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屋上駐車場

作者: 灰夢

 小学生の時に作った設定を基に、中学生の時に書いた文章を、昨年の暮れに加筆修正したものです。いまから約4~5年前の文章でしょうか?

 今現在、この作品のプロットと、リメイク版小説、および戯曲を制作計画に入れています。それまでは、当時中学生だった自分の拙い自己満足で我慢していただきますよう、ご了承ください。

 まあ、リメイクの完了まで、気長にお待ちください。

 その建物の屋上には、夏の夜特有の生ぬるい風が、南西から刺すように吹き付けていた。濃い青の中で静かな滑走をする月の光とそれは打ち解けあい、折り合いをなして、独特の空間を作り上げる。まるで、優しく何かを語り掛けるように、僕の全身を包み込んでいた。それに包まれた黒、茶、白の三色の体毛は、さらさらと音を立てて小さくなびいていた。その微弱な音を、三角形の耳は、収音気のように拾い集めた。目を瞑って耳をそばだててみると、風の音と同時に、自分の細かな息遣いがよく聞こえた。寄っては離れ、寄っては離れを繰り返す風は、後に続く流れを引き連れ、ボディラインに沿ってするりするりと走っていた。

 涼しさを伴う円舞は、5階建てショッピングモールの屋上の駐車場の真ん中で行われていた。

 一九八二年、工場跡にオープンしたそれは、時代と共に巨大化し、あらゆる店を飲み込んで肥えた体を、ビルに埋没させていた。



 自己主張の激しいそれは、Y県H市という田舎の、とある町の中に建っている。ピンク色の大きな看板にクリーム色で統一された塗装は、長い風雨にさらされ、こけやひび割れが目立つ中でもまだなお、外壁は建てられた当時の面影を残している。周囲の建物が、低く地味な色合いであることが多いせいか、大きな建物は少々浮いて見えた。

 このショッピングモールが店舗をかまえるY県H市は、全国的には忘れ去られた場所にありながら、町の住人や観光客などが毎日ひっきりなしに行き交い、毎日、車の音や人の声がうるさい。もちろんここも例外ではなく、僕の知る限りでは、周辺住人の生活の中心となっているようだ。

 しかし、夜になり、町の明かりが連鎖的に消え、町を暗闇が支配すると、昼間とはうってかわって、不気味なほどの静けさがやってくる。残っているのは、自動車が吐き残していったガソリンの鼻をつく臭いくらいだが、それもじきに強い風に流されていってしまい、昼間の面影は何一つ残らない。

 そうなってしまえば、あとは野生の世界だ。

 とっくに熱が逃げだしたアスファルトに堂々と四肢を踏ん張り、強い移動を感じたとき、「ああ、やっと僕の時間が来た」と、強く感じた。

 ピンとはった自慢のひげが、月の光を浴びてガラスのような透明の光をふりまき、吹きつける風になびいていた。住んでいる空に貼り付けられた月は、まるで面白がっているように、内なる不安を掻き立てる材料となって、僕の中へと流れ込んでくる。その不安をエネルギー源として、得体のしれない何かが僕自信を引っ掻きまわしている。息苦しくなってきて、僕は深い深呼吸をした。カッと目を見開いてみると、自分が思いのほか興奮していることに気が付いた。

 固まってしまった体をほぐし、すべての疲労を吐き出すように、だらしなく大きなあくびをしてみた。

「看板の下はさすがにダメだね。腰が悪くなっちゃうよ」

 駐車場の隅にある看板下の狭い隙間にうずくまっていると、腰のあたりにじくじくと痛みが溜まる一方だった。車のタイヤに潰されて体が弾けるよりははるかにマシなのだろうが、毎日腰が痛くなるのはさすがに厳しい。近いうちに、寝る場所を変えてみようと思った。

 アスファルトの上に寝そべって、再び体をぐっと伸ばしてみる。うめき声をあげながら腰のあたりをねじると、腰の痛みが少し楽になった。

「よいしょっと」

 かけ声とともに起き上がり、首を振って、ぼんやりとした頭に喝を入れた。

 刹那、微かな獣臭い香りが漂ってきた。

「誰だ?」

 振り返ると、横一列に並んだ三匹の大きな黒い犬がいた。見たところ、ラブラドールあたりの雑種らしい。口の端からよだれをだらだらと流し、僕を見て終始ニヤついている。頭が悪そうだなぁ・・・と呑気に構えていると、三匹は立ち止まり、僕を睨んでいた。真ん中のリーダー格と思われる、他2匹と比べるとひときわ大きな一匹が、僕の方に向かって歩み出てきた。

「お前だな?ここを根城にしている三毛猫は」

「そうだよ・・・なんか用?」

「用事もクソもねぇ!おまえから縄張りを奪いに来た!!」

 予想通りだった。やはり頭が悪かった。

 彼らはおそらく、下っ端の雑魚だ。僕の縄張りを獲得することを狙って、戦いを挑みにきたのだろう。こういった類の連中は、まるで礼儀を知らないし、教養もない。ルールなど、もちろん通用しない。これは今回もはずれだ。

「あのさぁ・・・いきなりきて勝負しろというのは、随分失礼じゃないの?頭が空っぽなのは知っているけど、勝負の時の最低限のルールぐらいわきまえようよ」

「うるせぇ!さっさと戦え!」

 馬鹿はすぐ挑発に乗る。

 僕の態度がよほど気に入らなかったのか、先頭に立つ大型犬A(勝手に命名)は、僕を睨み付け、さらに低く唸り声をあげる。ご丁寧に、汚いキバを見せてくれるサービスが、彼らの頭の悪さを際立たせていた。左後ろのBと右後ろのCも、同様に唸っていた。

 そもそも、僕がこのような目に遭う羽目になった元凶をさかのぼれば、このショッピングモールが建てられた時から話をしなければならない。建てられた当時は、ここら一帯を、鴉のヤクザ(みたいな組織)が仕切っていたらしい。縄張りに入った動物を無差別で攻撃したり、餌を無理矢理強奪したりと、傍若無人な行為を繰り返し、周辺の野良の犬猫からは、恐れられる存在だったらしい。しかし、その組織は一年ほどして、突如姿を消してしまった。そのせいで組織は解体され、鴉がほとんどいなくなってしまったのだという。(実際は、鴉たちが引っ越しをしただけなのだろうが)

 その後長らくは、動物たちが近づかず、空き家状態になっていた。というのも、鴉たちが消えた理由に尾ひれがつき、「幽霊のようなものに消された」「怯えている生き残りが隠れていて、入ったら殺される」というような、根も葉もないうわさが渡り鳥づてで流され、それがいつしか、広い地域に飛び火していったのだ。

 そのころ僕は、山をひとつ超えた先の別の町で、野良猫の群れのリーダーだった父親の、一人息子として育てられていた。

物心ついてから、甘やかされた記憶はない。父親からは、常に威厳と力による教育をたたき込まれ、稽古と称して戦い方などを教わった。しかし、僕から言わせれば、あれは稽古と言うより、父の一方的な暴力だった。毎日殴られ、蹴られ、ちょっとでも弱音を吐けば「俺の跡継ぎがそんな風でどうする!」と、強烈な鉄拳が飛んだ。「威厳を持ち、相手をねじ伏せる力を持て」というのが、父の口癖だった。

 野良猫の寄り合いなどでは、いつも「ボスの息子」という扱いだった。その呪縛は寄り合い以外でも付きまとい、自分よりも年上の猫でさえ、自分を見るなりうやうやしく頭を下げてくるという、奇妙な光景をよく見た。子供の頃は、それがとにかく気持ちがよかった。すまし顔で威張り散らして歩き、全ての猫を下に見られる優越感に、酔いしれたものだった。しかしそれらは、生後一年が経ったころには、鬱陶しいものに感じるようになり、やめてほしいという一心から、僕は威張るのをやめ、他の猫たちに謙遜する態度をとるようになった。すると、僕が弱いと判断したのか、次第に僕に対して、嫌味を言う者が現れ始めた。

 猫と言うのは縦社会であり、ボスの命令は絶対だ。命令に逆らう者、上の猫に歯向かう者は、すぐに追放、あるいは処刑された。それは僕の同じ年頃の猫も例外ではなく、僕に暴力をふるうことは、ボスの家族を傷つけること、即ち反逆を意味し、僕個人が暴力をふるわれることは絶対になかった。力が駄目だと悟った連中は、ボス、およびその家族に対する不満を、躊躇して攻撃をしない僕に、口でぶつけるという方法をとるようになった。

 ボスの息子としての立場が嫌になった僕は、父親に黙って、住んでいた町を出た。以来、もう三年は家に帰っていない。

父親は、夜のうちに空っぽになった寝床を発見し、何を思っただろう。それを確認する術は僕にはないが、ひどく落胆したにちがいない。

 そんな経緯で、引っ越したばかりの新入りだった僕の元に、例の噂が入り込み、僕は真っ先に飛びついたのだった。広い住処を、縄張り争いをすることなくノーリスクで手に入れられるという話に、断る要素はなかった。ほかの動物には、当然反対されたが、僕は、そういうたぐいのものは一切信じないので、ばかばかしいと一蹴りして、ここに住むことにした。

 しばらくは、邪魔も入らず、一匹だけの悠々自適な生活が送れていたが、二か月ほどして、さっきの大型犬三兄弟のように勝負を挑みにくる者が表れ、その頻度は、日を追うごとに多くなっていった。

 元々、このY県は、野生動物のヤクザのような荒っぽいやつが多く、僕がショッピングモールを占拠したことで、「よそ者の猫が、生意気にもショッピングモールの屋上を根城にしている」という扱いをされるようになったようだ。

 しかし、勝負を挑みに来るのは雑魚ばかりで、群れのボス相手に、戦いの経験を積まされた僕の相手ではなかった。そこだけは唯一、父に感謝せねばならないところかもしれない。



 風がいっそう強く吹き始めた。

 大型犬Aがいきなり、僕に突進してきた。いきなりの先制攻撃だった。後ろのBとCの二匹は、今は向かってきてはいないが、隙を見て来るだろうから、油断はできなかった。

 僕はじっと目の前の犬を見据えた。ヤツはまっすぐこちらへ向かってきていた。僕は思慮を巡らせた。

 相手の体の下に潜り込めば、Aの急所が狙いやすく、Aを一発で片付けることができる。しかし、狭いところに突っ込めば一瞬だけ、こちらに動けない時間ができる。そのスキを突かれれば、そこで終わりだ。

 少々博打になるが、無難な方法を選んだほうがよさそうだった。僕は目を瞑り、一度脳内を空っぽにした。

 見たところ、後ろのBとCは、主にAの動きにつられて動きを決める傾向にあるようだった。つまり、猪突猛進突っ込んでくるのはAのみであり、よってAさえ潰すことができれば、後ろ二匹の動きを完全に封じることができると、僕は考えた。

 僕は目をカッと見開いて、目の前のミサイルのように突進してくる黒い犬に照準を合わせた。

 きゅっと四肢に力を込め、勢いよくコンクリートを蹴り上げ、素早く右へ飛んだ。Aはかみつくつもりだったようで、がちん!という音が左側から聞こえた。思わず笑みがこぼれた。

「遅せぇんだよ、ばーか」

 と悪態をつき、僕は深く息を吸った。素早く体の向きを変え、そのままの勢いで、飛んだ。己の身を重力に託し、一気に急降下する。もちろん、毎日しっかりと研いで、アイスピックのごとく尖らせた爪も、ちゃんと出した。

 Aが僕の方を振り返り、唖然としている隙に、限界まで立てた爪を、相手の両目めがけて勢いよく振り下ろした。

「は?」

 と、大型犬Aが呟いた直後、何かが切り裂かれる音がした後に、ピシャン!という、血がアスファルトの上に飛び散る音が、あたりに響き渡った。僕はAの左側に着地を決めた。

「ぎゃああ!いてぇ!」

 Aは、痛さのあまりぎゃあぎゃあ吠えながら、アスファルトの上をのたうち回っていた。目を押さえている前脚の間から、真っ赤な血が流れていた。

 相手には失礼だが、目のあたりを押さえて転げまわる犬の姿が滑稽で、思わず笑ってしまった。僕は、笑いをこらえながら、

「安心しなよ。眼球は外したから」

 と、相手に声をかけた。瞼の上あたりを狙って、引っ掻いておいたので、目玉に傷がついているということはないはずだ。さすがに喧嘩ごときで失明というハンデを背負わせるのは可哀そうだ。

 ふと後ろを見ると、すっかり戦意を喪失し、目をひん剥いてこちらを見つめているBとCがいた。相手をひるませるには、今の一撃で十分だったらしい。念のため、全身の毛を逆立て、思い切り睨み付けてやると、「ヒッ・・・」という短い悲鳴と共に、二匹が少し後ずさりした。

「なんだ、もうノックアウト?」

 そう言うと、BとCは悲鳴をあげながら逃げていった。仲間に置いて行かれた悲しい大型犬は、泣いているのか、きゅんきゅんと鼻を鳴らして、助けを求めていた。空しく消えていくSOSは強く吹き付ける風に流されて、砕け散っていった。

 何時間も居座られると面倒なので、

「お仲間さん帰っちゃったけど、いいの?」

 と声をかけた。

 Aは、仔犬のようにクンクンと鳴いていたが、僕の言葉を聞くと、素早く起き上がり、

「ちくしょう!おぼえてろ!!」

 と吐き捨てて、逃げていった。

「覚えとかねーよ。二度と来るな」

 すっかり小さくなった大型犬の背後にそう叫んでおくと、途端にどっと眠気がおそってきた。

「ちくしょう、眠い・・・時間が無駄になった・・・・・・」

 しかたなく、寝床である室外機の横の溝に移動した。人間が入れないように柵があるが、古い柵の端には小さな穴を開いており、猫ぐらいの大きさであれば、入ることができた。何度も出てくる大きなあくびを噛み殺しながら、寝床への穴をくぐった。

 入った瞬間に、僕のものではない別の、甘い香りがした。前に嗅いだことがあった匂いだった。たしか石鹸と呼ばれていたものだった気がする。ショッピングモールの客のおばさんが落としたものを嗅いだことがある。暗闇に目をこらすと、僕が普段眠るときに使っている、近所のゴミ捨て場で拾った汚れた布に、こちらに背中を向けるようにして、何者かがくるまっていた。眠っているようで、小さな寝息と同時に、胸のあたりがゆっくりと上下しているのがわかった。

 近寄ってみると、毛布にくるまっているものの正体がわかった。毛布から飛び出している、灰色と黒が混ざり合った、綿のような毛並み、体と同じくらい毛が多く短い尻尾、上に尖った大きな耳・・・メインクーンという品種だと思われた。見たところ、雌猫らしかった。華奢な体つきをしていたが、もさもさとした体毛には、少なからず上品な猫の気品が漂っていた。寝ている姿勢も、体をくるりと丸め、気高き女王のような風格があった。

 まず、驚いた。次に、同族のものを見つけた喜びがこみあげてきた。しかし、すぐにそれは、小さな怒りへと変わった。人の縄張りに勝手に入ったあげくに、人のものを勝手に使い、そこで眠るなど、野生に生きる者としてあるまじき無礼だった。たとえそれが、上品そうな雌猫でも、許すことはできなかった。

 すぐさま、さっきの喧嘩でも使った爪を出した。足音を立てないよう、慎重に、無防備な雌猫に近づいていった。何かが耳に詰まったように、何も聞こえなくなった。喉のあたりが締まり、息苦しくなってきた。白い体毛の下を冷汗が伝っていく感触が、はっきりと神経に伝わった。

 あともう少しで雌猫の体に前脚が届く距離に迫った。そのとき、雌猫の大きな耳がぴくりと動いた。

 驚いた拍子に、僕の全身の毛という毛がゾワッと広がった。すると、毛布の中から、黒い縞模様の毛玉が、もぞもぞと這い出してきた。僕は、ごくりとツバを飲み込んだ。

「んんんぅ・・・なに・・・?」

 眠そうに瞼をこすりながら、僕のほうをぼうっと見つめていた。僕はぎっちり固まったまま動けなかった。メインクーンの方は、寝ぼけているのか、うっすらと開いた目でこちらを見つめている。

 それからしばらくの間、風の吹く音だけが響いていた。

 その空間を消し去ったのはメインクーンの方だった。とっさに状況を把握したようで、エメラルドブルーの大きな鋭い目をめいっぱい見開き、一目散に逃げようとした。僕は雌猫の行く手を塞ぎ、頭突きを食らわせ、コンクリートの地面へ勢いよく押し倒し、動けないようにしっかりと四肢を抑えつけた。メインクーンは両目をきつく閉じて、僕の拘束から逃れようとしばらくじたばたと暴れていた。しかし、僕の前脚の爪の先を喉笛あたりに突き付けると、冷たい爪の感触を感じ取ったのか、雌猫はぴたりと動きを止め、閉じていた目を、おそるおそる開いた。

「ここでなにをしていた!ここは僕の寝床だぞ!」

 と、わざと声を荒げて威嚇してみると、彼女は、大きな目いっぱいに涙を浮かべ、今にも泣きだしそうな顔をして、震えていた。蚊の鳴くような声で「ソーリー・・・ソーリー・・・」と、聞きなれない言葉を何度も呟いているのが聞こえた。こっちが悪者みたいになると嫌だったので、爪をしまい、目の端から今にもこぼれ落ちんばかりに溜まった涙を、前足でふき取ってあげた。そして、少し声を和らげて話しかけてみた。

「怖がらせてごめんね・・・でも勝手に縄張りに入るのはいけないことなんだ」

「Sorry・・・私、メインクーンです。あなたの縄張りだとは知らなかったです・・・とても疲れたです・・・本当にソーリーです・・・」

 メインクーンは、両目からぽろぽろと涙をこぼし、片言の日本語で何度も謝り続けた。大きな三角耳も、しおれてしまっていた。ちょっとやりすぎたと反省した僕は、彼女の拘束を解き、少し離れた場所に座った。しかし彼女は、起き上がってもなお、くすんくすんと泣いていた。すすり泣きの声は、僕をぐさりぐさりと刺し続けた。

「ごめん・・・怖がらせたのは謝るからさ・・・君は、どこから来たの?」

 気まずい空気に耐え切れなくなった僕は、メインクーンに質問を投げかけてみた。すると彼女は、涙で濡れた顔をこちらに向け、水をたたえた瞳で僕を凝視していた。涙が流れた跡が、うっすらと入ってくる月の光に反射して、てらてらと光っていた。落ち着いて見ると、かわいい娘だなぁ、と思った。

 まだ警戒しているのか、じっと僕を見据えて中々言葉を発そうとしない彼女に、寝そべって微笑んでみた。すると、僕に敵意がないことを理解したのか、ぽつりぽつりと、遠慮がちに言葉を発し始めた。

「私は・・・アメリカからここ来たです・・・ずっと旅をしてましたです・・・・・・」

「へぇ・・・旅の猫ねぇ・・・・・・」

「Yeah・・・それで、しばらくこのあたりに泊まろうと思って、ここを見つけたです・・・」

「そりゃあ、悪いことしたね・・・、おわびといっちゃあなんだけど、よかったら泊まっていきなよ」

 泊まっていきなよ、という言葉を発した瞬間、僕はしまったと思った。だが、一度勢いで吐いてしまった言葉は、もう取り消せなかった。

 伏し目がちだった彼女は、僕の言葉を聞いた瞬間、ぱっと顔をあげ、驚いた様子でこちらを見つめてきた。透き通ったエメラルドブルーの大きな瞳が一瞬、月の光に反射して、さらに透き通ったように見えた。

「よろしいですか!?」

「うん、おどかしちゃったしね。それに・・・」

「What?」

「旅の話とか聞いてみたいし・・・」

 彼女の目がさっきよりも大きく見開かれた。そして、先程までとはうってかわって、ぴょこぴょこと飛び跳ね、全身で喜びを表現していた。

 慣れないことに、顔が火照っているのが、自分でもわかった。

 歓喜に沸いていたメインクーンは、僕の今までと違う様子に気が付くと、どうしたんだという風に首をかしげていた。





 久方ぶりに他の猫と、ゆっくり話をした気がする。

 彼女は、僕に様々なことを語ってくれた。ふるさとのアメリカとかいう国のこと、元々は高貴な家に買われていた血統書付きの猫だったということ、ある日突然、旅に出たい衝動に駆られ、主人に黙って家を出たということ、海を渡るときに、船の荷物に隠れていたら、人間に見つかってつかまりそうになったこと、港で優しい人間に食べ物をわけてもらってうれしかったこと、優しい白猫に会いしばらくお世話になっていた時のこと・・・それを語るときの彼女は、脅かされて泣いていた雌猫とは思えなかった。

 正直眠りたかったが、嬉しそうに話をする彼女に失礼だと思い、適当に相槌を打ち、時々下がってくる瞼を必死にこじ開けながら、話を聞いていた。

 詳しいことは、眠気に邪魔されて先述したような内容しか覚えていないし、かなり断片的な記憶しか残っていないため、もしかしたら違う話をしていたのかもしれない。

 彼女の話は、根本的な理由に違いはあるものの、黙って住処を飛び出したという点以外は、僕にはまるで想像もつかないような話だった。僕は、彼女の話にまったくついていけなかった、もどかしい記憶だけが強く残った。もっとまじめに聞いておけばよかったと思った。

 僕の睡魔に取り込まれそうな様子を見かねたのか、彼女は「もう寝ましょうか」と笑って、毛布より少し離れた位置で、ふさふさの尻尾を毛布代わりにして、丸くなった。

「Good night」

「うん、おやすみ・・・」

 目を閉じて、真っ暗な世界を作り上げる。大きなあくびをして、僕は眠りに就く準備を整えた。

 しばらくすると、彼女の静かな寝息が聞こえてきた。

 起き上がり、彼女を足元からまじまじと眺めてみた。細く、引き締まった腰、柔らかそうな腹、上下に動く胸、そして、見えない明日への希望をいっぱいにたたえた寝顔、そのすべてに、彼女の戦いの後が刻まれていた。4本の足には、すべて血が流れたような跡があったし、尻尾の先は色あせ、背中には何者かに咬み付かれたような跡が、くっきりと残っていた。

 この華奢な娘は、強い意志の元、たったひとりで故郷を離れ、船に乗り、いくつもの町を超え、この場所へたどり着いたのだ。彼女は小さな足で、僕よりもはるかに多くの距離を歩き、僕が一生かかってもできないほどの様々な経験をしてきたのだ。ショッピングモールの屋上にいつまでも張り付いて虚勢を張っている僕とは違う。

 思考を巡らせれば巡らせるほど、負の感情ばかりが沸き上がってきた。何かが腹の中で煮え立つような、黒々としたものが溜まり、それらが今にも破裂しそうだった。

 風が強くなってきたのか、寝床に強く風が吹き込んできた。

 勝負に負けるよりも、よっぽど恥ずかしかった。僕は、こんなにすごい人に凶器を向け、泣かせてしまったのだ。

「なんだよ・・・昔とちっとも変わってないじゃないか・・・無礼なのはどっちだよ・・・」

 そう呟いて、初めて自分が泣いていることに気が付いた。劣等感ばかりが溢れ、自分がひどく小さく感じた。

 困惑した。「この僕が泣くなんて。さっき泣かせた相手に僕が泣かされるなんて」と、ここまで来てもまだ、自尊心は、己の非を認めようとはしなかった。

 自分の経験不足を嫌と言うほど叩き付けられ、事実が尖った刃物となり、深々と突き刺さった。

 僕は、目をきつく閉じて、流れ落ちる涙を必死にこらえようとした。しかし、目の奥はすっかり熱くなっていて、こらえようとすればするほど、閉じた瞼から、涙はとめどなくこぼれた。ひとつこぼれてしまうと、止まらなかった。素直になれない自分に対する情けなさなのか、自分の世界を荒らされた悔しさなのか、もうわからなかった。

 何かが体に触れる感覚があった。涙でぐしょぐしょになった顔をあげると、エメラルドブルーの瞳が2つ、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。

「どうされたですか?」

 声をかけられることが、これほどつらかったことはなかった。僕はメインクーンを半ば強引に抱き寄せて、泣いた。身内以外の他人の前で初めて、大声で泣いた。彼女は、ただ優しく僕の背中を撫でてくれた。

「・・・今から僕の言うことを、否定せずに聞いてくれるかい?」

「・・・What?」

「・・・僕を旅に連れて行ってほしい」

 自分でも、何故こんなことを言ったのかわからなかった。言われたメインクーンの方も、突然の告白に、大きな目をパチパチとしばたかせていた。

 呆然とする彼女に、僕は続けざまに言った。

「君の話を聞いて思った・・・僕も旅がしたい!君と一緒に世界を歩きたい!」

 もうどうにでもなればいいと思った。もちろん、断られることを覚悟した。むしろ、そうされることで、安心を得たかったのかもしれない。

 言ってしまった後は、まるで、パイプに詰まっていた垢が抜け落ちたように、不思議と清々しい気持ちになっていた。

しばらく僕らは、彫刻のように見つめあった。

 雌猫はただ、優しく微笑んだ。

「寂しかったですか?」

 また、涙があふれ出した。嬉しいはずなのに、涙が止まらなかった。

 すると突然、彼女は僕を押し倒した。僕はなにをされるのかと、身構えた。すると彼女が、笑顔で顔を近付けてきた。戸惑っている僕とメインクーンの口が重なり合った。

 今まで経験したことのない柔らかな感触に、全身の力が奪われていった。何も知らない僕は、全てを彼女に委ねることに、抵抗すら覚えなかった。

 快感に身をまかせ、瞼を閉じると、刹那、眠りはやってきた。





 彼女は僕にふたつの嘘をついた。

 あのあと、しばらくしてもう一度眠ってしまったようで、目が覚めると、彼女がいた痕跡は体毛一本すら残さずに、跡形もなく消えていた。あんなに生えていた体毛が落ちていないはずがないと、赤く充血した目を見開いて付近を捜索したが、彼女の存在は、欠片さえ見つけることはできなかった。

 あの華奢な娘は、僕の心をさんざん掻き乱した挙句の果てに、まるで自分の存在を消すかのように、いなくなってしまった。なにが血統書付きだ。

 あのあとも僕は、ショッピングモールの屋上に住み続けている。相変わらず不躾な連中が訪ねてくる毎日だが、メインクーンのような奴が来ないだけましだと言い聞かせ、以前と変わらず分け隔てなく相手をしている。

 彼女は、良くも悪くも、僕に大きな傷を残していった。

 確かに彼女は、僕よりも広い世界を見ていたし、それを他人に押し付けられるだけの説得力があった。僕はそれに、まんまと引っかかってしまった。改めて、自分を恥ずかしいと思う。

 彼女が今現在どうしているのかは、わからない。しかし、一夜の夢として片付けようとしてもできない存在として、彼女は僕の中に、永久に居座り続けるだろう。

 ふと、久しぶりに実家に帰ってみようと思った。

 三年もの間、勝手に家を飛び出した息子の突然の帰郷に、父はどのような反応をするだろう。もしかしたら、会ってすぐに殺されてしまうかもしれない。

 しかし、不思議なことだが、今なら何をされても、乗り切れるような気がした。



 元々これを書くきっかけになったのが、ジャスコの屋上に立ったことだった。家族で来ていたから少ない時間ではあったが、強い風の吹く車の少ない屋上の独特な雰囲気は、当時小学生だった私の心に、こびりついて取れない経験となった。

 以後、「屋上を根城にするいじっぱりなオス猫が、気弱な旅の猫に旅の話を聞く」という構想を描き、ノートにまで記していたが、ほったらかしにしているうちにそのことを忘れ去り、ノートも紛失してしまった。中学校で、詳しくは書けないが、精神的なダメージを負い、心を病んでいた私が見つけたのは、輝いていた頃、唯一本気で好きになれた「構想ノート」だった。なんとかこれを具現化することはできないかと考えた私は、当時小説でやりとりをしていた(ノートに合作小説や、思いついた小説などを書きなぐりあっていた。)親友・S氏のノートに最初の短編を書いた。しかし、それは二次創作であるうえに、他作品の要素をふんだんに無断借用していたために、記録から抹消した。故に、まったくゼロの状態に戻して生まれたのが、この文章なのである。

 設定がいまいちちゃんとしていないうえに、ダラダラと長い。それに対して、オチは適当と、あらためて見てみると、ひどすぎて言葉が出てこなかった文章であるが、この駄文をあえて晒すことで、同じ過ちを繰り返さぬよう、よりよい文章を生むための「ムチ」のような役割を果たしてくれれば、幸いである。

 中学生故に、表現不足やいらぬ表現、誤字脱字、あからさまな差別表現(ガイジ、イカレたデブ、等)は、できる限り削除したつもりだが、もしも誰かしらが不快になった場合は、迷わず低評価を付けていただきたい。自分への戒めとなるならば。

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