12th. love:独白
教室からはボクの住む町を一望することができる。消失点を超えて続く空は時刻と共にその色を変える。今日は午後休校だったので昼食を前に帰り支度をはじめる。ふと見やった空は青。まるでボクを外へ誘うかのようだった。ボクはさっさと荷物をまとめると教室から出ようと立ち上がった。……うん、だいたいにしてこういうときに限ってうまくいかないものだよね。どうにかして急に捕まれた純平のごつい手をふりほどきたいんだけど、どうしたいいかな。
「ごめん、純平」
「どうした?」
「実は今日、あの日なんだよね……」
彼はその言葉を聞いた瞬間目を見開いて手を離した。あれ、周りまでざわついてる?
「それじゃあ仕方ないか……また今度だな」
よし、今日は何とかまける。周囲のざわめきを気にせずボクは教室を出ようとした。
「って、お前オトコだろうがぁ!」
彼の脳が違和感に気付いたのか、やっとツッコミが入る。純平、気付くのがかなり遅いよ。というかまあその、性別的にはって意味だよね、純平?本気を出した彼から逃げおおせられるわけもなく、廊下で彼につかまえられた。叫んだら先生くるかな?と思ったけど厄介ごとになるのも困りものなのでやめておいた。頬を膨らませてそっぽを向く。
「だってボク関係ないじゃない」
「仕方ねえだろ、他の部員がバックれやがったんだから」
ちらりと視線を戻すと困ったように眉尻を下げた純平がいた。頭を下げ、手を合わせて拝む。
「一生のお願いだ、どうにか手伝ってくれねえか」
「んー……パンツ見せてあげるからそれで勘弁してくれない?」
「パッ、ってだからオトコの下着姿なんか見たくねえっつーの」
なぜそう言いながら頬を赤らめるんですか君は。ちょっときも……いやなんでもありませんよ?まあ、一生のお願いとまで言われると断りづらいものがある。彼の一生のお願いをボクは数え切れないほどには聞いているんだけど。ボクはふてくされながらも了承した。
「おお、心の友よ!」
なんか聞いたことあるセリフですよ?いつものことながら深入りはしないことにして、渋々ボクは教室に戻った。ジャージに着替えろとのことらしい。ニーソックスを脱ぎ、運動用のソックスをはく。スカートは脱がずにズボンをはき、それからスカートのホックを外す。上は別に白の半袖の体操着を着ているので気にせずにワイシャツを脱いだ。おおってなんだおおって。
「っていうかボクの着替え見て楽しいんですかみなさん!?」
なぜかボクの着替える様子を見ているクラスメイト疑問を投げつけつつも着替えを続行した。やっていることは女子のそれと変わらないのに、そんなに物珍しいのだろうか。今度小一時間ぐらい問い詰めてやろうかしら。長袖に腕を通すと廊下から純平がボクを促した。
こういうのって普通一年生がやるもんじゃないの、と彼に尋ねると今回はたまたま陸上部二年の担当だったという。基本的に誰もやりたがらないので掃除しているのは純平と部長ぐらいなものらしい。彼の愚痴を聞いているうちに部室棟に着いた。
校舎から外れたところにあるコンクリート造りのそれは運動系、特にグラウンドで活動する部活のために用意された場所で、有り体に言えば物置だった。片付けがきちっとされている部室などなかった。散乱しているのはお菓子の袋や雑誌。軍手越しでも気持ちの悪い感触を我慢しながらゴミ袋へつっこんでいく。純平はゴミ捨てや整理整頓を文句一つ言わずにやっていて、いちいちリアクションを取っている自分が恥ずかしくなった。
雑誌を積み重ねて机の上に置き、一通り床を掃いたら次の部室へ。全部きれいにしていったらきりがない。ある程度きれいになっていれば文句は出ないとのことで、気にしないことにした。まだ片付けですめばいい。ひどい部屋では袋をどかした瞬間に黒くてかてかした物体ががさごそとうごめいていて、ボクは正直失神しかけた。何とか意識が遠ざかるのを拒んで、我を取り戻す。虫の存在に気付くと純平が退治してくれた。ボクが虫に触れないことを知っているので黙ってしてくれる。そのことをボクはありがたく思って礼を言う。あさってのほうを向いてどうも、と口にする。そのやりとりは昔から、それこそボクたちが出会ってから続く伝統みたいなものだった。そう呼ぶには大げさかも知れないけれど。
最後の部室の片付けが終わると午後二時ごろだった。食堂もやっていないので食事をとるには外を出るか家に帰るしかない。お小遣いもそろっとなくなりそうだったのでボクは後者を選ぶことにした。純平が弁当を教室に忘れたと言ったので彼が昼食を食べ終わるまで付いてやることにした。動いて気が紛れたのか、おなかはあまり減っていなかったので、それぐらいの我慢はできた。ボクが制服に着替え直すのを待って、彼が弁当箱を広げた。食事中の会話の途中で、ボクはなんとなく聞いてみた。
「そういえばさぁ、純平って彼女いないの」
げほ、がは。思いっきり彼が咳き込む。ボクはあわてて麦茶のペットボトルを差し出した。喉を鳴らし、流し込む。蓋をひねったばかりだったそれは半分ぐらいの量になった。
「ごめん、聞かなかったことにして」
「いや、急に質問がきたもんで……気にするな」
ご飯を吹き出さなかったのが不幸中の幸いか。彼はとにかく口の中につっこもうとするので。鼻をむずむずさせたりやたら鼻をこすりながら彼は答えた。きっとご飯つぶが鼻の気道につまったんだと思う。
「まぁ、彼女はいないなあ。つーかいらん。何でそんなことを聞くんだ?」
なんとなくだよ、とボクはごまかした。ほんとはもうちょっとつっこんで話がしたかったけど、立ち入ってもいい話なのかどうかためらった。
「昔は……いないこともなかった」
純平のほうから、言葉が続いたのはこれが初めてだったかも知れない。
「まだガキで、あのころは何もかも自分の思い通りになると思ってたんだよ。実際うまくいっているつもりだった。でも、全部間違ってた……俺のエゴを押しつけて、自己満足にひたったんだ、それで俺は──」
純平がはっと顔を上げる。箸を持つ手はとっくのとうに動かず、白米は軽く乾いてしまっていた。おかずだけを食べ、のっそりとした手つきで弁当箱に蓋をした。
「俺はまだガキだから、もっと大人になったらいい人を見つけるさ」
そういって豪快に笑う。空元気だということは他人の目から見ても明らかだったけれどボクはそれを指摘しなかった。つられて一緒に笑いながら、ボク自身は彼女と正しく接していられているだろうかと考えた。そんなこと、わかるわけもなかった。
教室を出ても、雑談の話題は絶えない。でも恋の話になることはなかった。二人とも、それを避けるかのように本当にくだらない話だけを続けた。玄関に着いて、いよいよ帰ろうとしたところ、大きく泣き叫ぶ声がした。どうしたと純平の声に手振りで応え、声のした方向に目をやる。小さな女の子が廊下で泣きじゃくっていた。手の甲で涙を拭う。彼女に手をやる女子は困っているように視線をさまよわせていた。言葉を投げかけるが、少女は頷きを返すばかり。気付いたらボクの後ろに純平がいた。
「ありゃ、美緒ちんと菜月先輩じゃねえか」
ボクたちは理由を訊きに二人の元へと駆け寄った。