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第57話 きっと平穏で幸せな日常

 ピュリフの街はこの街ほど寒くなかった。

 その前にいたブロードの街も。そして俺が生まれた村も。


 今までコートというものをロクに着たことがなかったし、マフラーもしたことがなかった。

 手袋だって、防寒用のものは初めてだ。

 だからか、身体に上手く馴染んでいる気がしなかった。


 街灯の下、待つこと二十分。

 マフラーの端のふさふさした毛糸を手でこねくり回していると、道の先から手を振る女性の影が見えた。


 首元が白い毛皮で覆われたベージュのロングコート。

 それと合わせて綿毛のような白い帽子を被 かぶ っている。

 見覚えのある服装だ。ロズリアだろう。


 俺が手を軽く上げると、応えるように彼女は手を振ってきた。

 小走りに駆け寄ってきて、こちらにたどり着いた時には少し息が切れていた。


「……お待たせしました。すみません」


「全然待ってないよ。大丈夫」


「本当ですか?」


「ほんとほんと。仕事長引いたの?」


「はい。明日は大事なお客様とやらが礼拝に来るらしく、その用意で」


 ロズリアは現在、教会でお手伝いとして働いていた。

 正式なシスターの補佐として、身寄りのない子供たちの世話をしたり、怪我人を神聖術で癒しているらしい。


「というか、走って来たらさすがに暑いですね」


 手で顔を扇ぎながら、ロズリアは言う。


「厚着しているからね。まあ、しばらくしたら冷えるでしょ。こんなに寒いわけだし」


「今日は一段と冷え込んでますからね。そろそろ降りそうですよね、雪」


「雪か……」


 雪の降る景色を思い浮かべながら、呟いた。


「自然な雪って見たことないんだよね……。魔法とかダンジョンでなら見たことはあるけど。ロズリアは?」


「はい。昔、故郷にいた時は見ていましたよ。あの時は子供でしたから、毎年降る度に雪だるまを作っていました」


「へえー、ロズリアにもそんな時期があったんだ」


「まだ純粋な子供だった頃ですから」


「やっぱりこの歳で雪だるま作るのってなしかな?」


「もしかして、作りたかったんですか?」


「うん、割と」


 恥ずかしくなって、少し顔を背けながら答える。


「だって、一度はやってみたいじゃん。雪だるま作り」


「いいんじゃないですか? 一緒にやりましょうよ。何歳になったから、遊んじゃいけないなんてことありませんよ」


「そういうものかな……? でもやってみたいから、いいか」


「それなら、雪合戦もしません? やってみると結構楽しいですよ、あれ」


「二人で雪合戦ってできるものなの? 二人だったら合戦じゃなくない?」


「雪を投げ合えば、そこで雪合戦は始まるんですよ。ルールなんてあってないような、ただの遊びなんですから」


 ロズリアは雪玉を作って投げるふりをした。


「まあ、雪が降った時のことを話し合うのはこれくらいにして。早くご飯食べに行かない? 外で話していると寒い」


「ノートくんは寒がりですね。わたくしはまだ平気ですよ」


「それはさっきまで走っていたからでしょ。こっちはこの寒い中、ずっと待っていたわけだし」


「あれ? さっき待ってないって言っていませんでしたか?」


「……ああ。そういう設定だったな」


 一分ほど前に自分が言っていたことを完全に忘れてた。


「噓を吐くんだったら、最後まで隠し通してくださいよ。申し訳なくなってくるじゃないですか」


「なんかごめん」


「なんで謝るんですか。悪いのは待たせたわたくしの方ですよ」


「長引いたのはロズリアのせいじゃないでしょ? だったら、悪くないじゃん」


「それもそうですけど……」


「はい、じゃあそういうことで。話はおしまい。ほら、寒いし早く行こうよ」


 手招きをしながら、背を向ける。

 ロズリアはそそくさと隣へと寄ってきた。


「今日は何を食べに行くんですか?」


「寒いから鍋料理の店にしない? 一つ気になっている店があったんだよね」


「いいですね。わたくしも温かいものが食べたいって思ってました」






 こうやって男女二人で鍋をつつき合っている姿は傍から見たら、恋人同士に見えるのだろうか。

 白濁したスープの中から肉団子を探して、皿に取りながら、そんなことを考えていた。


 俺達二人がこの街に来てから、こうやってデートをするのも、もう何十回目のことだ。

 週に二回。週末の夜と、お互いに曜日を合わせた休日の一日。

 毎週のようにこうして二人でどこかに出かけることにしていた。


 現在、ロズリアとは別々の場所に住んでいる。

 それは王都に来て、家を探す時に最初に決めたことだった。


到達する者(アライバーズ)』時代のように、一緒に暮らすという選択肢がなかったわけではない。

 でも、ロズリアと時間を過ごしている間はどうしても『到達する者(アライバーズ)』のことを思い出し てしまう。

 ジンの死や、フォースとエリンとの決別が。


 当分の間、それらのことを忘れて、一人になる時間が欲しかった。

 だから、別々に暮らすことを提案した。


 意外にも、ロズリアはその提案をすんなりと了承してくれた。

 説得する言い訳とかも考えていた分、肩透かしを食らった気分だった。

 その代わり、一つの条件を付け加えてきた。


 それがこのデートである。最低でも、週に一回はお互い顔を合わせること。

 約束通り週一で会うのでも構わなかったが、それだとお互い急用が入ってしまうと約束を破ったことになってしまう。

 そんなわけで、週に二回会うことにしていた。

 これだけ会って、会話を交わしていても、未だロズリアとは付き合っているわけではなかった。


 確実に原因は俺の方にある。

 自分の中にはまだロズリアと交際を始めることに躊躇いがあった。


 ロズリアはいわば、俺と『到達する者(アライバーズ)』の間に存在する最後の繫がりだ。

 彼女がいなければ、今頃『到達する者(アライバーズ)』のことを綺麗さっぱり忘れられた。

 過去とは無縁の毎日を過ごすことができた。

 だから、ロズリアとの関係性を進めていくのは怖かった。


 彼女と深く関われば関わるほど。共に時間を過ごせば過ごすほど。 鮮明に『到達する者(アライバーズ)』での記憶が思い起こされる。

 それは半年経っても色褪せることのない記憶だった。


 さらに付け加えるなら、エリンから別れ際にされた告白も原因の一つにあった。

 俺は王都に逃げてしまったわけだし、冒険者に戻るつもりもないわけだから、エリンとは未来永劫再会することはないはずだ。

 だけど、彼女に未練を残している自分もいた。


 このまま未練の存在をうやむやにして、ロズリアと付き合うという選択肢も考えた。

 だけど、それは今までの生活を捨ててまで、俺についてきてくれた彼女に対しての裏切りのように思えた。

 宙ぶらりんの関係性のまま、こうして会い続けていること自体が裏切りのような気がしないでもないけど。


「どう、美味しい?」


 野菜を取って、口に頰張っているロズリアに投げかける。

 彼女は咀嚼して飲み込んだ後、ゆっくりと答えた。


「美味しいですよ。やっぱり冬は鍋物に限りますね」


「よかった。満足してくれたようで」


 俺がスープを飲んで、濃厚なダシの味を堪能していると、今度は逆にロズリアが質問をしてきた。


「ノートくんはどうですか? 舌に合いましたか?」


「うん、美味しいと思う」


 静かに答えると、ロズリアは口をすぼめた。


「本当ですか? 全然美味しそうにしている顔じゃないんですけど」


「そう?」


 俺は首を傾げる。

 本心ではこの店の料理を気に入って、また来ようかと考えていただけに、ロズリアの発言が気にかかった。


「そんな無表情だった?」


「無表情とは違いますけど……」


 ロズリアは歯切れの悪い返事をする。

 宙を見つめ、たどたどしく最適な言葉を選んでいく。


「気を悪くしたら申し訳ないんですけど、いいですか?」


「もちろん。遠慮なんてしなくていいよ」


「ノートくんって笑わなくなりましたよね。この街に来てから」


 ロズリアが俺の瞳を覗き込みながら言った。


「別にそれが悪いこととかじゃないですよ。無表情とかじゃないですし。作り笑いならできていますから」


「作り笑いって悟られている時点で駄目じゃない?」


「別にわたくしは話していて楽しいですし、責めているわけじゃありません。悪い雰囲気だとか、そういう問題もないですから安心してください」


 彼女は慌てて手を振って、続けた。


「ただ、昔みたいに、心の底から笑うことはなくなったのかなって思うんです。なんかそれが残念だなって」


 話を聞きながら、その指摘はあながち間違っていないのではないかと納得していた。

 確かに俺は、昔よりずっと笑うことが少なくなったと思う。

 全く笑わなくなったとまでは思わないけど。


 ロズリアはこの街に来てからと表現をぼかしたが、この変化はジンの死が原因だろう。

 そして、『到達する者(アライバーズ)』の解散も。


 半年の間に、心にできた傷は癒え切ってはくれなかった。

 そのことを否定するつもりはないし、そもそもロズリア相手じゃ隠しきれそうにもない。

 素直に謝ることにする。


「なんか、気を遣わせてごめん」


「いや、気にしなくていいんですよ。落ち着いた雰囲気のノートくんも嫌いじゃないですし。大人の魅力って言うんです? そういうのが出てきましたよ」


「年上のロズリアに言われても、からかわれているようにしか思えないな」


「からかっているつもりはないですよ。本心です」


「それを言うなら、ロズリアの方が俺なんかよりずっと大人だなって感じることは多いよ。他人を気遣って、場の雰囲気を和ませようと冗談を言えるところとか、すごく大人に思える」


「これって、いざ自分が褒められてみると恥ずかしいものですね……」


「でしょ。だったら、俺のことを持ち上げるのも止めにしてよ」


「それとこれとは話が別です」


 ロズリアは顔を赤らめながら、咳払いをした。


「話が逸れちゃいましたね。元に戻すことにします。わたくし、ノートくんが時々心配になるんですよ」


「心配って、どういうこと?」


「ノートくんがあまりにも楽しそうな表情を浮かべないから。ノートくんは今の生活に満足していないんじゃないかって」


「満足って……」


 言葉に詰まってしまう。

 俺はきっと今の生活に満足しているはずなんだ。


 だって、こんなにかわいい女の子と毎週のようにデートができて。

 おせっかいに思うこともあるけど、優しい先輩達に囲まれた職場で働いて。

 昔みたいに命を落とす危険もない、安心な生活だ。


 誰もが思い描く、理想的な幸せの形だろう。

 こんな生活を満足していないなんて、欲張りもいいところだ。

 これ以上、欲張ったらバチが当たってしまう。


「そんなことないよ。俺は満足しているから、安心して」


 俺は自分に言い聞かせるように、言葉を口にしていく。

「こうやってたわいもない会話をするのを、ロズリアが思っているよりずっと俺は楽しんでいるよ」


 別に噓を言っているつもりはない。

 一週間の中で、ロズリアと会っている時が一番楽しいのは本当のことだ。


「そうですか。それならいいですけど」


「逆に訊くけど、ロズリアは俺と一緒にいて楽しいの? 何もしてあげられてないと思うんだけど」


「楽しいですよ。やっと独り占めできるようになったんですから」


「またまた、そういうこと言っちゃって。そうやって甘い言葉をかけて、たくさんの男を落としてきたんでしょ?」


「真面目に気持ちを伝えたのに、酷くないですか?」


 ロズリアは頰を膨らませて、抗議をした。


「わかっているって。冗談だって」


「それにしても酷いです」


「真面目に受け取るのは恥ずかしかったんだよ。かわいい照れ隠しだと思って許してください」


「それを自分で言っちゃうのは、全然かわいくないですけどね……」


 ロズリアは目を細めて、こちらを睨んできた。


「もう昔のことは忘れてくださいよ。あれは黒歴史みたいなものなんですから」


「黒歴史じゃ済まされないほど、他人に迷惑かけてたけどね」


「それは申し訳ないと思っていますけど……。今は改心したんですよ。大事なのは過去じゃなくて、今じゃないですか?」


「……それもそうか」


 大事なのは過去じゃなくて、今か……。

 不意にロズリアから放たれた言葉が、耳に残る。


 いい言葉だと思う。きっと、それは間違っていないのだろう。

 過去にいつまでも引っ張られていても、幸せにはなれない。

 大事なのは今を見つめ、生きることなのだろう。


「どうかしましたか?」


 思考の海に溺れていた俺の顔を、覗き込んでくるロズリア。

 平静を装うように、慌てて手を振る。


「なんでもないよ。ただ、いい言葉だなって思って」


「何がですか?」


「大事なのは過去じゃなくて、今ってやつ」


「そうですか? どこでも聞けるようなありきたりな言葉だと思いますが……」


「そうだけど、今の自分に必要な言葉だって思って。俺も早く昔のことを吹っ切らないとなって」


 こうやって決意を口に出さないといけないということは、未だ過去との折り合いがついていないということだ。

 自分の中には、まだ釈然としない感情が渦巻いているのも事実だった。


 心の中に引っかかっているものは、何なのか?

 今を生きることができない自分に足りないものは、何なのか?


 その答えは今日も見つかることはなかった。


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