『桜散りて君を想う』
──ある男の、昔の話をしよう。
男は、生まれる時代を間違えた。
二十一世紀、日本のとある地方都市。海に面した港町に、とある一人の魔法使いが誕生した。
両親も共に魔法使いだった。既に魔法の知識だけを継承しているような、もはや魔法使いとは言い難い人種の夫婦だったが、彼らはそのおかげで自分達が産み落とした存在の異常性をすぐに理解することが出来た。
その子供は、一言で言えば天才だった。
知能の話ではない。マナの衰退によって絶滅を迎えようとしている“魔法”の才能が、人一倍……いや、過去に類を見ないほど優れていたのだ。
日本では既にマナが枯渇しているにも関わらず、彼だけは無尽蔵に魔力を有し、まるで絵でも描くように自在に様々な魔法を操ることが出来たのだ。
どうして自分達の子供にこれほどの才能が宿ったのか、両親には分からなかった。隔世遺伝なのか、それとも別の要因なのか。
しかしもはや魔法の存在が必要とされなくなった現代において、彼の才能は宝の持ち腐れだった。
だからもう、彼は普通の子供として育てていこう。
両親はそう誓い、彼もそんな両親の意思を尊重して普通の人間として生きる道を選んだ。
彼の半生は順風満帆だったと言えるだろう。
幼馴染達に恵まれ、友人にも恵まれ、人並みに恋愛もして、学生時代はなに不自由なく過ごすことが出来た。
あの時代がなければ自分は歪んで育っただろうと、本気で思えるような色鮮やかな日々だった。
……だが、彼の人生はやがて狂い始める。
それは彼が愛する女性と結ばれ、子供を成し、幸福に生きていた頃──人間ならばそろそろ老化が始まる年齢に差し掛かったところで、彼の異常性はついに隠し切れなくなった。
不老。
彼のあまりに逸脱した魔法の才能が、彼を若い姿のまま生かし続けたのだ。いや、実際にはその原因は違ったが、当時の彼はそう判断した。
人間は急激な変化を嫌うものだが、変化しないものすらも忌むべきものとして切り捨てるような存在だ。たとえ無関係な人間でも、そんなものが実在すれば遠慮なく排除しようとするだろう。
魔法はこの世には必要ない。その象徴であるお前も、この世界には不要である。
まさにそう言われているような現実が彼を追い詰めたが──そんな彼の心を救ったのは、彼が愛した妻だった。
「魔法使いだとしても、あなたはあなたなんでしょう? だったら私には関係ありませんよ。むしろ若くてカッコいいあなたをずっと見られるんだから、私はとても幸せ者だと思います」
妻は彼の幼馴染だった。小さな頃から彼と一緒に時間を過ごし、愛し合い、添い遂げた彼女には、彼がどんな存在であるかなど瑣末な問題だったのだから。
妻をより一層愛した彼は、魔法の力によって世間には自身の正体を隠し、家族と共に幸福な人生を謳歌した。
──幸せだった。
それを彼は疑わなかったし、そして妻も彼と同じ気持ちだった。
ずっと、ずっと、ずっと……この幸福な時間が続けば良いのにと、二人は願い続けたのだが。
やがて妻に、最期の時が訪れた。
「私はあなたと出会えて本当に幸せでした。他の人達とは少し違う生き方になってしまったけれど、それは嘘じゃないです。……一つだけ心残りなのは、あなたを独り残してしまうこと」
老いた妻の傍には、依然として青年期の姿をした彼が常に付き添った。
それは彼女が目を開かなくなる最期の瞬間まで。彼は異端だった自分を愛してくれた妻の旅立ちを、涙を流しながら見届けた。
その後も彼は、自分の子孫達の人生を陰ながら見守った。
何代も。何代も。何代も。もはや彼の存在が子孫に忘れ去られようとも、静かに見守り続けた。
しかし一向に死が訪れない自分の存在に疑問を覚え、やがて地上から魔法使い達が完全に消え去った時代を迎えて──彼は、ようやく真理に到った。
「──ああ、解った。俺はそういう存在なのか」
きっと生まれる時代を間違えたのだと、彼は悟った。
神秘が絶滅したその星に、彼の居場所はない。だから彼は、自分が存在するに相応しい時代へと遡ることにした。
愛した妻と生きた幸福な想い出を胸の奥に秘め、彼は未来に別れを告げた。
まだ神秘の息吹きが地上に蔓延る過去の時代。やがて神秘が衰退していく未来を知りながら、彼は遥か過去の世界へと降り立った。
──時は巡った。
人類は成熟期を迎えた。
文明は栄え、技術は発達し、過去の人々が積み上げた叡智によって、人類は星の支配者となった。星が蓄積した資源を食い潰すその時まで、人類の時代は終わることはないだろう。
そんな“新人類史”に、彼の姿もあった。
彼の知る歴史通り、星は再びマナを失い始めたが、魔法使い達は異世界を創造することでその危機を逃れ、独自の歴史を紡ぐようになっていた。
彼はそんな魔法使い達の世界を見守りながら、悠久の時を自由に生き続けた。およそ千年間、様々な人間との出会いや別れを何度も繰り返して──いつしか彼は、新しい家族や友人に囲まれて日々を過ごすようになった。
その日々を、彼は幸福に想う。
胸の奥に秘めた想い出とは違うカタチをしていたが、多くの仲間達と共に生きられる世界は、一度孤独となった彼にとって確かに幸せだったのだから。
だがある時、そんな彼の心に不安の影が落ち始める。自分が本来生まれた年に、時代が追い付いてきたのだ。
ある理由から、彼がもう一人生まれる可能性は皆無だったが──しかし彼は、心に生まれた一抹の不安を無視することが出来なかった。
異世界の仲間達に別れを告げて、彼は新たな家族達と共に日本へと向かう。
そして故郷の地に帰り着くと、彼は前世における両親であった二人の男女の様子を静かに見守った。
やがて両親から自分が生まれなかったことを確認したものの、懐かしい故郷に帰った彼は、その土地に落ち着いて家族達と共に暮らすことにした。
何もかもが懐かしい港町で、あっという間に数年の時を過ごした俺は──
「──キョウ、くん……?」
かつて愛した女性の面影を持った幼い少女と、街中で出逢ってしまったのであった。