平尾台
平尾台は、福岡県の北東部に位置するカルスト台地で、日本三大カルストの一つでもある。緑色の草原には、露出した白い石灰岩が点在していて、その景色は国の天然記念物にも指定されている。
面積は十二平方キロメートルに及び、北九州市小倉南区、行橋市、田川郡香春町、京都郡の苅田町とみやこ町に跨るが、その中の北九州市小倉南区に三笠台はある。
午前一一時、城戸と彼の部下は、草原に顔を出す石灰岩の陰に隠れ、大峰の登場を待った。田中は、広い草原に独り立っている。
すると、城戸の携帯が鳴った。大峰を東京から尾けていた、小国刑事からの連絡だった。
「警部、大峰は、今北九州空港に着きました。彼は、今から昼食を摂ってからそちらに向かうようです」
「了解。くれぐれも、気付かれない様に慎重に頼むよ」
そう言って、電話を切った。
それから五十分、時刻は一一時五〇分を回った時、再び小国から連絡があった。
「警部、大峰を乗せたタクシーが、三笠台の麓の駐車場に着きました。今、彼がタクシーから降ります」
城戸は、その報告を受けて、田中に大峰が近づいていることを合図した。
それから間もなく、大峰が姿を現す。
彼は、特に荷物を持たずにやって来ていた。どうやら、金は持ってきていないようである。
田中は、真っ直ぐ大峰を見つめていた。
大峰は、ゆっくりと田中に近づいて行く。
「君かね、電話の主は」
田中の目の前に立ち止まった大峰が言った。
「金は持ってきたのか?」
「残念ながら、持ってきてないよ」
大峰は、笑いながら言う。
「警察に密告していいという事だな?」
「いや、そうされては困る。第一、私も含めて人間は欲望の塊だ。今、君に五千万円を支払ったとしても、どうせお前は味を占めてまた金を要求するんだろう?」
「話が違うぞ、お前は約束したはずだ!」
「こちらにも欲望があってね。それは、稲沢先生を総理大臣にすることなんだ。その我々の欲望を邪魔する人間には、申し訳ないが消えてもらおう」
大峰は、そう言いながら、黒い革の手袋を手に付けた。
そして、白い縄を取り出し、田中の首にかけようとする。
田中は、少しずつ後ろに下がり、逃げようとする。
そこに、乾いた銃声が突如として響いた。
「一体何事だ?」
大峰は、必死に辺りを見回した。彼は、真後ろに、拳銃を空に向けたまま立っている城戸を見つけた。
「何故ここに居るんだ?」
城戸に向かって、大峰が叫んだ。
「大峰さん、残念ながらあなたはもうそこまでだ。欲望だが何だが知らんが、稲沢議員も総理大臣にはなれないでしょう」
城戸は、立ちすくむ大峰のもとに近づきながら言った。
「なぜ、なぜここに居ることがわかったんだ?」
大峰は、顔をクシャクシャにして、今にも泣きそうである。
「殺人未遂の現行犯で逮捕します。あなたのアリバイは、もう崩れましたよ」
城戸は、そう言って、大峰の手首に手錠をかけた。
大峰は、江藤と中垣、そして城島の殺害容疑を否認した。
「あの脅してきた田中という男を殺そうとしたのは事実だ。でも、その三人は殺してないね。私には、アリバイがあるんだ」
「そのアリバイなら、いくら主張しても無駄だ。もう崩れたアリバイだ。こだま四七〇号を使えば、戸畑に先回りできるんだ」
「私がそのこだま四七〇号を使ったという証拠はあるのかね?ないなら、アリバイは崩れてないのに等しいんじゃないか?」
そのやり取りの繰り返しだった。
詐欺師との癒着についても否認した。
「大体、稲沢議員が詐欺師と癒着しているという、根も葉もない噂が嘘なんだ。そんな事実はない。つまり、我々にその三人を殺す理由はない」
「お前達は、城島に脅されたんじゃないか?城島に、江藤と中垣を殺害した事実を掴まれてしまった。それで、殺したんじゃないか?」
「だから、その証拠はあるのかね?」
大峰は、そう言った後、得意気に、
「弁護士を呼んでもらいたいね。私にもその権利は当然あるはずだよ」
翌日になって、大物ともいえる弁護士が二、三人戸畑署にやってきた。彼らは、大峰の釈放強く求めた。
「しかしですね、大峰さんが田中純一という男を殺そうとしたのは事実です。殺人未遂容疑で逮捕しなければなりません」
城戸は、そう反論したが、弁護士の一人が、
「大峰さんに話を聞きましたが、刑事さんは、どうもその事よりも、先に起きた戸畑駅と皿倉山での事件を中心に尋問をされているようですね?何故、大峰さんと無関係の事件について尋問なさるのですか?」
と、言った。すると、もう一人の弁護士も、
「第一、その田中純一という男は、大峰先生に脅迫をしたと聞きましたがね。その男を、早く脅迫罪でとっ捕まえる必要があるんじゃないですかね?」
と、言う。
そこへ、稲沢の元秘書であった島も戸畑署にやってきた。
「島さん、わざわざこんなところまでどうされたんですか?」
「刑事さん、大峰が逮捕されたのは本当ですか?」
「ええ、本当です」
島は手に提げていた紙袋を城戸に渡した。紙袋の中には、ファイルが入っている。
「刑事さん、それを好きに使ってください。秘書の交代をするとき、大峰さんに引き継ごうと思ったんですが、大峰さんは、こんなもの処分するんだと言ったんです。でも、捨てようにも捨てきれなくて──。いつか、これを使う時が来るかもしれない、そう思ってとっておいたんですが、今がまさにこれを使うときだろう。そう思って、ここまで来たんです」
城戸は、そのファイルを開いた。
その中に入っていたのは、稲沢が江藤、そして中垣から現金を受け取ったときの領収書の数々であった。稲沢の署名と捺印もあった。
「ありがとうございます。これで、大峰を落とせます」
城戸は、深く礼をした。
早速、取調室に向かい、その領収書を大峰に見せてみた。
「大峰さん、こんなものが見つかったんだが、、説明できますか?」
「なんでそんなものが?一体、どこにあったんだ?」
大峰は、明らかに落ち着きがなかった。
「元秘書の島さんが、今まで温めていたんだそうだ」
「島だって?あいつには、こうなるから処分しとけと言ったんだ!なのに、あいつ──」
大峰は、そう言いながら、顔を机に伏せた。
「説明して頂けますか?」
城戸が、そう言うと、大峰は、手錠をかけられたままの手を机に叩きつけた。
「刑事さん、違うんだ!全て、あいつが悪いんだ!」
彼は、突然叫んだ。
「話していただけますね?」
大峰は、突然自供を始めた。
「あの江藤と中垣とかいう詐欺師との付き合いは、稲沢先生が国会議員になって間もない時からだった。あの二人は、先生と同じ大学を卒業したそうだ。その縁もあって、先生を支援したい。そう言って、戦線個人の資金面での援助をしてくれたんだ。こっちも、それは犯罪だとわかっていた。だから、まずいと言ったんだが、それでも援助したいとしつこいんだ」
彼が、城戸の目をまっすぐ見た。
「しかしね、最近になってあいつらの態度は豹変したよ。先生が、政権交代を果たし、総理大臣になると目され始めた時、あいつらは脅しやがった。総理大臣を目指して挑む選挙中に、自分たちの存在がわかってしまうのはまずいだろう。先生への個人的な資金援助を黙ってやるから、その代わりに口止め料を払えと言ってきた。それだけじゃない。あいつらは、城島という強請りの常習犯を味方につけては、そいつを使ってさらに脅してきやがったんだ」
「だから殺したというのか?しかし、金を払えば殺す必要もないだろう?」
「刑事さん、人間は言わば、欲望の塊みたいなもんだ。そこで金を払ったとしても、また上乗せして請求してくるに違いない。そうすると江藤と中垣は、先生との癒着の事実を握ったままであることに変わりはない。それなら、殺してしまって、口を封じた方が手っ取り早いと思ったんだよ」
「そこで、田中純一という男に罪を着せる方法を考え付いたんだな?」
「ああ、そうだ。その田中という男が、まさか元刑事だったとはね。それは、俺の想定外だったよ」
「田中に切符を渡して、ソニック十五号に乗せたのは、元秘書の島だな?」
「ああ、その通りだ。島にも少し協力してもらったよ。そして、アリバイトリックに関しては、刑事さんの仰る通りだ」
「城島を殺した後、所持品をすべて持ち去り、偽の脅迫状を彼が持っているように見せかけた。それで、違いないね?」
「ああ、そうだ。田中という男を脅す脅迫状を作っておいたんだ。そうすれば、全てが上手くいくと思ったんだがね──」
大峰は、悔しそうに言う。