若戸大橋
大峰は、江藤、中垣そして城島の三人に対する殺害容疑で逮捕された。
東京では、どうやら、稲沢本人にも捜査の手が伸びたようだ。
彼に関しても、公職選挙法違反で逮捕され、自ら議員を辞職する決断を下した。
この一連の逮捕は、稲沢が党首を務める改憲平和党が政権を奪うとみられていた世論に大きな衝撃を与えた。恐らく、立憲平和党はみるみると勢力を落としていき、政権交代は最早不可能となるだろう。
城戸は、田中と共に、田中の養父母の墓へと参ることにした。
二人は、手を合わせて、数分間顔を俯かせていた。
「田中、事件解決の為とは言えども、いろいろ迷惑をかけてしまったな。申し訳ない」
城戸は、顔を上げてから言った。
「いえいえ、お礼を言わなければいけないのは、こちらの方ですよ。警部が協力してくださらなかったら、私はあのまま刑務所行きでしたよ。本当にありがとうございました」
田中は、城戸に向かって深く一礼した。
「こっちだって、君の協力がなければ、大峰を逮捕することはできなかったよ。君にもう一度、一課のうちの班に入ってほしいくらいだ」
城戸は、そう言って笑った。
「そう言ってくださるのは非常にうれしいんですが、私決めたんです。ずっと閉めていた、養父母の居酒屋を復活させようと」
「そうか、私はそれを応援するよ。大変だろうが、頑張るんだぞ。君の養父母も、天国で喜ぶだろう」
「ええ、大変でしょうけど、頑張ります。天国の養父母に認められるように」
田中は、自分に言い聞かせる様に言った。
「なあ、田中。若戸大橋という、赤い大きな橋がここら辺にあると聞いたんだが、案内してくれないか?一度、見てみたいんだが──」
そこで、二人は、若戸大橋がまたぐ洞海湾の岸に整備されている公園へと向かった。そこは、赤い若戸大橋がまじかに見え、大迫力であった。
「実はな、今まで、こんなもの胸に忍ばせておいたんだ」
二人で若戸大橋を静かに眺めていた時、城戸がいきなりそう言った。
「何ですか?」
城戸は、背広の内ポケットから、辞表を取り出す。
「辞表をずっとここにしまっておいたんだ」
「辞表ですか?何故です?」
田中は、驚いていた。
「中本課長の命令だよ。君も覚えているだろう」
「あの中本課長の命令ですか──」
「ああ、それだけ大峰が秘書をしている稲沢は大物だったんだ。刑事を辞める覚悟で大峰の身辺を洗え、そういう事だよ」
「確かに、総理大臣就任を目されている、野党第一党の代表ですからね。ただ物じゃないでしょう。でも、その大物を落とした警部は、流石ですね」
田中が、城戸の顔を見て笑った。
「中本課長にはそう言われたんだがね、私は、実は他のことを覚悟してこの捜査に当たっていたよ」
「違う覚悟?」
田中が、城戸の顔を見て聞き返した。
「ああ。君を救えなかったときの覚悟だよ。もし、君があのまま殺人の容疑を晴らすことができずに、刑務所送りになっていたら、少なくとも私は刑事を辞めるつもりでいたよ」
「こんな私の為に刑事を辞めるおつもりだったんですか?」
「ああ、そうだ。君は、元がつくかもしれないが私の部下には違いない。部下一人守れない者に捜査班の長は務まらないよ」
二人は、お互いの顔を見合って笑った。
「あと、私が君のことを信頼していたからかな。君が、殺しをやるわけがないとね」
城戸は、そう付け加えた。
「でも、本当にそうならなくてよかったですよ」
城戸が、手に握っていた辞表を洞海湾へと投げ込んだ。
その辞表は、洞海湾の揺れる波と共に、上下にゆっくりと動いていた。
城戸と田中は、その様子を黙って見つめていた。
少しずつではあるが、どんどん陸から離れていく。
「警部、自分が経営を始める喫茶店が軌道に乗って、上手くいき始めたら、手紙を書くので是非来てください」
「ああ、もちろんだ。今度こそは事件ではなく、普通に再会を果たそうな」
城戸がそう言った時、いつの間にか彼の辞表は、どこかへ消えていた。
辞表の消えた洞海湾の静かに揺れる波を見て、城戸は、心機一転刑事としてこれからも精進していこう、そう思った。
この作品に登場する人物・団体等はフィクションであり、実際の人物・団体とは関係ありません。
この作品に登場する列車ダイヤは、2019年3月16日改正のダイヤです。