16th. love:黒猫と新たなセカイ。(A)
下校時間になって、ボクは一人玄関を出た。いつもの面々はみんな部活があるといっていた。最近は一人になる時間が少なかったので、こうなることは楽しくなかった。けど、文句を言っても仕方がないことなので素直に帰ることにした。未練がましく一階の美術室のほうへ目を向ける。窓際の席で清華さんは何かをデッサンしているようだった。ボクの視線に気付いたのか、彼女がこっちを見て手を振ってくれた。ボクも手を振り返す。それだけで心が軽くなるなんて、ボクも単純だなと苦笑しながら彼女に背を向けた。
寂れた商店街は一日中店を開いている様子はない。そろそろ夏服の季節だというのに、どこかひんやりとした空気。早くこの通りを出ようと早足になる。それに、後ろに感じる小さな気配。振り向かないように、通り過ぎようとする。
「おぉい、ちと待たんか」
背中を撫でられたかのようにぞわぞわした感覚が走り抜けた。反射的に駆け足になる。
「こら、年寄りをいたわらんかぁ」
年寄り?確かに声はしわがれているし、いや、もしかしたら老人の亡霊なんじゃないか?不況に耐えられなくなって孤独死した……とか、うわぁ、想像しただけで鳥肌がやばいよ!
「わしを勝手に殺すなぁ!」
うわ、怒鳴られた!運動不足がたたって、ボクは徐々に力尽きていった。やがて息が切れて立ち止まった。そこに一匹の黒猫がやってきて、ボクの足下にすり寄ってきた。ボクを一瞥し、一声、しゃべった。
「おまいさんはブチネコがくわえとったしおりとやらを探しているんじゃろう?」
いや、猫がしゃべるはずない。ないない、ありえない。ボクは現実に立ち直ろうとした。
「いいかげんこれが現実だと理解せんのか?」
猫に何かスピーカーでも取り付けてあるのかな?ボクは猫を抱え上げてそれらしきものがないかチェックすることにした。
「あほんだらぁ!!!」
……頬がひりひりする。ボクが何をしたっていうんだ。痛みで猫を手放すとくるりと一回転して地面に着地した。
「ったく、年寄りだからって馬鹿にしよって……これでも乙女なんじゃからな」
はは、またご冗談を。どこまで冗談なのかはわからないが、少なくとも猫の身体には何もなかった。そしてこれからボクがとるべき方法は二つ。幻聴だと理解してこの場から立ち去る。あるいは幻聴だと理解してこの猫(幻聴)に従う。
「あくまでわしがしゃべっとるとは認めんのじゃな?」
ええ、そのつもりです。だってあり得ないし。ただ、しおりのことを知っている以上、この猫(の幻聴)に従ってほうが得策だと思った。
「そういや、おまいさんは羊男を知っとるかね?」
全く要領を得ない質問本当にありがとうございます。ボクは首を振った。それなら仕方ないか、と首を振る猫。いや、仕方なさそうに見えただけだけどね!
「わしの仲間内のようなもんじゃ。適当にヒントを投げかける。まぁわしは客引きをするカーネル・サンダースに近いがな。答えまでは知らないが、道案内だけはしてやるのがあいつじゃ。それに引き替え、わしは答えまで知っとる。両手を挙げて喜べ、らんらんるーよろしくな」
最後の呪文みたいなのが一番理解できなかったんだけどどうしよう。
「考えるな、感じろ」
何でこのタイミングでそのセリフが出てくるんですか!ツッコミを猫はさらりとかわし、話を切り替えた。
「とりあえずブチネコのいる住処まで案内してやろう。あいつのことじゃから大事に持っているに違いない」
そう言いながら先頭に立つ。所々汚れているのを見ると、野良猫なのだろう。後ろ姿はどこか凛々しく、なぜかボクの恋人を思い出させた。商店街の裏路地を入っていく。狭い道の側に立ち並ぶのは造りの古く傷や汚れの目立つ家々。盆栽や花壇が置かれているので、人が住んでいることは予想できた。あの商店街の住人だろうか、多分その人たちも含まれるのだろうなと思った。
どんどん奥まったところへ行くと方向感覚がつかめなくなっていく。もしかしたら違う世界にボクはきていて、この非日常もそのせいなんじゃないかと思えてきた。そのほうが自然だし。走ったときだって、いやに商店街が長い気がしたし。
「世界は開かずの扉だらけじゃ」
ボクの心を読んだかのように、黒猫はつぶやいた。
「わしらはさしずめ開かずの扉を開けるための鍵。なに、この仕事もずいぶん楽しい。おまいらのいう『せかんど・らいふ』みたいなもんじゃ」
じゃあ、最初からこの役目をしていたというわけじゃないんだ。そう感想を述べると猫は鼻を鳴らした。
「いつのころからこうなったかはもう覚えとらん。もしかしたら以前はヒトじゃったかも知らん。まぁ、それほど遠いことの話じゃ。そんなことはもういい。世界はなぜ閉ざされる?……いや、言い方を変えよう、世界はなぜ事実を隠蔽する?」
人が何かを隠したくなるときはその人にとってそれが不都合になる場合だと思う。
「それは、世界にとっても変わらん。不都合を隠蔽することによって世界の均衡を保つ。それがこの地球がまともに回るためのプロセスじゃ。今の世、正直なのは機械だけなもんじゃろう」
しおりに、何かあるのだろうか?そこまではわからない、と歩みを進めながら猫は首を振った。どこか遠くの方を見つめる。気付けば、ただっ広い空き地にきていた。相当な敷地で、雑草が我先にと背伸びをしていた。
「ここは現実世界でいうとおまいの通っている学校といったところじゃな」
不意に立ち止まり、猫はこれが平行世界なのだ、と簡潔に説明した。
「世界というのはいくつもの可能性が平行線状に広がっている。人間の生きている現実というのは可能性を一つ一つ選択しているに過ぎん。そしてその結果が知られることはあり得ん。また違う可能性を選んだ場合もしかり」
まあ難しく考えるな、と頭を抱えるボクに告げた。
「この世界の秘密をおなご一人が知ったところで改変は起きん。せいぜいわしのような猫がいたことを覚えておるだけじゃ。もちろんしゃべるのは幻想だと記憶してのう」
さて、ブチネコのところへ行こうと黒猫はまた歩き出す。ボクはそれを見失わないように着いていった。雑草が痛い。こんな場所で頼りになるのは猫以外にいなかった。しばらく歩いて、猫の歩みが止まった。視線をその先へ向けると、一匹の猫が寝転がっていた。その側には金属製のしおりも見える。猫もしおりも美緒先輩が言っていたそれと一致する。安らかな寝顔だったけど、警戒するようにと黒猫は注意した。
「おまいはなぜここに辿りついた?ただの野良じゃろうに」
猫は黙ったまま答えない。あるいは答えたくないのかもしれない。黒猫がしおりへと近づこうとすると腕で牽制される。寝たふりをしているようだった。どうもやりづらいなと黒猫は一鳴きした。