第66話 異質な二人の関係性
「ねえ、ミーヤ。大事な話があるんだけど……」
今日の依頼を達成し、ギルドへの報告も終えた帰り道。ミーヤへと声をかけた。
もちろん隣にはロズリアもいる。
「どうしたの? 大事な話って?」
振り返るミーヤを眺めながら、今朝のエルドリッヒとのやり取りを思い出す。
――うちのパーティーのミーヤが、キミ達の手伝いに掛かりきりになって困っているんだ。ここ数日『光り輝く剣』の活動が全然できていないんだよ。
彼はこう言っていた。ミーヤが俺達に噓を吐いているとも。
ミーヤは『光り輝く剣』のメンバーだ。
本当は自分のパーティーの活動を優先しなければならない。
仲間に迷惑をかけてまで、幼馴染を手助けしようとするのは間違っている。
きっと自分のパーティー活動をサボってまで、手伝いを続けているのは俺のせいだ。
ミーヤは俺に言いたい不満があるから、こうして手伝いという形で関わることにしたのだ。
だけど、彼女は優しい。相手を傷つけるようなことを自分から切り出せるような性格じゃない。
だから、まず俺の方から過去の出来事について触れなければならない。
「本来だったら、もっと前にミーヤに言わなくちゃいけないことがあったんだ」
「急にどうしたの? 真面目な顔しちゃってさ」
ミーヤは笑いながら、手を振っていた。
ここでなら、冗談っぽく誤魔化して逃げることもできる。
引き下がるなら、今のうちだろう。
だけど、それは決して彼女のためにならない。
俺は一歩、踏み出すことにした。
「昔のことを謝らなくちゃいけないと思って」
「――っ」
ミーヤの顔から笑みが消えた。
場に流れていた明るい雰囲気が一瞬で消え去った。
後ろを歩いていたロズリアは、黙ってこちらの様子を窺っている。
「俺達二人が別れた日さ、俺すごく酷いこと言ってミーヤを泣かせたじゃん。それだけじゃない。冒険者になり始めた時から、ミーヤに頼りきりになって、自分だけサボっていた」
あの日の決別だけじゃない。それまでの怠惰な日も含めて。
本来、別れを告げられたあの日に謝らなければいけなかった全てを口にする。
「二人で夢を叶えようって約束してたのに俺が破ったんだ。ごめん。本当にごめん」
立ち止まって、深く頭を下げた。
本当はもっと早くに謝らなくちゃいけなかった。
再会して一番に謝らなくちゃいけなかった。
ミーヤはどうせ俺と関わる気なんてないだろう。
依頼を手伝うっていっても一時的なものだろう。すぐに他人の関係に戻るから。
そもそも、ミーヤは俺と関わるべきではないから、二人の確執を解消する必要もない。
そんな風に言い訳をして、なあなあにやり過ごそうとした。
けれど、それは間違っていた。
「別に許されようだなんて思っていない。俺を嫌ってくれていい。どんな文句だって受けつけるから――」
ミーヤに許されるためじゃない。
ただ、彼女が過去に折り合いをつけ、現在を見ることができるようにと。
ひたすら頭を下げた。
「……」
しばしの間、沈黙が流れる。
ミーヤの反応を窺おうと顔を上げたのと、彼女が口を開いたのは同時だった。
「なんだ。そんなことかー。いきなり真面目な顔するからびっくりしちゃったよ」
なんてことないかのように、俺の真剣な謝罪を笑い飛ばした。
「いいよ、謝らなくて。別に気にしてないから。というか。どれだけ昔のことを掘り返しているの? 過ぎたことじゃん」
「何言ってるんだよ……」
「別にもう怒ってないから。あの時はわたしも感情的になっちゃったけどさ」
「いや、でも――」
「でもじゃない。この話はおしまい。いい?」
「全然よくな――」
「これ以上掘り返すと、逆に怒るよ。わたしが気にしてないって言ったの。だったら、おしまい。それでいいでしょ?」
有無を言わさず、こちらの謝罪を口止めしてくる。
まさかこのような展開になると思っていなかった。
予想外の出来事に頭が真っ白になる。
「それだけで話って終わり?」
「……まあ」
曖昧な返事で応えることしかできなかった。
もっと何か言わないと。
こちらが焦る間にも、ミーヤは話を勝手に進める。
「ロズリアちゃんも困っちゃうよね。いきなりシリアスな謝罪始められても」
「いや、わたくしは全然構いませんけど……」
「またまた。遠慮しなくていいんだよ。そもそも、わたしが困っちゃうし」
ミーヤは両腕を頭の後ろに組んで、話を続けていた。
「もっと明るい話しようよ。明日の昼ご飯、どこで食べるかとかさ――」
俺の精一杯の謝罪は、ミーヤの朗らかな声にかき消されてしまった。
「よかったですね。一応、仲直りできたみたいで」
そのままこちらの謝罪が断ち切られ、しばらく身も蓋もない話をした後。
ミーヤと別れると、ロズリアがそんなことを言いながら笑いかけてきた。
彼女は一体何を言っているのだろう。見当違いも甚だしい。
ゆっくりと首を振って答えた。
「逆だよ。仲直りの機会を逃したんだ。未だに俺につけられた傷で苦しんでいるから、ミーヤは過去と向き合うことを拒んだんだ」
「どうしてそうなるんですか?」
エルドリッヒからの話を聞いていないロズリアにはピンとこなかったかもしれない。
ミーヤが本心から過去の諍いを気にしてないと言っていたと思っているのだろう。
だけど、俺はそれが噓だと確信していた。
これまでに彼女が吐いていた噓がそれを証明している。
「そういえば、ロズリアには俺が今日の午前中、エルドリッヒさんと会ったことは言ってなかったよね」
「エルドリッヒさんって、以前ギルドでわたくし達に声をかけてきた人ですか?」
「そう、その人にある相談をされたんだよ。それでミーヤが噓を吐いていることがわかった」
「噓ですか?」
ロズリアは皆目見当もつかないといった表情で首を傾げた。
「『光り輝く剣』は最近活動も少ないから、俺達の手伝いに顔を出せるって言っていたでしょ? だけど、それは全くの噓で、ミーヤがこちらの手伝いをしている間にも『光り輝く剣』の活動はあったんだ。要するにミーヤは自分のパーティーの活動をサボっていたんだ。そのことをエルドリッヒさんに相談された」
「そうだったんですか……」
ロズリアは口に手を当てて呟いた。
「確かに自分達のパーティーをサボることは悪いですけど。それって、言うほど問題視するようなことですか? ただ単に、手伝いを理由にノートくんと仲直りしたかっただけなんじゃないですか?」
「それだけだったら、俺もそんな風に浮かれた勘違いをしていたかもしれない。もしかして、自分のことを許してくれたんじゃないかなんて。でも、ミーヤが吐いていた噓はそれだけじゃなかったんだ」
これはエルドリッヒにすら、告げることのできなかった事実だ。
だってそれは、俺に吐いた噓じゃなくて、『光り輝く剣』に吐いた噓だったのだから。
「ミーヤはさ、『光り輝く剣』の仲間に自分のスキルを偽っていたんだ。本当のスキルよりいくらか劣ったものを申告して、自分を弱く見せようとしていたんだ」
――【弓術・大】に身体強化と精霊系スキルが揃っている冒険者なんてそうそういないからね。
エルドリッヒはミーヤのことをこう語った。
でも、それは間違いだ。
ミーヤの本当のスキルは【弓術・極】だ。
『贈与の儀』でミーヤが祈りを捧げていた際に、神の石盤に映る文字を実際に見たのだ。
俺が間違うわけもない。
その他のスキルだって【身体能力・大】と【森精霊王の加護】である。
二つとも、一方だけで冒険者としての成功を約束されたような、非常に優秀なスキルだ。
エルドリッヒは身体強化と精霊系スキルと一緒くたに表現していたが、そこにも違和感を覚えた。
もし彼が、ミーヤの【身体能力・大】と【森精霊王の加護】について知っていたら、もっとその点を強調していたはずだ。
ミーヤはおそらく、全てのスキルについて偽りを述べている。
「それって……」
ロズリアが驚くのも無理はない。
冒険者の中には、パーティーメンバーに自身のスキルを偽ることはタブーとする価値観が存在する。
パーティーメンバーとは互いが互いに自分の命を預ける存在のことだ。
そうあるべき相手に、自分の能力の根幹であるスキルを偽るなんてもってのほかだ。
実際のところ、タブーとされているのは自分のスキルを過大に偽ることだ。
ミーヤのような過小に偽る場合はどうだかわからない。
そもそも、自分を弱く見せようとするなんてことはそうそう起こらない。
レアケースすぎて、タブーなのかどうかすら判断できないというのが正直なところだ。
「俺も最初から、おかしいと思っていたんだ。あんなに万能なスキルを持つミーヤが、冒険者としてそこまで有名じゃなかったことに」
ミーヤのスキル構成は、この世界に十人といないほどの冒険者として恵まれたものだ。
それにもかかわらず、王都で半年間も暮らしていて、その名前を一度も聞かなかったということ自体がおかしかった。
『光り輝く剣』についてもそうだ。
その名前は王都の冒険者界隈では有名だが、その名声は全てエルドリッヒのものだ。
いくらエルドリッヒのスキルがすごかろうとも、それに埋もれるほどミーヤのスキル構成は生半可なものじゃない。
「ミーヤは意図的に自分の実力を『光り輝く剣』のメンバーに隠していた。多分、それは間違いない」
そして、ミーヤが仲間を欺いてまで、自身の実力を隠したかったのは――。
「そこまでするのは、きっと俺のせいだ。彼女についていけなくて、二人で立てた夢を裏切った俺のせい。ミーヤはあの時のことを気にしてないなんてことはないはずなんだ。気にしてなかったら、噓なんか吐いていない」
『光り輝く剣』に入る時、彼女はこう思ったのかもしれない。
もう二度と、同じ失敗はしないと。
自分の実力のせいで、他人の心を折ってしまう。
そういうのはもう嫌だと。
だから、スキルも実力も全部隠して、平凡な一冒険者として生きようと。
それは俺がかつて『到達する者』に加入した時とは正反対の心意気。
見限られないように努力することを誓い、自分を変えることを願った俺とは正反対の歩みだ。
俺は『到達する者』に出会い、彼らを信用し、ついていくことを決めた。
ミーヤは『光り輝く剣』に出会い、彼らを信用せず、一人噓を貫くことを決めた。
俺は『到達する者』に救われたが、ミーヤは『光り輝く剣』には救われなかったのだ。
別に『光り輝く剣』の人達が劣っているというわけじゃない。
エルドリッヒだってジンに負けず劣らずの良い人だと思う。
フォースなんかが『光り輝く剣』のメンバーに人格で勝っているとも思えない。
どの出会いが救いになるかなんて、タイミングと運の問題だ。
きっと、歯車が少しずれていたら、俺とミーヤの立場は逆だった。
ミーヤは『光り輝く剣』で余すところなく実力を発揮し、王都で最高の冒険者としての名声を得る。
俺は『到達する者』の面々についていくことができずに、パーティーを去り、荷物運びとしての冴えない冒険者生活に逆戻りをする。
そんな可能性だって、大いにあり得た。
「ミーヤは未だに、俺との決別の傷を引きずっているんだ。引きずっているからこそ、今日も俺の謝罪をまともに受け止められなかったんだ。過去に向き合うことを放棄したんだ」
ミーヤは言った。過ぎたことだと。
過ぎたことだから、傷ついたことすらなかったことにしようとした。
自分さえ我慢すれば全て丸く収まると、そう考えた。
でも、そんなのは間違っている。過去を乗り越えたとは言えない。
「どうすればいいんだろうな。俺はミーヤに今と向き合って欲しいんだ。過去なんかに引っ張られずに。そうじゃないと人生ってのは辛いままだ」
この街に来てからの自分がそうだった。
ジンの死を引きずって。楽しかった『到達する者』の思い出を全て投げ捨てて、強引に普通の人生を歩もうとした。
けれど、過去に引きずられた生活は、幸せを目指しているはずなのに、幸せとは程遠く て。
苦しいだけの毎日だったと思う。
「やっぱり傷つけた本人じゃ無理なのかな? ミーヤを救うのは?」
「わかりませんよ。お二人の問題はお二人の問題ですから。当事者じゃないわたくしが口を出しても、見当違いになってしまうかもしれませんし――」
「そうだよな……」
ロズリアの言うことはもっともだ。
これは俺とミーヤ、二人の問題だ。
第三者に尋ねて、答えが見つかるような単純な問題じゃない。
「ただ一つ、的外れかもしれないアドバイスをさせてもらいますけど、お二人の仲違いってそこまで重大な問題なんですか?」
「えっ?」
根本的な問いを投げかけられて、面食らってしまう。
「重大な問題も何も――」
「聞いた感じだと、どこにでもあるような喧嘩じゃないですか? パーティーのモチベーションがバラバラになって仲違いって。わたくしが知っているだけでも十はありますよ。ただ、仲直りのやり方を拗らせて、お互い引きずっているっていう最悪な状況なのが特別なだけで」
客観的に見ればその通りかもしれないけれど。
それでも、過去に死ぬほど苦しんで悩んできた当事者として反論させてもらう。
「でも、俺はミーヤにあんな酷いことを言ったのは初めてだったんだよ。だから、ミーヤは傷ついて――」
「あんなに酷いことを言ったのは初めてって。今まで喧嘩とかしなかったんですか?」
「それは……多分ない。そういえば小さい頃も含めて、言い争いした記憶ってないかも……」
俺とミーヤはチャングズという村で育った。
同年代の人間がいない環境で二人きりで遊んできた。
仲良くと言ったらおこがましいかもしれないけど、それでも波風は立てないように心掛けていた。
「だから、そんなに喧嘩が拗れちゃったんですよ。喧嘩慣れしていなかったから、仲直りの方法がわかんなくなっちゃったんです。逆に訊きますよ。十五年間も一緒にいて、一度も言い争いをしたことなかったって異常じゃないですか? 普通なら、数え切れないほど喧嘩をしているはずじゃないですか?」
「それは……」
俺は反論することができなかった。
小さい頃から、ミーヤのことがずっと好きだった。
彼女を傷つけまいと衝突を避けて暮らしていた。
それでいいと思っていた。それが正しいと思っていた。
でも、それはきっと幼い俺達にとって異質な関わり方で。
だから、あの時に間違ってしまった。
そして、今も間違い続けているのだ。
「そうか。最初から間違っていたのか。だから、昔みたいに振る舞おうとしても駄目だったんだ。失敗したんだ」
二人の決別なんてなかったことのように会話をした。
『到達する者』時代の自分をひた隠しにし、情けなく弱いままの自分をどこか演じていた。
それじゃ駄目だと、謝罪をした。
全面的に自分が悪者なことを認めてしまった。
それでは今までの俺達と何も変わらない。
間違った関係のまま一緒にいても、それはお互いを傷つけるだけだ。
「ありがとう、ロズリア。少し目が覚めた」
「別に正しいことを言ったつもりはありませんよ。あまり真に受けないでください」
ロズリアは謙遜とも、責任逃れとも言えないような言葉で返した。
でも、今の俺には彼女の言葉がそう的外れなものには思えなかった。
自分の中に、俺とミーヤの確執を解決する一筋の光が見えてきた。
「わかったよ。ヒントくらいに留めておくよ」
「そうしてください。わたくしの余計なアドバイスでさらに仲が拗れたら、笑い話にもなりませんから」
「そこは心配しなくていいよ。多分、今よりは拗れると思うから」
今、俺達二人の間に一番必要なのは、やり直して仲直りすることじゃない。
積み上げてきた全ての関係をぶち壊して、確執を全て清算することだ。
彼女を縛り上げているものゼロにして、前を向かせなくてはいけない。
それがたとえ、俺とミーヤの関係を完全に絶つことに繫がろうとも、別に構わなかった。
「えっ⁉ さらに拗れちゃうんですか⁉」
「それはもう。もしかしたら、絶交されちゃうかも」
「いいんですか? それで?」
ロズリアは心配そうに尋ねてきた。
「いいよ。本来、絶交されていたようなもんだったし。たまたま再会できて、こうして話す機会ができたんだ。せっかくのチャンス、一か八かの大博打に挑んだ方が冒険者っぽくない?」
「ノートくんは冒険者をなんだと思ってるんですか……」
今度は呆れた視線を向けてきた。
何故か口元は笑っていた。
「でも、やっぱりノートくんには冒険者がお似合いだと思いますよ。そういう性格してます」
「そう? どちらかというと、冒険者に向いていない性格だと思っているんだけど」
繊細だし。すぐに落ち込むし。
自分で言うのも情けないが頼りない性格だ。
「俺が思う冒険者らしい性格って、豪快って感じなんだけど……」
「確かにノートくんは豪快って感じではないですけど――」
そう断って付け加えた。
「結構めちゃくちゃなことをやる性格ですからね。自分では気づいていないかもしれませんけど」
「そんなつもり全然ないんだけど……」
本当に自覚がなかった。
というか、指摘された今ですら、その評価には納得がいかない。
俺ほど、冒険者に向いていない性格もないだろう。
「やっぱり。だから、今回も何をするつもりかはわかりませんが、あまり無茶はしないでくださいよ」
「大丈夫。あって怪我止まりだと思うから」
「そんな危ないことするつもりなんです⁉」
まあ、これからしようと思うことを考えれば?
身体に矢が一、二本刺さってもおかしくはないのか?
なんて考えているところだ。




