その11
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ぼくとアンナは『1984』を書きながら、よく話をした。
盗聴器の存在を意識していたので、大切な話はあまりしなかった。
どうでもいい話はたくさんした。あの先生はくちうるさいくせに実行がともなっていないとか、あの先生の授業は退屈だけど楽だとか、高校に上がって初めての中間テストへの恐怖だとか。
例えば、守衛さんたちのこと。ぼくらの高校に限った話ではないが、学校の守衛の人数はやたらと多かった。人民軍を退役した、ぱっとしないが忠実な下士官クラスが、党の世話で守衛や警備員になるのだった。
ぼくたちの日本は、人口に占める軍人の割合が非常に高かったので、退役軍人の再就職問題はつねに党の懸念であり続けた。
党は、年金だけでは食えない退役軍人に、学校の守衛とか、地方の工場の赤衛民兵顧問とか、名前だけの適当な食い扶持を与えて退職金を事実上水増ししていた。
素直に退職金や年金を増やさないのは、そうするとほかの分野の年金まで増やさないといけなくなるからである。
防衛英雄かつ傷痍軍人である美城上尉が、学校付将校として非常勤教師になっているのも、基本的には同じ理由からであった。
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そういったどうでもいい世間話のなかでも一番奇天烈で一番どうでもいい話のひとつは、アンナの民族『片眼鏡族』の宗教観だった。
アンナの民族の宗教は、精霊信仰とイスラム神秘主義教団とロシア正教を無理やりつぎはぎしたようなしろものである。少数民族の悲しさ、周囲の強大な異民族の影響をモロに受けて、わけのわからない信仰体系が形作られたらしい。長く文字をもたなかったので、原型はもう誰も知らない。
そう、アンナの部族は固有の文字をもたない。筆記という概念がないわけではなく、現在はアラビア文字とペルシア文字と中国漢字とキリル文字をちゃんぽんにして使っているらしい。発音があまりに特殊なので、書き出そうとするとそうなるのだという。
文字をもたない代わりに、アンナの部族は神話や伝説を歌にして残す。ちょうど、アイヌ民族の叙事詩のように。
アンナの民族は、ほかのあらゆる民族と同じく神話をもっている。アンナは神話の詩をうたってくれたが、ぼくの耳にはヤギがべえべえと盛っているようにしか聞こえなかった。しょうがないので、歌詞を邦訳してもらった。
アンナの部族の神話はひどかった。なにがどうといって、とにかくひどかった。あまりにひどいので、ちょっとここに記しておく。
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アンナの部族の創世神話によると、人類はバトゥマ、すなわち神々を統べる大首長が、ベェヘシ、すなわち土師の神に命じて作らせた陶器だった。
まだ神々しかいなかった時代のこと、バトゥマは自分と同じ姿をした奴隷がほしくなった。
バトゥマは言い出したらきかない暴君であった。面倒くさがるベヘェシに、バトゥマは一〇〇〇キロのラピスラズリと交換で奴隷をつくるように持ち掛けた。ベェヘシは三〇〇〇キロなら作るといい、バトゥマは二〇〇〇キロまで値切った。
取引は成立した。
このキロという単位はぼくが変換したのではない。本当にキロと言い伝えられているのである。アンナのべえべえとした歌の中で、「キログラム」という耳なれた単語だけがはっきり聞き取れて、山のなかで突然なぞめいた洋館を見つけたときのような不思議な気分になった。いうまでもなくキログラムという単位ができたのは近代になってからだから、このあたりからもアンナ神話の適当さが垣間見える。
ベェヘシは泥をこねて人形をつくり、鼻の穴から息を吹き込んで命を宿らせた。
それが人類である。
最初の人形は焼きすぎて使い物にならなかった。これがアラブ人やトルコ人である。バトゥマはこれを地上に放逐した。
次の人形は生焼けだった。これが白人やモンゴル人である。これも地上に放逐された。
三度目にして、ちょうどいい焼け具合の人形ができた。これがアンナたちの祖先である。
民族自尊の感情と肌の色による差別は、こんなに古くからあるのだった。
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神々の大首長バトゥマは、過去と現在と未来とを見とおす琥珀と、それらを粘土のように自由にこねくり回して作り変えるヘラをもっていた。三度目にしてようやく人類のオープンベータ版が出来上がり、有頂天になったバトゥマは、人類に琥珀とヘラを分け与えた。
しかし、生まれた人類は、ひどく怠け者で、臆病で、いじきたなかった。そのうえ、たった数十年ですぐ死んでしまうので、そのたびに仕事を教えなおさねばならなかった。
ほとほといやけがさしたバトゥマは、結局この製品版人類も地上に追いはらった。
奴隷解放のとき、未来が視える琥珀とヘラは取り上げられたが、とくに賢く強く用心深かった奴隷の一族はそれを持ち出すことに成功した。
かれらは琥珀を、族長の妻の陰部に隠すことでバトゥマの目をあざむいたのだった。その族長が、アンナの部族の伝説的な開祖、英雄ベトゥキヤである。
ヘラは持ち出せなかった。大きすぎて陰部に入らなかったからである。それ以来、アンナたち一族は未来を作り替えることができなくなった。
アンナの民族の地口に、『お前の女房(母・娘・姉・妹)にはヘラが入る』というものがあるが、それはこの伝説からきている。これは身持ちの悪さをせめる悪口としても、ぬけめなさを褒めたたえる賛意としても使われる。どちらの意味かは文脈とニュアンスによる。
奴隷が役立たずだったうえに琥珀まで盗られた暴君バトゥマは怒り狂った。暴君ぶりをいかんなく発揮して、ベェヘシの家に嫌がらせとして二〇〇〇キロのヤギのフンを送りつけた。
また、地上で勝手に交合して増えまくった人類にも腹を立て、嫌がらせとしてしつこく不幸を送り続けている。それが災害であり、疫病であり、アンナたちを迫害する異民族であり、ボリシェビキである。
アンナたちの部族は、先に地上に追い払われていたせいで増えまくったモンゴル人、トルコ人、白人、アラブ人に迫害されて世界の隅っこに追いやられていたうえ、たびたび名指しで神に嫌がらせをされるので、まさに踏んだり蹴ったりであった。
だから、何が起きたとしてもこういうしかない。
「そういうものだ」。
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ここまで造物主をありがたがらない宗教を、ぼくはほかに知らない。
最高神なのに、完全に疫病神あつかいである。
アンナの部族は、みんなアンナみたいなひねくれ者なのかな、と当時のぼくは想像した。お父さんアンナに、お母さんアンナに、赤ん坊アンナに、長老アンナ。部族全員アンナ。
すごくイヤな部族だなとおもった。
いまは別の理解ができる。
未来をしりつつ変えられないという状況は、ここまで精神に負荷をかけるのだ。
アンナの部族たちは、神を呪い、未来を呪い、世界を呪って何千年も過ごしてきたのだった。
「そういうものだ」と、あきらめとともにつぶやきつつ。
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