちがう星の人ですかぁ?」
ボクがツッコミを入れる前に声がして、顔を上げる。ちんまい女の子──と言っちゃ失礼だ──がボクたちに向かって腕組みをしている。今時、蛙のキャラクターがあしらってある髪飾りなんて幼稚園児でも付けないだろう。
「おはよう、美緒先輩」
「おはようです、りっちゃんくん」
挨拶もそこそこに、彼女は質問に戻った。
「というか一回答えが出てたじゃないですか」
「それは、納得できなかったからだ」
訝しげに眉を寄せる先輩。その仕草もちょっと愛らしい……別に惚れてるわけじゃないから、そのへん勘違いしないように。納得できなかったとは、と説明を促す彼女。
「一日が二十四時間だとしたら、俺はその半分眠りこけてるということになっちまう」
きっとそれ、事実。十二時間睡眠を実践しているのなら。
「だから、保険として倍にしてみた。どうだ」
「あなたの保険のために地球の自転のスピードを遅めるのはやめてくださいです」
冷静な(しかも知識ありげに)ツッコミを入れるさまと制服を着た小学生のギャップがすさまじい。いや、ませた女の子としてみればいいのかな?
「いや、昼と夜が二回来ることにすればいいんだ。そうすれば地球のことを心配せずにすむ」
というか問題が地球規模に発展してるよさっきから!これ以上話し合ったところで平行線は避けられそうになかったので割り入って話を中断させた。なんでそんなに不服そうなんだ二人とも。ツッコもうか悩んだけど、さっき純平の話に納得しかけてなかった美緒先輩?
「そ、そんなことないですよ?むしろそれ二日間でいいじゃんと言い返そうと思ってましたですよ?」
それは全くツッコみきれてない。くだらない話をしていると時間の消化が早い。そろそろホームルームの始まる時間だ。教室に戻るように彼女に促す。
「でも、その前に」
首をかしげるボクの隙を突いて抱き付く。背の低いボクより小さな少女は満足そうに溜め息をつくとぽつり、呟いた。
「君が女の子だったらいいのに」
言ったあとで気がついたのか、すぐに顔を上げて舌を出す。謝るほどのことじゃない。でも彼女の謝り方は心から伝えてくれるそれだから胸心地は悪くならない。
「またおやすみ時間にねー」
それって就寝時間じゃないのというボクの疑問は口に出さなかった。ボクたちは元気娘を見送ってからホームルームが始まるまでの時間雑談をしようと二人の会話に戻ろうとした、そのとき──。
「お、どうした?」
ボクは彼のその問いに答えられなかった。視線と意識は違うほうを向いて止まってしまった。肩に掛かる黒い髪は廊下を歩くスピードに合わせて揺れる。ボクの世界はゆっくり時が流れた。見える角度が変わるにつれて、見える表情が露わになっていく。首元のほくろ、すっきりした頬は笑うとえくぼになる。モデルのような鼻、主張しすぎることのないそれには細めの瞳が似合う。前髪は垂らしっぱなしだった昨日とは違い、ヘアピンで分けてあった。視線を落とせば小振りな胸。もう一度、視線を上げる。
目が合う。一番静かに遅く、時間が流れる瞬間。
昨日は見られなかった表情──瞳を大きく開け、口を開くそれはきっと驚きだ。新たな発見とまだ残る照れくささでボクの頬はゆるんでしまう。ボクはあとで、と口パクで告げてみる。彼女は──頷いた。きっと、伝わったのだと思う。そう思いたいという願望ではありませんように。そうして、時間はスピードを増し、元のそこまで戻った。彼女を隠すように教師が入り、またいつもの月曜日が始まる。ボクは静かに唇を指でなぞった。……まだ残っている唇の感触を確かめるために。
授業中、何も手に付かない。黒板の字は確かに読めるのに、写そうという気が起きない。あとで友達のノートを借りよう。純平のは頼りにならない。だって、寝ぼけて宇宙文字を書いているか字が汚いかの二択しかないのだから。しかもその二択、どちらを選んでもはずれ。だったら安全な方を選ぶよボクは。
溜め息ばかりついていたら休み時間、純平に訝しげな表情をされた。
「おまえ、パンクでもしたのか?」
「……なかなかセンスのある質問だと思うよ」
けれど、彼が彼なりにボクを元気づけようとしていることはわかったので嬉しかった。そして、あまり心配させても困るので気合いを入れ直して授業に向かうことにした。昼休みまで、あと一時限。彼女との再会までそう遠くはないはずだ。と、一つ思い直したことがあった。昨日会ったというだけで、ついさっきまでこの学校の在校生だとも知らなかったし、ろくに名前も訊いていなかったのだ。夜の街を散歩してたボクにいきなり声をかけ、唇を奪い、(女としての)ボクを虜にしてしまった彼女。なんでそんな肝心なことも訊かず夜を明かしたんだろう。ボクは彼女のことをどう呼んだんだろう──うまくは思い出せなかった。
ちなみに、彼女は昨日の夜、ボクの首元にキスしたぐらいであとは頬ずりとか猫なで声を出しながら悶えてました。それ以上の展開はないんですから。勘違いしないよーに。




