『Blooming』
「──さく、ら──?」
自分の声が口から無意識にこぼれ落ちたことに、耳で聞いて初めて他人事のように気付いた。
それほどまでに現実味のない出来事が起こったのだ。
俺は目の前に現れたその幼い少女の姿に見覚えがあった。
当然だろう。本来生きていたこの時代における幼馴染の顔を、生涯愛した女性の姿を見忘れるなど、悠久の時の中で一瞬もあり得なかった。
驚きのあまり言葉を失う俺と同様に、ランドセルを背負った幼い少女も驚愕から絶句していた。
その様子を目の当たりにしたおかげで、俺はすぐに冷静な思考を取り戻す。
かつての両親がそれぞれ生まれ、出会い、再び結ばれたくらいなのだ。彼女がこの新たな歴史の世界で生まれていても何ら不思議ではないし、今は確か小学校に入ったばかりの年頃だろう。
再び彼女に出会えたことに至福の喜びを感じるものの、しかし同時に寂しさも心に湧いた。
彼女は俺のことを知らないかもしれない。
当然だろう、少女と幼馴染となる男はこの時代に生まれていない。彼女との縁は、俺にはないのだから──
(いや……でも今あいつ、俺の名前を呼ばなかったか……?)
そんな筈はないと眼前の少女へ怪訝な目を向けていると、じっとこちらを見つめる少女は──突然全力で駆け出し、俺の元へと砲弾のように突っ込んで来た。
「え、ちょ──ごふぅッ!?」
冷静な思考を取り戻せていても、未だ状況に混乱していたからだろうか。
いつもなら苦も無く躱していた筈なのに、無防備のまま少女の突進を腹で受け止めてしまった。
予想以上に衝撃が強く、思わず吹っ飛びそうになった勢いをどうにか踏ん張って殺したが、一体何が起きたのかを理解するには少し時間を要した。
その間にも腹部に貼り付いた少女は、精一杯の力で俺の身体を強く抱き締めていた。
「キョウ君、キョウ君、キョウ君……! やっぱりいた、やっぱりいた! キョウ君はずっとどこかにいるって、私解ってたの! やっと……やっと会えた……!!」
「……お、お前、俺の名前を……?」
涙を浮かべながら抱き着いてくる少女の言葉に、俺は戸惑いを覚えた。
自分の存在を知らない筈の少女が、どうして自分の名前を知っているのか。
その疑問を抱いた瞬間、俺は自らの異能を用いてすべてを理解した。
──彼女が、俺と共に生きた“旧人類史”での一生の記憶を引き継いで、この“新人類史”で再び生まれたのだということを。
つまり目の前にいる少女は、言わば俺が愛した女性の転生した姿であり──俺を愛してくれた『麻倉桜』そのものと言える存在だった。
「それはたぶん、前の私が死ぬ時にすごく後悔したからだよ? キョウ君を独りにしたくない、ずっと一緒にいたい、もし生まれ変わることができたらって、そう願ったから。……だからきっと、こうなったんだよ」
「そう願ったからって……いや、そうか。お前も……俺に、影響されて──」
桜がそんな異端的な存在として生まれ変わった原因は、間違いなく俺自身にあった。
彼女以外にも俺の■■に影響を受けて、存在を変質させた者達を知っているからだ。
桜はきっと、最期の願い通りに俺と共に永遠を生きられる人生をこの世界で掴み取ったのだろう。
しかし愛する女性との再会に歓喜したものの、また一人の人生を大きく捻じ曲げてしまったことを俺は素直に喜べない。
胸の中に、棘が深々と突き刺さったような罪悪感を覚えたが──
「また一緒にいようね、キョウ君! 今度こそずっと一緒に!」
少女の幼い笑顔は、そんな俺の不安を拭い去るほど喜びと幸福に満ち足りて、花のように咲き誇っていた。
………
……
…
「──ふふ、この時期になると思い出すよね。私達が再会した日のこと」
時は流れて。
故郷の街の一角に建てられた我が家の居間で、温めの緑茶をすすりながらしみじみとそう呟く少女がいた。
再会の日から数えて十年後。
幼い頃はあり余る元気を燃料にして暴走するような騒々しい性格だった麻倉桜も、成長したおかげか優等生と呼ばれるほど可憐……うん、まあ可憐と言えなくもない慎みある少女に変貌を遂げた。
しかしそんな彼女の喜色に滲んだ言葉を隣で聞いて、俺の口からはついつい呆れた声がこぼれる。
「お前、去年の高校の入学式の日にも、全く同じ言葉をぼやいてたよな。……なぁ?」
桜とは違い、十年の月日が流れても容姿の変わらない俺がそう言って同意を求めたのは、俺達と同じくテーブルを囲んだ我が家の同居人達だった。
この街で俺と共に暮らすことを決めてくれた家族達は、それぞれ違う反応を見せながらも俺の言葉に同意する。
「そうですね……ふふ、一言一句違わなかったかと」
苦笑してそう答えるのは、俺の義妹であるアサヒだった。
桜の気持ちに共感はしながらも、アサヒは兄に肩入れすることを怠らない。
「……ただ思い出を自慢したいだけだよね」
その隣に座る、俺やアサヒの義妹であるフェイト・ミラー・エレメンティアスは淡々と毒を吐く。
何気にそういう気持ちもなくはないのか、桜はフェイトに返す言葉がないようだ。
「春ですからね。つい過去を懐かしむのも良いのではないでしょうか」
アサヒ達の対面の席に着く照は桜を一人擁護してくれるものの、フォローにしては少々雑さが感じられる。
内心、あいつも俺に同意しているのだろうか。
その一方で、
「謙信、そっちの急須取ってよ」
「ん。ああ、どれ私が注いでやろう。読殿のお手々を火傷させてしまっては忍びないからな」
「ありがと。……おいお前、私のこといま子供扱いしたわよね?」
「ふむ、気のせいだろう」
そもそも桜の話すらまともに聞いていない二人までいる始末。
季節は春。
照の言う通り、この出会いの季節に運命的な再会を遂げたあの日の美しい思い出に浸ろうとしていた桜も、途端に現実に戻されてしまう。
「うぅ……良いじゃないですかぁ、私はまだアリエちゃんがいなくなった心の傷が癒えてないんですからっ! 昔の出会いを思い出して、心の釣り合いが取りたいんですぅー!」
先日、我が家から巣立った妹分の存在に飢えているようで、桜は本気でとち狂っていた。
俺達の中では最年少の桜にとって、唯一年下であった妹分の存在は心の拠り所にもなっていたことだろう。
そんな俺の弟子も、異世界の彼方でこれから大きな使命に身を投じていくことになる。
桜もその事を理解しているからこそ、自分の不安も踏まえて、あいつの身を心配しているのかもしれないが──
「桜の気持ちは解らんでもないが。……取り敢えず人の髪を勝手に弄んで三つ編みを始めるのはやめてくれ、本気で意味が解らないから」
背中に垂れ下がった俺の後ろ髪を掴み、一心不乱に三つ編みを編んでいく桜の奇行に困惑しつつ、窓の外にそびえ立つ桜の樹を見やる。
春の象徴であるその樹は、俺にとっては出会いの象徴でもあった。
だからこそ鮮やかに咲き誇る桜の花を見ると、新しい出会いとやらに妙な期待が胸の中に湧いてくる。
俺は今さらそんなものに一喜一憂するような年齢ではないが、少なくとも再び青春時代を迎えている桜には大きく関係する話だろう。
「まあ、もうすぐ新学期も始まるんだし、別れの次には何か新しい出会いでもあるだろうよ。その辺り、期待してみたらどうだ?」
「出会いかぁ……」
しみじみと声をこぼす桜も、同じように庭に植えられた桜の樹を眺める。
十年前のあの日のような劇的な出会いがあるのかは定かではないが、きっと今年の春は彼女に新しい出会いをもたらすだろう。
俺はそんな確かな予感を覚えながら、家族と過ごす今日一日の予定へと意識を向けた。
「──さて。今日は何をしようか、みんな」