『永遠の家族Ⅴ』
親父達との再会を祝した飲み会は、あれから小一時間ほどで終了した。
互いにいろいろと積もる話もあって話は弾みに弾んだのだが、それに気分を良くした千里さんの飲酒ペースがどんどん早くなり、早々に限界を迎えてしまったからだ。
……と言うか平気で限界を超えて飲む気だったので、俺が強引に千里さんを止めた。
「いやぁ、すまないねキョウ君。あと一杯でも飲んでたら吐くかもしれないところだったよ、あははっ……うっぷ」
「……大丈夫ですか? 俺が家まで送りますが」
「はは、遠慮しておくよ。君がわざわざウチまで来てたら、帰るのが遠回りになるだろう? 上杉さんもいるんだし、キョウ君は真っ直ぐ帰りなさい。大丈夫、一人で帰れるから」
千里さんは朗らかにそう笑うと、改めて親父と母さんの方に向き直った。
「ではおふたりとも、僕はここで失礼します。またしばらく日本を離れられるそうですが、今度はそう長くならないんでしょう?」
「はい、その予定ではいるつもりです。次に帰ってきた時には息子を通じてまた一席設けてもらいますので、どうぞお付き合いください」
「ええ、ぜひとも。では今度こそ失礼します。皆さん、おやすみなさい」
酒気で赤らんだ頬を指で掻きながら、千里さんは少し不規則な足取りで帰路へと向かって行った。
俺達がそんな彼の後ろ姿を静かに見送っていると、千里さんの姿が見えなくなったところで隣に佇む謙信が久々に口を開く。
「さて、別の店で飲み直すか?」
「ずっと黙りこくって酒を浴びるように飲んでたくせに、何を言ってるんだお前は……今日はもう良いだろうよ。さっさと帰るぞ」
「ふむ、そうか。では家で飲み直すとするか……」
謙信の相変わらずのウワバミっぷりに辟易した俺は、近くに居並ぶ両親の方へと視線を投げる。
一時帰国のためにホテルに宿泊している二人は、一人で待たせている娘の心配をしているのかホテルがあると思しき方角へ目を向けていた。
「俺達も帰るよ。二人もさっさとあの子の元へ帰ってやると良い」
「ああ。では明日、昼頃にでも娘をそちらに向かわせよう」
「一人で行かせるのか? ……ウチの場所が解るのかよ」
「はい。私が作った地図を持たせますし、あの子はしっかりとした子ですから。貴方が心配しなくても大丈夫ですよ」
「……それなら良いが」
俺が心配しているのは彼女が一人で来ることではなく、むしろ二人が彼女と一緒に来ないことの方なのだが。
ほとんど見ず知らずの人間達が住んでいる家に、共通の顔見知りである両親が来ないというのはどういう了見なのか。
「で。娘を置いて、二人はどうするんだ」
「私達は翌朝にでもすぐ、再びロンドンの本社に戻るつもりだ」
「あの御方に調査を依頼されている彼女の痕跡について、改めてヨーロッパ各地を一から洗い出しておこうと思っていまして」
「……」
親父と母さんの言葉に、俺は思わず二人の顔を見やる。
「……別に娘との別れよりも仕事を優先しなくて良いんだぞ。どうせそっちは時間が掛かるんだ。たった半日くらい急がなくても、あいつは何も文句を言わないだろう」
「心配しなくても、お別れなら今夜ちゃんと済ませておきますよ。ね、皇くん?」
「ああ。お前にしては、らしくない心配をしてくれるじゃないか?」
「……少なくともその仕事の内容は、俺にも責任の一端があるからな。本当なら、俺が対応するべきなんだが──」
「皆まで言うな。お前が動きたくとも動けず苦心しているのは、我々も熟知している。そのために私達がいるのだ、そうだろう?」
そう言って視線を向けてくる親父に、謙信は黙って頷く。
母さんの顔を見れば、さも当然とばかりに俺へと微笑んでいた。
自分の不始末を誰かに、それも家族達に押し付けてしまうことに嫌気を催すような苦々しさを覚える。だが同時に、助けてくれる仲間の存在に嬉しさも感じてしまう。
俺はそんなひねくれた己の性分に苦笑しつつ、またしばらくの別れとなる元両親へと向き直った。
「──では、レイアのことをよろしく頼む。どうかあいつの力になってやってくれ」
「解っている。まあ、どこまで彼女の期待に添えるかは解らんが、善処はしてみよう」
「もう、皇くん。キョウがせっかくお願いして来ているんだから、そこは素直に『任せておけ』と、父親らしく格好よく決めておくところじゃない?」
「……そう言われてもな、リアス。こいつの前で今さら父親の面をしていたら、私の調子が狂う」
そりゃそうだ。互いに親子だった記憶があるとは言え、今や二人よりも俺の方が人の親としての経歴が遥かに長い。
経験の浅い若造に親の顔をされても、あまりに可笑しくて片腹が痛くなることだろう。
「何にせよ、こちらは私達に任せておけ。そちらは娘のこと、よろしく頼むぞ」
「ああ……まあ、それなりに努力はするが。女所帯に慣れているからと言って、思春期の娘が相手だと気苦労は絶えそうにないな……」
「ふふ。お兄ちゃんなんですから、それくらいの苦労はしてもらいませんと」
「ちゃんはやめろよ、まったく……」
くすくすと楽しそうに笑う母親から目を逸らし、俺は別れの言葉も言わずに踵を返して家路へと歩き出す。
さっさと立ち去ろうとする俺の後には謙信が続き、親父と母さんの気配は反対の方向にある宿泊先へ向かって進み始めていた。
二人と別れ──すぐに俺と肩を並べながら、謙信は言う。
「碌に挨拶を交わさずに別れても良かったのか? あの二人と会うのも久々だったろうに」
「良いんだよ。会おうと思えば、いつでも会えるんだから。それに、どうせすぐにまた顔を合わせることになるさ」
「ふむ。そうか」
含みを持たせた俺の言葉を軽く流す謙信。
意味が解っているのかいないのか、その飄然とした態度からはどうにも窺えそうにない。
だがいつもならばこのまま家に帰り着くまで黙り込んでいた筈の謙信は、酒のせいなのか今日は饒舌のようだった。
「しかし、あの二人の娘か。どんな娘なんだ、お前は会ったことがあるのだろう?」
「どんなって言われても。最後に会ったのは、もう十年くらい前のことだからな……流石に成長して身なりはかなり変わっている筈だが」
「いや、そうではなく。言わばその娘は、キョウの生まれ変わりのような存在なのだろう? だったら、お前なりに何か思うところがあるのではないのか」
「……」
謙信からの問いに、俺は思わず渋い顔を浮かべる。
それが謙信にとっては答えになったようで、納得したのか失笑していた。
「そんなに困惑することなのか」
「だってお前……考えてもみろ。謙信の場合、歴史上の人物である男謙信が仮に兄弟として実在したらどう思うかってことだぞ。内容はどうあれ、いろいろ思い悩むだろうよ」
「私としては、現代人が様々に思い描く大名達の人物像の方が悩ましいが。特にあの信長の乱離拡散の様は何だ、不覚にも彼奴への同情を禁じ得ないほどだ」
「あの当人が生きていたなら平然と笑い飛ばしそうだが……いや、それはともかく。彼女に対しては複雑に想っているということだけは理解してくれよ」
「ふむ、成程な。だからこそ桜には潤滑剤となってくれるよう期待している、と。だのにその当人には秘密にしているとは、相変わらず意地の悪いことだ」
そう楽しげに笑いながら、謙信はそれ以後口を閉ざした。
俺は疲労混じりの溜め息をこぼして、少しだけ歩みを早める。
明くる日にやって来る、我が家の新たな居候。
彼女との新生活に一抹の不安を覚えながらも、家族の待つ家を目指した。