第47話 平穏とその終わり
中ボスを突破した『到達する者』はその後も順調に進み、20階層を攻略していった。
二週間にもわたる探索を経て、俺達はボス部屋にたどり着くこともできた。
20階層のボスは中ボスに比べ、遥かに手強かった。
一度の撤退を余儀なくされ、二度目の交戦においてやっと勝利を収めることができたのだ。
そして、俺達は20階層からの帰還を果たした。
ダンジョンの中層――一般的に10階層から20階層のことを指す――を突破するという現存するパーティーで最高の偉業を成し遂げた『到達する者』はこのピュリフの街の冒険者達に大きな衝撃を与えた。
それはこうやってダンジョンギルドに来てみると明らかなことだった。
「あれって『到達する者』のジンじゃないか?」
「あの20階層を攻略したとかいう?」
「隣にいるやつは誰だ?」
「俺は知らないな」
「確か幼女攫いとかいうやつじゃね?」
「それって幼い子を誘拐したとかいう?」
……。
「ジンさん、あの人達ぶっ倒してきてください」
「物騒なこと言っちゃいけないよ。それとそこは人任せなんだ……」
「自分で戦っても勝てなそうですし」
そう言って、建物の隅からこちらの様子を窺っている冒険者達を睨みつける。
彼らは全員俺より一回り以上体格が良くて強そうだ。
このギルドにいるということは、実際にダンジョンに潜る実力もあるということだ。
平均的な冒険者と比べて強いのは当たり前だろう。
喧嘩を挑めるわけもない。
「それにしても、ダンジョンギルドって来るの久しぶりだなー」
「あれ? ノート君って初めてじゃなかったんだ」
「いやー、まあ、ちょっとした野暮用で一度だけ……」
リースとこの建物に訪れた際の記憶を思い出す。
あの時はキャシーがエリンに修業をつけてくれるよう、機嫌を良くしてもらうために恋人候補の男性を探していたのだ。
結果として、ヒューゲルという人物に出会い、彼をキャシーのところまで連れて行こうとしたら、途中でロリコンだということが判明するという悲しい出来事が起こってしまった。
どちらかというと忘れたい黒歴史なので、ジンには説明しないけど。
今日はというと、ダンジョンギルドに俺とジンの二人で来ていた。
というのも、最高到達階層を更新した『到達する者』は、このギルドに色々と手続きをしなくてはいけないらしい。
そういう旨で家を出ようとしていたジンが目に入り、暇を持て余していた俺が同行を申し出たというわけだ。
「最高到達階層を更新する度にギルドに報告しなくちゃいけないなんて初めて知りました」
受付の横に用意してあった紙に必要事項を記入するジンを横目に話しかける。
彼は紙にペンを走らせながら応える。
「他にも報告しなくちゃいけないことなんてたくさんあるよ」
「そうなんですか? ジンさん一人でやるのって大変じゃないですか?」
「大変ってば大変だけど、他の人に任せて適当にやられるよりかはマシかな。パーティーを組んだ当初なんて、フォースのせいで何回ダンジョンに潜るのを禁止されたことやら」
「色々苦労してたんですね……」
「あの時は初めたばかりだったからね。わからないことだらけで毎日が大変だったなぁ……。もちろんすごく楽しかったけどね」
「確か最初はジンさんとフォースさんの二人で始めたんでしたっけ? それからネメ姉さんとかが入ったって聞きましたけど」
「うん、そうだね。始めたばっかの時は全然メンバーが集まらなくて大変だったよ。フォースはメンバーに求める基準が高かったし、ダンジョン探索の経験がなかったから、いい人材は全然集まらないしでね」
「そこに来たのがネメ姉さんというわけですか」
「人見知りがすごくて全然パーティーメンバーを見つけられていない彼女に目をつけて、長い間交渉した結果、やっと入ってきた三人目のメンバーだよ」
「それからは確かメンバーの入れ替わりが激しかったんですよね?」
「うん、三日で辞めちゃった人もいたくらいだからね。それで最近になってエリンが入って来て、ノート君が入って、ロズリアが入ってと今の形に落ち着いたというわけだよ」
「なんか不思議な感じですね。自分が知らなかった『到達する者』があるって。まるっきり別のパーティーの話みたいで」
「ノート君にとっては今収まっている形しか知らないわけだからね。それも無理はないよ。ボクとしては二人だけの時代も、今もどっちも大切な思い出だけどね」
そう語るジンの顔はどこか誇らしくて、俺にない宝物を持つ彼を羨ましく思ってしまう自分がいた。
ダンジョンギルドから帰る頃にはすっかり日も落ちていた。
そもそも出かける時刻が遅かったのだ。
そこに煩雑で時間もかかる手続きが待っているとあれば、全てが終わる頃には星達が瞬き出す頃合いになる。
通り過ぎる民家からは食べ物の匂いが漂っている。
俺達も家へと帰れば、エリンが作る夕食が待ち構えているのだろう。
夜に向かって変わり移る街並みに気を取られていると、いつの間にかパーティーハウスに到着していた。
「郵便物でも見てきますよ」
ドアを開いて家に入ろうとするジンに声をかけると、玄関から逸れて、郵便受けに向かって歩き出す。
いつもはジンが朝と夕方に確認するくらいのはずだ。
他のメンバーは基本、自分宛てに郵便物が来る予定でもないかぎり、覗いたりしいない。
何か入っているかなと思い、水色の木箱を開けた。
すると、中には折りたたまれた一通の封筒が入っていた。
変哲のない形をした横長の封筒だ。
ただ珍しく、その封筒の色が黒かったことが気にか かる。
宛名はジンへとなっている。
「ジンさんに手紙みたいですよ」
ちょうどドアをまたぎかけていたジンを呼び止める。
彼は声を聞くと、早足でこちらに向かってきた。
「はい、これです」
黒い封筒を手渡す。
受け取る彼の表情には驚きが混じっていた。
「誰からだろうね。心当たりが全くないや」
と言いながら、抵抗することもなく封筒の端を切った。
ジンに言われてから気づいたのだが、この手紙には差出人の名前や住所が書いていない。
それどころかこのパーティーハウスの住所も。
そのことを指摘しようとジンの顔へ目を向けた。
しかし、言葉は手紙の中身を見たジンの表情に阻まれてしまった。
あのジンの唇が震えていた。
糸目な瞳は見開かれ、口は半開きだ。
俺には彼が驚いているようにも、恐れているようにも見えた。
初めてみるジンの動揺。 その姿に戸惑い、自然と言葉を放っていた。
「何が書いてあったんですか?」
ジンが素直に手紙の内容を見せてくれるとは思っていなかった。
だから、彼が簡単に手紙を渡してきたことに驚愕する。
そして、受け取る際の、手紙を握る力のか弱さにも戸惑った。
一瞬、躊 ためら 躇ったものの、結局は手紙に目を落とした。
『ジン殿へ
明晩、貴方の首を狙わせてもらいます
理由は言わなくてもお分かりでしょう
首切りより』
「ジンさん、これって……」
何とかして声を振り絞る。
自分でも驚くほど、細い声だった。
しばらく間が空いた。
遠くから聞こえてくる夜の喧騒が二人の間の沈黙を薄める。
もう一度尋ねようと口を開きかけたところで、ジンは穏やかな声で言った。
「どうやら殺害予告みたいだね。首切りからの」
『首切り』。
リースがいつの日か口にしていた、殺し屋の名前だ。
彼女曰く、対人戦闘において、この国最強の暗殺者。
《隠密》により気配を消し、対象に認知されぬまま首を刈り取るという必殺の担い手だ。
その一芸だけに特化した必勝戦法の前では、この国最強クラスの実力を持つフォースやジンですら手も足も出ないだろうと、リースは言っていた。
そのような人物がよりによって、ジンに宣戦布告をしてきた。
あまりに認めたくない事実だ。
咄嗟に否定の言葉が出てしまう。
「これ本物なんですか?」
「おそらくそうだろうね」
先ほどまでの震えは何処へやら。
ジンは既にいつも通りの落ち着いた口調だった。
しかし、普段通りの様子はこの状況には不釣り合いだ。違和感が拭えない。
「でも、本物ならどうしてこんな手紙を送りつけてくるんですか? 殺しに来るんだったら、黙ってやった方が成功しそうじゃないですか。それなのにわざわざ親切に手紙を送ってくるってことは『首切り』の名を騙ったいたずらなんじゃないですか?」
「いいや、彼はそういう殺し屋なんだよ。ノート君が変に思うのも仕方ないけどね、それは多分彼の流儀を知らないからだと思うよ」
「流儀?」
「うん。彼がターゲットに定める条件とでも言った方が正しいのかな?」
そう言って、ジンは手紙の本文二行目を指さした。
『理由は言わなくてもお分かりでしょう』
そこに書いてあるのは、いかにも引っかかりを覚える文だった。
ジンが殺されなくちゃいけない理由なんて考えつきもしない。
だけど、首切りがわざわざ遠回しな表現で言及しているということは、ジンには心当たりがあるということだろうか。
過去に首切りと因縁があったとか。
その因縁が首切りにターゲットを選ばせる条件とやらなのか?
尋ねようとするも、その前に次なるジンの言葉が発せられた。
「首切りはね、正義の殺し屋なんだよ」
「正義の殺し屋……?」
『正義』と『殺し』という相反する二つの言葉は俺の中にすんなりと入ってこなかった。
真夏の雪みたいな、あり得ない響きにさえ聞こえる。
「一般的には依頼された人だけを殺すんだけどね、その対象は悪人だけに限られるんだ。彼自身が綿密な調査をして、認められた正真正銘の悪人だけを裁く正義の執行人。だから、わざわざ手紙を送ってくる。死刑宣告として伝え、相手にそれまでの悪事を後悔させるように」
「じゃあ、どうしてジンさんが殺されなくちゃいけないんですか⁉」
「それはね――」
次第に更けてくる夜と同化した瞳が俺の姿を映し出していた。
「ボクが首切りよりも、大勢の人間を――しかも、何の罪もない人まで殺してきたからだよ」
その響きは自嘲的なようにも、何の感慨も込められていないようにも思えた。
ところどころ輪郭が浮かび上がっていたジンの過去。
それを正面から受け止めるのは初めてのことだった。
けれども、俺は今のジンしか知らない。過去がどうだとかだって知らない。
正直、面と向かって言われた今でも、ジンが暗殺者として善良な人間を殺していたなんて信じられなかった。
俺の知っているジンは優しくて、頼りがいがあって、絶望の淵から救い出してくれた救世主みたいな存在なのだ。
それを首切りとかいう、現在のジンのことをろくすっぽ知らないようなやつが、勝手に決めつけて、勝手に裁くなんて理不尽極まりなく感じる。
「でもジンさんは、今は全うに生きているじゃないですか! だったら、殺される謂れなんて――」
「それは違うよノート君。依頼者がいたから、彼は殺しにくるんだ。今もボクを恨んでいる依頼者がいたからね。はっきり言うと、誰がボクを恨んでいるかなんて、候補が多すぎて見当もつかない。だけど、その誰もが、家族や恋人など大切な人をボクに奪われているってことだよ」
上手く反論が口から出てこなかった。
大切な人――俺にとっての『到達する者』のみんなのようなものを、ジンに奪われた人がいる。
その事実がやけに深く胸にのしかかる。
大切な人の存在を得たからこそわかる痛みだった。
俺だって、ジンやエリン、その他全員を失いたくはない。
だから、首切りの殺害予告を絶対に認めるわけにはいかない。
「ジンさんは殺されるのを受け入れるつもりなんですか?」
「いいや」
覚悟の上での質問にあっさりと答えられてしまった。
しかも、返ってきたのは予想外の否定だ。
「確かに罪悪感は覚えているけどね。それとこれとは話が別だよ。ボクはね、ノート君たちともっと冒険したいって思っているんだ。その夢だけは何にも代えられない。だから、大人しく殺されたりなんてしないよ。こう見えてもボクは良い子じゃないんだ。素直に死を受け入れられるようなね」
無理して明るく努めようとしているのだろう。
口角は上がっていたが、目元は笑っていなかった。
彼なりの精一杯な強がりだ。
「だけどね――」
息を深く吸うと彼はこう言った。
「もしボクが死ぬようなことがあったらその時は『到達する者』を頼むよ」
「どうしてそんなこと言うんですか?」
そのような未来があってたまるか。
仮定の話だとしても絶対に認めたくない。受け入れられるものか。
言っていいことと悪いことがある。
悪い冗談を口にするジンに、苛立たしさすら覚えた。
自然と語調が強くなってしまう。
「ジンさんだけじゃないんです。このパーティーにはフォースさんやロズリア、エリンやネメ姉さんもいるんです。六人で力を合わせれば首切りなんて何とかなりますって」
「ごめんね。ボクはこの件に関して、パーティーのみんなの力を借りるつもりはないよ」
「どうしてですか⁉」
「首切りは囲めば勝てるっていう単純な相手じゃないからね。数の利があっても、彼を認知できる人がいなきゃ意味がない。いたずらに数を増やしても、仲間に危険が及ぶ可能性が増えるだけだよ。それにこれはボク自身の問題だ。他のみんなに迷惑をかけるわけにはいかない」
「でも――」
「でもじゃない。頼むよ。くれぐれもこの件は他のみんなには秘密にしておいて欲しい。ノート君だって自分のせいで大切な人までが巻き添えで死ぬのは嫌でしょ? ボクの気持ちをわかってほしいな」
ジンの言う通り、俺のせいで仲間が死ぬなんて事態に陥ったら、嫌なんて言葉じゃ済まされないほど後悔すると思う。
それに俺にはジンの覚悟を否定する権利なんてものは持ち合わせていなかった。
だって、俺は過去に同じことをしていたから。
20階層での遭難時、どうしても中ボス部屋を突破しなくてはいけなくて、エリンに対して同様のことを強いた。
中ボスを前に彼女だけを先に退避させた。
あの時、俺は自分の死の可能性は顧みず、彼女が助かる一番の可能性を選んだわけだ。
結果的には二人とも助かったが、あくまで結果論でしかない。
俺だけが死んでいた可能性は高かった。
自分が死ぬだけで済むなら、それが一番簡単だ。
ジンの考えていることが痛いほど理解できてしまう。
でも、その考えは間違っていて、残された人の気持ちを何も考慮していない。
俺もエリンに対して残酷な選択を強いていたのだ。
今になって、やっと気がついた。
「悲しい顔をしないでよ。ボクが死ぬと決まったわけじゃないんだから」
そうだけど。嫌なんだ。
仮の未来の話だとしても。ジンがいない世界なんて考えたくもない。
恩人なんだ。やり切れない人生を歩んでいた俺に夢と希望をくれたんだ。
居場所がな かった俺に全てをくれたんだ。色々な景色を見せてくれたんだ。
俺が最初に出会った『到達する者』のメンバーはジンだった。
俺に冒険者としてのノウハウを教えてくれたのもジンだった。
エリンと仲違いして、全てが嫌になった俺を気遣ってくれたのもジンだった。
ジンがいなくちゃ今の俺はいなかったし、これからも傍にジンがいて欲しかった。
感情の昂るままにそういうことを言ったんだと思う。
支離滅裂な言葉で。取り繕わず。ありのままの気持ちをジンにぶつけた。
普段なら恥ずかしくて出てこないような言葉も自然と流れ出た。
ジンは照れまじりに頭を搔いていた。
「ノート君がそう思ってくれて嬉しいよ。少し救われた。暗殺業から足を洗って、『到達する者』を作った甲斐があったかもしれないね。ボクはね、何かを残したくてこのパーティーを作ったんだ」
「何か――ですか?」
「うん。名でも功績でも何でもいい。正しいものを残したかったんだ。ボクの人生って他人から大切なものを奪ってばかりだったからさ。ボクがこの世界に生まれてきて良かったと言える証が欲しかったんだ。ノート君という冒険者を育てた、それだけでもボクが生まれてきた意義はあったのかな……」
「何言ってるんですか!」
ジンは何を言っているんだ。なんでそんなこと言うんだ。
だって、俺は――。
いや、俺達は――。
「俺だけじゃない。フォースさんだってジンさんに感謝しています。感謝しきれないほどの恩を感じてるって言ってました。それにエリンだって、ネメ姉さんだって感謝しているはずです。多分、ロズリアだって――。ジンさんがこのパーティーを作ったから。居場所を作ってくれたから。みんな、ジンさんから大切なものを貰ってるんですよ。ジンさんがいてくれて良かったって思っているはずなんですよ。だから、そんな悲しいこと言わないでください」
「そうか――」
ジンは空を見上げた。
夜空に点在する星達は、互いが互いの存在を主張するように輝きあって、空を明るく染めていた。
一つ一つの明かりは小さくても、夜はこんなにも眩しい。
「ボクは知らぬ間に色んなものを残せていたんだ。『到達する者』のみんなから、たくさんの大切なものを貰ったように。ボクもちゃんと返せていたんだね」




