辞表を胸に
「それじゃあ、城島の殺害動機についてどう考えているのかね?」
「城島は、強請りの常習犯です。強請ったら金になるようなネタを常に探し回っているような男でしょう。稲沢議員の詐欺師との癒着はそのネタの一つだった。それで、稲沢陣営を脅していたんだと思いますね。その時犯人は、城島が稲沢を脅迫する文書を、城島が田中を脅迫する文書にすり替えた。戸畑駅での事件についてはは、事前に田中に接触して特急ソニック十五号の切符を渡し、事件が起きたときに現場に居るように仕組んだ。その上、城島が田中を脅迫する文書まであれば、警察は確かな動機のある田中を犯人として見るだろうという計算の上です」
「城戸君の言い分はよくわかった。しかしね、自分でもわかっているのかもしれないが、稲沢陣営が犯人であるという証拠がまるでない。今の状況では、稲沢陣営よりも田中の方がクロに近いと判断されるだろう」
「ええ、確かにそうです。ですが、犯人が田中だとしても説明できないところが残ります。ですがそれは、稲沢陣営が犯人とみると解決できるんです」
「それは何だ?」
「詐欺事件から今回の事件までの時間差です」
「もっと詳しく説明してくれないか?」
「ええ。江藤と中垣による詐欺事件から今回の事件まで二、三年の時間差があります。今回の事件が、詐欺の被害者による復讐だったとして、何故二、三年経った今復讐を始めたのか?私は、どうもそこがうまく説明できません」
「では、稲沢陣営が犯人として、そこはきちんと説明できるのか?」
「はい。先程も言いましたが、今は稲沢にとって、首相に就任できるかできないかの正念場ともいえるでしょう。その正念場である選挙を控えた今、過去の批判材料を今のうちに消しておこう、稲沢議員はそう思って詐欺師たちの口封じに躍起になったと考えれば、このタイミングで江藤と中垣が殺害されたのもきちんと説明できますし、納得して頂けると思うんです」
「だがね、それは確たる証拠がなければ成立しないんだよ。君は、これからどうするつもりなんだ?」
「稲沢陣営から、直接話を聞こうと思います」
「君、それはダメだ。稲沢議員がどれだけの大物かわかって言っているんだろうね?岡田刑事部長が黙っていられないぞ」
中本は、少し声高に言った。
「課長、では、元部下の田中を見捨てろと仰るのですか?」
城戸も負けじと声高になる。
「だから、相手が大物過ぎるんだ。君の憶測でしかない推理をその大物にぶつける訳にはいかないんだ」
「ですが、疑いのある以上事情を聴くのが捜査の基本です。どうか、お願いします」
城戸は、深く頭を下げた。それを見て、中本は困った顔になる。
「君は稲沢議員本人に会うつもりなのかね?」
「いえ、まずは秘書辺りから揺さぶりをかけようと思っています」
中本は、少しの間黙っていた。
「わかった。くれぐれも慎重にな。ただし──」
「ただし何でしょうか?」
「辞表を胸にして行きなさい。私も辞表を胸に携えておく。その覚悟で稲沢陣営に事情調子をしたまえ」
「わかりました。辞表を準備しておきます」
城戸は、翌日、稲沢議員の秘書である、大峰という男との面会の予約を取り付けることができた。
約束の時間の十五分程前、城戸は、衆議院議員会館の前で背広の内ポケットに入れておいた辞表を確認して、議員会館の中へ入った。
入館の審査を済ませ、担当者に連れられて、応接室へと入った。その応接室で、城戸は、ワインレッドのソファに包まれて、大峰の登場を待った。
大峰は、約束の時間に十分ほど遅れてやってきた。白髪で眼鏡をかけており、身長、体格、ともに大きな男だった。
「待たせてすまないね。警視庁捜査一課の城戸さんと聞いているが」
大峰は、ソファに腰かけながら言う。
「ええ、警視庁から参りました、城戸と言います。今日は、お忙しい中大変申し訳ありません」
「それにしても、困りましたな。どういうご用件か存じ上げないが、この大事な時期に警視庁捜査一課の刑事がやってくるなんてね」
大峰は、苦笑を交えながらそう言った。
「今回は、殺人事件の捜査でやってまいりました」
「それはまた、物騒なお話ですな」
大峰が、そう笑いながら煙草を取り出し、ライターで火を付ける。
「八月二日の昼頃、福岡県の戸畑という駅のトイレで、この男性二人が射殺されたんです」
城戸が、大峰の前に二枚の写真を出す。大峰は、煙草を咥えながら、身を乗り出すようにして写真を見る。
「こちらが江藤元、そして中垣誠也という男です」
城戸は、それぞれの写真を手で示しながら言う。
「顔も名前も知らない男二人だが、どうかしたのかね?」
「その話はあとでするとして、実はもう一人被害者がいます」
城戸は、もう一枚写真を出した。
「城島雄二。戸畑駅の事件の三日後、同じ福岡県の皿倉山というところにある展望台付近で射殺された男です。この事件と戸畑駅の事件は、凶器が同じことから同一犯による犯行とみて間違いないでしょう」
「また、知らない男だな」
大峰が、煙草を灰皿の上に置く。
「あなたの前に秘書をしておられた方をご存知ですか?」
「ええ、もちろん。島さんだが、彼がどうしたんだ?」
「今は、調査会社を経営しておられるようですが、どうも、秘書を辞めた現在も稲沢議員に関する仕事をしておられると聞いたのですが、事実でしょうか?」
「それは違うな。彼はもう秘書を辞めたんだ。稲沢先生と仕事上の縁はないはずだが」
「そうでしたか。島さんは、今も稲沢議員と関わりがあって、しかも、表ではできないような仕事を、裏でしているという噂があったんですがね」
「刑事さんが、そんな根も葉もない噂を信じてもらっては、非常に困るね」
大峰は、そう言って笑った。
「その島さんが、先ほど申し上げた城島さんと何度か接触していることがわかりました」
「それがどうしたのかね?」
「城島さんは、我々警視庁もマークしていた強請りの常習犯でしてね。もしかすると、城島という男は、稲沢議員を相手に何か脅迫をしていたのではと思ったんです」
大峰は、眉間に少ししわを寄せた。
「君は、私の言っていることが、よく理解できていないようだね。島さんと稲沢議員は今や何の関わりもないんだ。だから、島さんが誰に会おうと我々には関係ないんだよ」
城戸は、それに構わず話を続けた。
「稲沢議員には、過去に不正献金問題でマスコミなんかに大きく取り上げられていたことがありましたよね?」
「君は、マスコミなんかが報じる噂を鵜呑みにするような刑事だか何だか知らんが、あれは別に稲沢先生が悪事を働いたとか、そういう話じゃないんだ。先生を支持してくださっている団体なんかが良かれと思って先生にお渡ししたお金が、大げさに報道されただけだ」
「もしその秘密を城島が握っていて、あなた方を脅迫していたとしたらどうでしょう?」
「君、それはどういう意味で言っているのかね?」
大峰の顔が厳しくなる。
「参考程度にお伺いしますが、八月二日の昼頃、どこで何をしていましたか?」
「私を犯人扱いして、アリバイ調べか」
「参考程度にお伺いしているだけです」
「具体的に八月二日の何時何分ごろのアリバイを調べたいのかね?」
「十一時四〇分頃のアリバイをお願いします」
すると、大峰は手帳を取り出した。
「実はその日、選挙前の挨拶をするために、改憲平和党の福岡事務所を訪ねていてね。博多にある事務所を出た後は、小倉にある、妻の実家にも挨拶をするために尋ねたんだ。十一時四〇分と言うと、その博多から小倉を移動する列車の中だから、残念ながら私の犯行は不可能だ」
「どの列車に乗っておられたのですか?」
「博多から小倉までは、鹿児島本線を利用するのが普通だと思われるんだが、その日は篠栗というところに居る、私の高校時代の同級生に会うことになって、福北ゆたか線経由で折尾に出て、そこから鹿児島本線で小倉に出たんだ。十一時四〇分というと、私の乗った列車が丁度黒崎駅に到着した時ですね。ちなみに、戸畑駅に列車が着くのは十一時四八分。残念ながら、私に犯行は不可能ですね」
大峰が、城戸の顔を見ながら得意げに言った。
「博多から小倉までのスケジュールを詳しく教えていただけませんか?」
「ええ、いいでしょう。まず、博多を九時二七分に発車する、福北ゆたか線の快速列車に乗って篠栗駅に向かいました。篠栗到着が九時四四分。そこからは、先ほど言った通り、高校時代の同級生とわずかな時間でしたが近くの喫茶店で話して、篠栗を十時一七分に出る快速に乗って、終点の直方に一一時丁度到着。そこから、直方十一時五分発の若松行に折尾まで乗り、到着したのが十一時二七分。そこで十一時三五分に発車する鹿児島本線の快速小倉行きにのりかえ、終点小倉到着が十一時五五分。そんなところだが、私の無実は納得してくれたかね?」
城戸は、大峰のアリバイを手帳にメモする。
「では、八月五日の午前五時はどうです?」
「出勤前で、まだ家に居る時間ですな」
「家に居たことを、証明できますか?」
「今、妻が病気で入院しているので、家に独りでいるんだ。よって、証明は不可能だな」
城戸が、手帳に素早くメモする。
「私に対して、証拠もなしに犯人扱いとはいい度胸だ。クビを覚悟しておくんだな」
大峰は、鼻で笑いながら言った。
「ええ、その覚悟ならもう整っています」
城戸は、そう言って辞表を大峰の前に置いた。大峰の顔は、少し歪んだ。
「そんな簡単に辞表を出すのかね、君は?」
「これも私の大事な元部下の為だ。私の元部下の田中という男は、今回の事件の被害者による詐欺事件で養父母を自殺に追いやられた上に、今容疑者として拘束されている。これもあなた方が仕組んだ罠だと私は思っている」
「また根も葉もない噂か。残念ながら、その田中と言う男は存じ上げないね。それにこの私には、疑いようのないアリバイがあるんだ。諦めて、その容疑者と言う君の部下を逮捕して、検察に送るんだな」
大峰は、そう言って高笑いした。