その13
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家の前で、知り合いに呼び止められた。
「カンダくン」
ぼくを呼び止める、なまりの強いしわがれた声。
「ムフタルさん」
そこには、回覧板を手にしたご近所さんの姿があった。
ムフタル・ワジーガヴィチ・アルマトバエフさんは、ぼくのご近所さんで、在日カザフ移民一世のおじいさんだった。
町内会での知り合いである。
ダーミーイ・モスクイ!
町内会とは、ようは統一農労党の地方細胞で、その機能は相互扶助、回覧板、ゴミ回収、相互監視、反体制活動や亡命者の密告などである。
大きな声では言えないけれど、これは旧帝時代の地方統制組織であった「隣組」制度をそのまんま利用した代物だった。
さらにたどれば、江戸時代の農奴的相互監視制度「五人組」に行きつく。徳川封建政権のやり方そのまんまで、ぼくらのプロレタリアート独裁政権は革命的人民を監視していた。
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なぜ中央アジア産まれの老人と、日本の高校生であるぼくが顔見知りなのか。
これは煎じ詰めると、ぼくたちの日本の国家体制論にまでいきつく。
ぼくたちの日本が独立した当初、労働力不足は深刻な問題であった。
ぼくたちの日本の領土は、南樺太+北海道+東北地方+新潟県である。これは国土総面積だけ見ると、南日本よりも実はちょっとだけ広い。
だが、人口はそれに釣り合っていない。
少ないのだ、ものすごく。
総面積というのは統計のマジックであり、人間より熊のほうが多いような北海道の山岳地帯や、本州の上半分を南北につらぬく奥羽山脈を含んだ数字なのである。居住可能面積はさほど広くないのだ。事実、関東平野、京阪神、北九州といった古くからの人口密集地帯は、すべて〈南〉日本にある。
日本列島北部だけで経済を回そうとした日本民主人民共和国は、危機的な労働力不足に陥った。当然の結果である。
統一農労党――当時はまだ結党前で別の名前だったが――もそのことはよく理解していて、ソ連軍による進駐開始直後からかなり本気で対策に取り組んでいる。
その対策というのが、教科書にも載っている、いわゆる『三本の矢』政策である。
その骨子は――
一.『女性解放』という名の勤労奉仕の継続と多産奨励。
二.『帝国主義日本からの亡命者受け入れ』という名の東北疎開者帰還禁止。
三.『インターナショナル体制構築』という名の移民労働力受け入れ。
――であった。
ムフタルさんが日本にいる事情は三であった。
ムフタルさんはソヴィエト連邦を構成する国のひとつ、カザフ・ソビエト社会主義共和国の出身で、若いころソヴィエト連邦内務省に逮捕された。罪状は「サボタージュ罪」。勤めていた工場が、国に押し付けられたむちゃくちゃな生産目標を達成できなかったのである。
世は年老いて猜疑心に凝り固まった同志スターリンによる、第二次大粛清の真っ盛り。よき労働者の国に納期遅れなどあってはならない時代だった。ムフタルさんはノルマを守れなかった原因として密告された。いわば工場から荒ぶる神・ソヴィエト社会主義共和国連邦に差し出された生贄であった。
同志愛にあふれた慈悲深き秘密警察は、ムフタルさんに二つの選択肢をさしだした。
一つは敗戦間もない日本への移民に志願する。もう一つは、シベリアの特殊ラーゲリで二十五年間服役する。
ルビヤンカの未決囚監房で一ヵ月間も待たされ憔悴していたムフタルさんは、見たことも聞いたこともない極東の島国行きを選んだ。
それ以来三〇余年、ムフタルさんはカザフスタンの家族に一度も会っていない。
ぼくの事情は一である。仔細は次の通り。
南北双方の日本憲法で、男女同権が高らかにうたわれているが、実態がまったく伴っていない〈南〉日本と違い、〈共和国〉の女性は実際に家庭外労働や党活動に従事している。
つまり、共働きの世帯が多いのだ。
共働き世帯にとって、町内会活動は大きな負担である。
ところが、例会などに出席しないと、ご近所づきあいの体面が悪いし、政治的に反体制的とみなされてあとが怖い。
であるから、ぼくの祖父やムフタルさんのような年金生活者が、一家を代表していわば代返的に例会に出席してお茶をにごす。
そして、孫の子守も高齢者の仕事である。
だからぼくも、祖父に連れられてよく町内会の例会に行った。
ムフタルさんとはそこで知り合ったのだ。
ちなみにこの町内会、もともと総力戦のために組織されただけあって、来たるべき(と憲法にまで明記されている)『列島南部解放闘争』開始のみぎりには、そのまま銃後の軍事動員にも利用できる効率的な組織である。
つまり、ムフタルさんとぼくは同志であるとともに、未来の戦友というわけだった。
いまでこそ笑い話だけれど、当時はかなり本気で〈南〉日本およびアメリカとの戦争を身近に感じていたから、ぼくとムフタルさんは不思議な親近感を共有していた。
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「カイリャンバン、カンダさん。オジイサン、いなかッた」
成長しきった後に異国の丘を踏んだムフタルさんは、いまだに片言の日本語しかしゃべれない。
ムフタルさんは、鼻の頭の丸くて大きい、堀の浅い顔立ちの、白髪頭のお爺さんだった。老人斑が浮いた肌は褐色で、長年の苦労のすえにガサガサに荒れて、たるんでいた。ゆったりした人工革の上衣の上からでもわかる太鼓腹だった。
そして、その眼にはいつも、おびえるような、どこか寂しそうな色が浮かんでいた。
アンナは後部座席から飛び降りて、ぺこりとお辞儀をした。
お行儀よく自己紹介する。
「園丘アンナ。寒田くんの同級生です」
「どちりゃからきなすったか?」
「カザフスタンです」
言ってしまった後で、ぼくは、あ、不味いと思ったが、止めるには遅すぎた。
案の定、『カザフスタン』という単語を聞いたムフタルさんは急に元気になって、アンナと両手で握手し、ぼくには理解できない言語でべらべらとまくし立てた。ムフタルさんに染みついた干し玉ねぎのにおいがした。
アンナは自信に満ちた微笑みでふんふんと聞き入っていたが、一言も理解できていないことは、この数日間付き合ってきたぼくの目にはお見通しであった。
ムフタルさんが、みるみる困惑したような顔つきになる。
ぼくは助け舟を出した。
「アンナは在日カザフ系三世で、もうカザフ語はわからないんです」
それから、われながらだいぶ怪しい受験ロシア語で、「カノジョ、カザフ語、ワカラナイ」と付け加えた。
ムフタルさんは、一瞬戸惑ってから、
「あぁ」
とため息を漏らして、口元をキュッと引き結ぶようにほほえんだ。
「最近は多いヨネ」
「はい」
「カイリャンバンは」
「すみません、これから寄るところがあるので。ポストに入れといてください」
「分かった。ジャあね」
回覧板を手に去っていくムフタルさんの背中には、言葉ではとても言いあらわせない寂しさと悲しみが漂っていた。
ぼくは自転車をこぎ出した。
ペダルを踏みしめながら、後部のアンナに話しかけた。
「なんであんなこと言ったんだ」
知らず、詰問するような口調になっていた。
「未来がわかるんじゃないのか」
「分かっていたよ」
「じゃあなんで、お爺さんをぬか喜びさせるような真似を」
「わたしはそうする運命だったんだよ」
答えるアンナの声はいつもどおりの澄まし声だったが、そのときはムフタルさんの背中に負けないくらいさびしげに聞こえた。
「わたしはお爺さんを悲しませたし、悲しませるし、悲しませ続けるんだよ」
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