『郷に入りてⅣ』
女性に言われるまま玄関の中に入ると、そこは建材に使われている樹木の匂いで満ちていた。
あまり日本のことには詳しくないのだけど、確かこういう雰囲気のことを純和風と言っただろうか。
今まで見てきた家々とは明らかに違う造りをしたこの場所は、空気の異質さも相俟って、さながら異世界の中にでも迷い込んだような気分だった。
魔法使いの拠点はその者の領域だという話は聞いたことがあるが、ここまで異界化しているところはヨーロッパ中を探して回っても見当たらないだろう。
と、踏み入った廊下の景色を興味深く眺めていると、先を歩き始めた女性からおもむろに声が掛かる。
「ご両親はもう日本を発たれたのですか?」
「……いえ。今頃はまだ空港に向かっている途中かと」
「そうですか。久々に会えれば挨拶でも、と思ったのですが」
「父と母をご存知なんですね……?」
「はい。あのお二人が若かりし頃からの付き合いですから、よく知っていますよ」
(……若かりし頃?)
「──さて。ここが居間ですので、こちらでお待ちください。私は兄様達を呼んできますので」
女性はそう言って突然立ち止まり、ボク達を目の前にある部屋の中へ入るよう促す。
父と母の若かりし頃という言葉が気になるところだが、彼女が呼ぶ『兄様』と言うのは、もしかして──
「キョウ君達、仕事中なんですか?」
「ええ。ですが、今ちょうどひと段落したところのようですから。あとはよろしくお願い致します、桜さん」
朗らかな笑みを残して女性が去り、残された麻倉さんはその背中を少しの間見送ってから、ボクの方へと向き直った。
「えっと……では、どうぞ」
彼女の指示通りに居間と呼ばれている部屋に入ると、中はちょっとした広い空間が広がっていた。
畳が敷き詰められたその部屋の中央には、団欒の場となる脚の短い大きなテーブルが置かれている。
そんなテーブルを我が物顔で占有する小さな少女の姿が、いきなりボクの目に入った。
和服と言うのだろうか。高価そうな真っ黒の衣服に身を包んだその少女は、頬杖をつきながら何やらお菓子のようなものを口に咥えていた。
「ぅん? ……はれ、ほれ」
可愛らしい幼い顔立ちに不釣り合いなほど尊大な態度が、彼女の人柄を端的に物語っていた。
──ああ、うん。これはボクの苦手なタイプの人だ。
「読。お客様の前なのですから、礼儀を弁えなさい。それと昼餉の前にお菓子を食べるのもやめておきなさい」
とても解りやすいだけにボクが少女への対応に困惑していると、居間に接したキッチンの方からもう一人、女性の姿が現れる。
白い和服の上にエプロンを纏った妙齢の女性だ。一見して雰囲気は違うものの、外見はどことなく黒い少女とよく似ている人だった。
……歳の離れた姉妹なのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、優美に微笑んだ女性が穏やかな物腰でこちらにも声を掛けてきた。
「初めまして、神代白葉様。私、照と申します。
愚妹が突然無礼を働いてしまい、本当に申し訳ありません。後で処罰しておきますので……さあ、どうぞこちらにお座りください」
照と名乗る女性に促されるまま、ボクは目の前にあった薄いクッションの置かれた場所へとゆっくりと腰を落ち着けた。
すると照という女性は再びキッチンの方へと戻り、一緒にやって来た麻倉さんは左手側の席に座る。
未知の空間で見ず知らずの人達に囲まれて少々居心地の悪さを感じたが、キッチンにいた女性が丸い木製のトレイを手にこちらへとやって来たのと同時に、廊下の方から足音が聞こえてきた。
気になって背後にある出入口へと目を向けると、そこには三人の女性を連れた見覚えのある顔──十年前となに一つ変わらない姿があった。
女性を思わせるような中性的な顔立ち。腰元まで流れる長く艶やかな黒髪が、よりフェミニンな印象を抱かせる。
けれど彼のことを既に知っているボクは、そんなイメージなど感じるわけもなく。
「──よう。久しぶり、白葉。……十年も経つと、流石に見違えたな」
「……お久しぶりです。十年経っても、あなたは全然変わっていませんね」
ボクの皮肉を交えた返事に、彼は困ったように肩をすくめる。
皮肉が効いたと言うよりは、距離感を置いたボクの態度に困ったのだろう。
しかしすぐに気を取り直した彼が自分の席に向かい始めたのを合図にして、一緒にやって来た女性達も次々とそれぞれの席に着く。
麻倉さんを除けば、彼を含めて六人。
彼らの様子から察するに、どうやらこれでこの家の住人は全員揃ったようだ。
そして照と名乗っていた女性がトレイで運んできたグラスを配り始めると、家主である彼がおもむろに声を上げる。
「さて、取り敢えず仕切り直そうか。我が家へようこそ、白葉。家族一同、君のことを心から歓迎するよ」
「……それはどうも」
彼の言う家族の顔ぶれを、何気なく見回してみる。
どこを見ても、誰もが若い女性ばかりだ。彼女達のことは両親から少しだけ伝え聞いているけれど、一体何者なのかは結局知らないままだった。
と、彼女達への興味をボクの視線から察したのか、
「アサヒ達とは既に挨拶を済ませていると思うが、自己紹介はまだなんだろう? 一人ずつ紹介していくよ。じゃあ、先ずは俺から──」
「いえ、あなたのことは知ってます。事前に調べておいたので」
「おう……」
父と母に言われ、彼のことは日本に来る前に一通り調べてあった。
ボクは気乗りしなかったが、二人があまりにも勧めてくるものだから、仕方なく……だけど。
その上で、ボクには彼に問いたい疑問が一つあった。
「あなたが本当に、あの『イデア』なんですか?」
「あの、っていうのがどういう意味を含んでいるのかは知らんが……一応、それは俺の魔法使いとしての名義だな。何だ、証拠に名刺でもやろうか?」
「それは結構です。……イギリスじゃ、あなたはとても有名人みたいでしたから。少し気になって」
「……俺、イギリスで特に何かしたか?」
「ふふ。兄様の名声に関しては、イギリスに限った話ではないと思いますよ」
『イデア』──魔法使い達の社会では、彼はその名前で呼ばれているらしい。
紫衣の賢者。導きの魔法使い。生けるヘルメス。極東の魔神……などとヨーロッパ中の魔法使い達から散々に褒め称えられている人だが、同時に多くの人々から異様に恐れられている人物でもある。
しかし本当にこの人がそんなに警戒されるような人物なのか、正直なところ疑わしいものだ。
隙だらけと言うか、緊張感がないと言うか、気が抜けていると言うか。
少なくともボクの目からは、魔法使い達が畏怖しているような人物にはとても見えなかった。
「まあ、私生活では『イデア』なんて名乗ることはないよ。こちらでは『キョウ』と名乗っているから、君もそちらの名で呼んでくれ。
ああ、名前が呼びづらいなら兄さんとでも呼んでもらって構わないんだが──」
「お断りします。私はあなたを兄だなんて思っていませんので」
ボクがそう言い切ると、何やら居間の空気がピタリと止まったような気がした。
そして黙り込む女性達から次々と視線を向けられ、居心地の悪くなったボクは目を逸らす。
──だって仕方がないじゃない。まだ二回しか顔を合わせたことがない人を、どうやって兄だと思えばいいのよ。
すると静かになった空気を紛らわすためか、彼はボクの言葉などまるで意に介していないような様子で話を続けてきた。
「そうか。だったら白葉の好きなように呼んでもらって構わんよ……ああいや、オッサンやらジジイやらは無しにしてくれ。流石に自分以外にそう呼ばれるのは老いぼれでも傷付くんだ」
「……はあ」
場を和ますための冗談なのかは知らないが、ボクにはあまりその意味が伝わらなかった。
父よりも若々しい見た目のくせに、どこが老いぼれだと言うのだろうか。
……ああ、初めから解っていたことだけれど。
ボクは、この人のことがとても苦手だ──




