その22
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「お前、最近変だぞ」
恩島が、珍しく心配するようなくちぶりで言った。
「自分でもそう思う」
とぼくが正直に返すと、
「やっぱり変だよ。お前がそんな正直に返事するなんて」
と深刻な声でぼくの顔をのぞきこんだ。
ぼくは苦笑いして、失敬だな、といった。
「ぼくのことを何だと思ってるんだ?」
「ひねくれ者の嘘つき」
恩島は正直で、本格的に失敬な奴だった。
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ぼくが部活に出なくなって、一週間が過ぎていた。
ぼくたちは学校の屋上でお弁当を食べていた。恩島から誘われたのだ。
「今日はほかの人と食べなくていいの?」
と聞いた。
クラス内に存在する序列の上位、いわば婆羅門に位置している恩島は、いつも女子や、おこぼれ目当ての男子を何人もひき連れてお弁当を食べている。
「たまには男どうし差し向かいで食いたい」
と恩島は答えた。
「女子ってメンドクセー、ってなるときがあるんだよ。甘いものばっかりだと、たまにしょっぱいものが食いたくなるだろ」
「ふうん」
ぜいたくな悩みがあるものだなと思いながら、ぼくは甘い卵焼きを食べた。
屋上は風が強くて、ぼくは弁当箱にホコリが入らないように身体全体を使ってガードした。
これが恩島なりの、ぼくへの気づかいなのは分かっていた。ありがたいことだった。同時に、ありがた迷惑でもあった。
恩島はいい奴だが、すべてを恋愛に変換するという悪癖をもっている。恩島はどうやら、ぼくとアンナが倦怠期に突入して喧嘩したと考えているらしかった。
もちろん、そこは女あしらい人づきあいのうまい恩島のこと、直接アンナのことを口に出したりはしなかったが、わざとアンナの話題に触れないので、かえって空白が目立つ。
そのアンナ型の透明な不在は、ぼくの心をかきたてて、寂しいような、腹が立つような、後ろめたいような、なんとも落ち着かない気分にさせる。
恩島と、アンナについて話さないたびに、アンナのことが思い出されて、正直辛かった。
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ぼくは恩島の誤解を正したかったが、その方法が思いつかなかった。
真実を告げるわけにはいかない。「実はアンナは未来視の持ち主で――」なんていいだしたら、それはただの痛い人だ。
フラれたショックで被害妄想に陥ったと思われるのがいいところであろう。
それに、アンナの『体質』について話したらきっと、色々とまずいことになる。ぼくは一週間前の『合同討議』を思い出した。ぼくが打ち明けたせいで恩島まで国家保安省やKGBの要監視対象になってしまったら、迷惑をかけるどころの騒ぎではない。
これは、誰にも話せない類の悩みなのだった。
思いは徒然と空転し、ぼくたちは言葉少なにお弁当を食べた。
強い風が吹いたので、ぼくと恩島は弁当箱を腹に抱え込むようにしてガードした。
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あの日以来、学校生活は色彩を失っていた。
ぼくとアンナは同じクラスなので、むろん毎日顔を合わせるのだが、一言も会話してはいなかった。
もともと、ぼくとアンナの関係は部室に限定されていたから、本来これはいつもどおりなのだった。ぼくは同級生にからかわれたら恥ずかしいと思って、教室では自然とアンナ避けていた。アンナの方でもぼくには近づいてこなかった。
なのに、いざこうして部室でも会わなくなってみると、教室におけるアンナの実在と不在は耐え難いものに思われた。
いまおもえば、アンナが教室で話しかけてこなかったのも、どこかのだれかからの指示によるものだったのかもしれない。ソ連軍かKGBか、それともクレムリンか。
「寒田くん、カンダくん!」
などと授業中にぼんやり考えていると、担任の桐小屋明日子先生の声が聞こえた。
叱責されていることに気づいたぼくは、とっさに姿勢を正した。
「はい!」
「カンダ君は、ずいぶん授業に余裕があるようですから、答えてもらいましょう。答えは?」
ぼくは授業を聞いていなかったことを認め、謝罪した。
桐小屋先生はお局さま特有のネチネチした言い方でぼくの失敗をあげつらったあと、問題番号が四十二ページの問四であることを教えてくれた。くすくすと教室内に笑いが広がった。
ぼくは立ち上がって問題文を読んだ。
チェーホフの『桜の園』から一文が引用されている。大商人ロパーヒンが「おれが領地を買った」と叫ぶところに線が引いてあった。
問四、傍線部の登場人物の気持ちを答へなさひ。
一、競売に勝つたことを喜ぶ気持ち。
二、大儲けを期待して喜ぶ気持ち。
三、自分が領主になれたことを喜ぶ気持ち。
四、封建領主から解放されたことを喜ぶ気持ち。
ぼくは迷わず四を選んだ。政治的に一番正しいからだった。
逆の立場なら、つまりぼくが問題文に点数をつける立場なら、この問題には0点をつける。文豪チェーホフが表現したいのはそんな格式ばったことではなくて、大商人ロパーヒンの快哉は一言で言いあらわせるような単純な感情ではなくて、でも四択なので正解はどれかでしかない。
そして、われらが日本民主人民共和国では政治がすべてに優先する。
桐小屋先生は、正解です、とちょっと忌々しそうに告げた。その襟元で金色の党員賞が光っていた。
着席したあと、ぼくは急に不安にとらわれた。
今この瞬間にも、だれかがこの教室を盗聴して、生徒と一緒に笑っているのではないか。国家保安省か、KGBか、それとも生徒会のだれかが。
なに食わぬ顔で授業を進める先生たちは、勤務が終わった後で、どこかに何かを報告しているのではないか。
ぼくも頭ではわかっている。
そんな心配はしても無駄だ。
もともと教師として出世するには入党が不可欠だし、教師たちには国家保安省の『連絡協力者』が多い。これは『密告者』の官僚的言い換えである。
教師は地域社会で重要な役割を担い、子供たちの思想を含む教育を担い、保護者世帯と接触する機会も多いので、党と国家保安省は、大学の教育学部や師範学校を対象に、とくに重点的な『協力者獲得工作』を行っていた。
ぼくたちの担任教師・桐小屋明日子は熱心な党員で、おそらく『連絡協力者』であるにも違いなかった。そうでなければ、あの若さで(というほどもう若くもないが)党員バッチをつけられるはずもない。
表向きには誰も口にしないけれど、鋭敏なものは誰もがうすうす察していることであった。
だから、アンナの登場で何かが変わったわけではない。アンナが現れる前から、ぼくたちはこの祖国という名の収容所にいれられた、自由な人民という名の徒刑囚であった。
罪名は『生まれたこと』。
それでも、ぼくはますます無口になっていった。
ぼくの猜疑心と恐怖心は増大し、その気まずさが、教室を以前より息苦しいものにしていた。
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ぼくは夕暮れのなか、ひとりで自転車をこいでいた。
部活動に出ないから、体は早く空く。でも、まっすぐ帰って家族と早く顔を合わせるのもつらい。何かあったのかと母に察せられるのもつらい。
だからどこかで時間をつぶす必要があるが、制服で人民食堂にたむろするわけにはいかない。民警の熱心なおまわりさんに補導されてしまう。
もう少し後の〈南〉日本人なら「リストラされたお父さんのような」と形容するであろう悩みがぼくをとらえていた。
だから、ぼくは学校の図書室で時間をつぶすことにしていた。
今日読んだのは、『親衛隊中将ルイ十六世』。ラテンアメリカ魔術的リアリズムの傑作である。子供の頃から何度読んだかわからない本だ。これは名著だ。できれば全人類に読んでもらいたいと思う。ナチスが明確に悪役なので検閲にも引っかからない。『1984』と違って。
『1984』。
『1984』も学校生活と同じく精彩を失っていた。本にせよ恋にせよ、一番面白いのは手にとる直前で、手に入ると意外とアラが目立ってがっかりしたり、すぐに飽きちゃったりする。
ひねくれ、冷笑主義におちいったぼくの目には、ジョージ・オーウェルの散文も色あせて思い出された。
ああ、『1984』で素晴らしいのは世界描写だけで、文章じたいは読みづらかったな。
路肩を自転車で走っていると、黄土色の丸っこい『躍進』とすれ違う。そのたびにぼくは息を止めて排ガスの悪臭をやり過ごす。
『躍進』が渋滞を起こしていたので、ぼくは長く息を止めて一気に通り抜けた。黄色くて丸っこい『躍進』が何台も並んでいると、ヒヨコの雄雌選別をしているような気分になる。
いつもの光景。いつもと変わりない光景。
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家に帰ると、ちょうど段梯子を上がっていく祖父の背中が見えた。祖父は人民軍を退役してからますます太った。着ているポロシャツは、内側から脂肪に押されてぱっつんぱっつんであった。それでも、痩身の陸軍軍曹であったころと同じ感覚で、どすどすと遠慮会釈なく階段を踏むので、段梯子はミシミシと静かな抗議の声を上げた。
ぼくは『子供部屋』に入って制服を脱いだ。汗ばんだシャツが気持ち悪かった。乾いたシャツに着替えたぼくは、万年床に寝っ転がって天井のシミをながめた。子供の頃、あれがひとの顔に見えて怖くて夜中お手洗いに行けなかったことを思い出した。
ほかに思い出されるものといえば、祖父のことであった。ぼくは、兄がいなくなってから広くなった部屋に大の字に寝転がって、祖父のことを思った。
あの恐ろしい男のことを。不運で幸運な、驚嘆すべき男のことを。
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