第22話 回避アーツ
『だからさ、ジンがアーツを使うところを盗み見て、真似でもしてれば、案外簡単に回避アーツができるかもしれねえぜ』
昨日、フォースからもらった助言を思い出す。
柄にもない真面目で有意義な意見。
だからだろう。
その言葉がいかに真摯なもので、俺のためを想ってのものだったか自然と理解できた。
フォースなりの、最大限の激励。
ちゃんと受け取らなくちゃ、ばちが当たるってもんだ。
そんな思いを胸に仕舞いながら、ジンの戦闘を刮目していた。
現在攻略しているのは7階層。
足場は不安定な岩場であり、脆い場所を踏みぬくと崖の下へ岩石が落ちていく。
崖の下には溶岩が流れ、落ちた岩石は跡形もなく消えていった。
足下を流れる紅色の光を放つマグマのせいで、目がちかちかする。
赤とか緑とかそういう色の区別はもうつかないし、頭もくらくらしてくる。
思考に靄がかかるのは、目に映る光景のせいだけじゃないかもしれない。
熱い。とにかく熱い。
吸う空気は喉を焼き、露出している顔や首回りも痛い。
ネメの回復スペルを常時発動してもらっているお陰で、大事には至らないが、それがなかったら火傷でもしていたかもしれない。
この階層は活火山の内部のような構造をしていた。
洞窟とか細い岩場で成り立ち、足を滑らしたら即溶岩の海行きという具合。
いくらフォースやジンといえども、この溶岩流の中に落ちたら死んでしまうだろう。
そこらじゅうに死の匂いが漂う、過酷な環境。
それが7階層の正体だった。
死と隣り合わせな状況は神経をすり減らすし、暑さから身体中の水分が逃げていくのも感じる。
しかし、そんなものはジンの技術を盗むべく目を凝らしている俺の妨げにはならない。
「――《離脱》」
赤い蒸気を全方位に吹き散らすゴーレムから、一足で距離を取るジン。
そして、蒸気の噴出が止まったと見るや――。
「――《縮地》」
今度は一足で距離を詰める。
高速の駆け引き。攻守が瞬く間に移り変わった瞬間だ。
対するゴーレムも迫りくる脅威を避けようと、素早いテレフォンパンチを放つが――。
「――《流線回避》」
ゴーレムから繰り出された拳はジンを避けるかのようにいなされた。
ジンと拳の間には 腕一本も入らないほどの隙間しか存在しない。
極限までぎりぎりの回避を行ったジンは、すれ違いざまに黒刀を振るった。
いや、揺らしたといっても過言じゃないほどの僅かな手のスナップだ。
しかし、刀身の揺らめきはジンのスキル、【形状変化・鉱物】によって増幅される。
遠心力を加え、膨れ上がった運動エネルギーは、刃先に力を与える。
黒の斬撃に捉えられたゴーレムの核は、なんの抵抗もなく二つに割られた。
ジンがそのままゴーレムを抜き去り、岩の巨体が地面に崩れ落ちたことで、俺は集中から解き放たれた。
「これで、ここいらにいるモンスターは最後かな」
ジンが合図をすると、全員が戦闘態勢を解いた。
俺も気を張る場面は過ぎたので、ジンの先程の戦闘から、技術とかコツを掘り起こそうと脳内で戦闘風景を思い返す。
ジンが今回の戦闘で使っていたアーツは三種類だ。
まず最初に使っていた《離脱》。
これは文字通り敵から距離を取ることを目的とした回避アーツである。
地面を片足で蹴り、自身の身体を後方へ跳躍させるシンプルなアーツだ。
ジンが熟練の暗殺者だからだろう。
跳躍距離は人間技と思えないほどで、どんなにバランスを崩した体勢からも発動していた。
そして、次に使用していたのが《縮地》。
こちらは厳密に言うと回避アーツではない。
《離脱》とは逆に相手との距離を縮めるためのアーツである。
盗賊系の戦闘職はこのアーツから攻撃に繫げることが一種の定石的な戦法になっており、必須級の技術であるらしい。
しかも、懐に飛び込むことで相手の攻撃を避けるといった回避方面にも使える便利なアーツである。
そして、最後に使った《流線回避》は回避兼迎撃アーツである。
相手の攻撃を華麗に受け流し、攻撃の流れや相手の体勢を崩す効果がある。
相手の攻撃に対して、武器や身体を接触させながら受け流す方法と、触れずに寸前で躱して受け流す方法の、二種類のパターンがあるようだ。
盗賊の迎撃アーツには他にも《打ち弾き》といった代表的なものがあるらしいのだが、ジンは《流線回避》の方を好んで使うようだった。
一般的に《流線回避》の方が《打ち弾き》より習得の難易度が高いとされているそうで、これは彼が実力者である証なのかもしれない。
この戦闘を除くとなると、ジンが使っているアーツは多岐に渡っていた。
回避アーツの《蟲型歩足》や《幻影回避》。
自身より大きいモンスターの身体を駆け上がる時に使用していた《登破》。
攻撃アーツに繫げられる《背向移動などなど。
そのどれもが超一流の完成度であり、ジンの暗殺者としての隙のなさが窺えた。
熱気と熱狂で浮かんだ汗を袖で拭い、腰に備えているアイテムバッグから水筒を取り出 す。
ボトルを開けるとそのまま一気に中身を口に流し込んだ。
すると、視界の一端、斜め前方向から呼びかけられた。
「わたくしも喉が渇きました。一口ください」
声の主はロズリアだった。
アイテムバッグから彼女に割り振られた水筒を取り出し、投 げ渡す。
何故か彼女は残念そうに眉をひそめていた。
「別にノートくんの水筒でも構わなかったのですけど……」
「俺は構わなくないんだよ……」
や、俺も間接キスとかいちいち気にしてるのダサいと思うよ。
でもさ、女性経験が乏しいんだから仕方ないじゃん……。
ふと、背後に目を向けると、不機嫌そうなエリンの視線に晒されていることに気づいた。
ちょっと待ってよ。なんで俺が悪いみたいになってるの……。
好きでロズリアといちゃいちゃしてるわけじゃないんだから。
まあ、俺も多少は浮ついてた部分もあるかもよ。
でも、ロズリアから仕掛けてきたんじゃん。
睨むんだったらロズリアを睨んでよ。
という文句は言いたかったが、言い争いになったら面倒なので無言でスルーすることにした。
気づいてないふり。気づいてないふり。
このままロズリアを放っておいて言動をエスカレートさせたら、エリンが突っかかってくること間違いなしだ。
無理やりにも話題を変えることにした。
「そ、それにしてもアイテムバッグって便利だよなぁ……」
完全な棒読みだった。自分でも驚くほど下手な話題の転換である。
そんな不自然極まりない様子の俺に、ありがたいことにジンは自然な形で会話を取り次いでくれた。
「そういえば、ノート君って前に冒険者やっていた時はアイテムバッグ使ったことないんだっけ?」
「はい……まあ……」
腰に巻き付けてある革製のバッグに手をかける。
『到達する者』の中で、この鞄を持たされているのは俺とネメだけであった。
何故、他のメンバーは持っていないか。
その答えは、数が二つしかないからである。
アイテムバッグとは一定の容積、重量を無視して物を詰め込める入れ物の総称だ。
詰め込める容積はアイテムバッグごとに限度があり、また生きたものは収納できないという制限もある魔道具である。
人間の手での生産方法は確立されておらず、ダンジョンからでしか入手することができないとされているダンジョンアイテムだ。
需要に対しての供給が極端に少ないため、市場での価格も異様に高く設定されている。
アイテムバッグをダンジョンで見つけ、売りに出せば、家一軒は余裕で買えるとされていた。
よって、ダンジョンアイテムがたくさん集まるこのピュリフの街ですらほとんど流通はしておらず、『到達する者』としても二つしか確保できなかったのだ。
逆に言えば、二つも確保していることに驚きなのだが。
どんだけの財力を持ってるんだ、このパーティー……。
流石、一流パーティーと名高いだけはある……。
『到達する者』ではこの二つのアイテムバッグを俺とネメに割り振っていた。
理由としては直接戦闘に参加する機会が少ない二人だからである。
俺のバッグの中には、食料や水、スペアの武器、ダンジョン攻略に必要な備品や道中で手に入れた価値のあるアイテムなどが詰まっていた。
また、探索が長引いた時の泊まりの道具も備えられている。
ネメのアイテムバッグも同様であった。
これを失くしたらどのくらいの損失になるんだろうと考えると、背中に寒気が襲ってくる。
この階層はかなり暑いので、このくらいの寒気を感じていた方がちょうどいいのだが……。
「ノートくん、タオル頂けますか?」
俺が纏いつく熱気に意識を囚われていると、ロズリアからまたもや声がかかってきた。
ロズリアの備品は主に俺のアイテムバッグに収容されているから当然と言えば、当然なのだが……。
さっきのくだりがあったせいかどうしても警戒してしまう。
「はい」
まあ、渡さないという理由はないので素直に手渡すことにする。
彼女はタオルを受け取ると、額に浮かぶ汗を拭った。
ロズリアは聖騎士という戦闘職柄、人一倍重装備だ。
重っ苦しい鎧を身につけているため、この中の誰よりも暑そうだ。
流れ出る汗の量も人一倍多いように感じられた。
顔を拭いたタオルをそのまま首元に入れる。
服の下の汗を拭おうとしているのだろう。
彼女の黒いインナーには汗染みが広がっていた。
「あの、ノートくん。手が届かないので背中の方を拭いてくださります?」
直後、ロズリアから爆弾発言が投下された。
彼女は汗で湿ったタオルを手渡してくる。
目の前には背中の襟元をぺりっとめくったロズリアが……。
それはギリギリアウトでしょ。
汗を拭くためとはいえ、女の子の服の中に手を入れるなんて。
背を向け、顎を引いているロズリア。
よく見てみるとうなじには雫が滴っている。
ほのかな汗の匂いが鼻孔をくすぐる。
蕩けるような甘い香りというわけではないのだが、何故かずっと嗅いでいたくなるような。
中毒性のある匂いがそこにはあって――。
「暑くて……すごい蒸れてるんです……お願いします……」
どことなくいやらしい響きの言葉に思わず足がすくんでしまう。
なんか、言い方エロくない⁉ 絶対、エロく言おうとしているでしょ⁉
っていうか、そもそも汗を拭く行為って、こんなにいかがわしい行為だったっけ⁉
そんなことはないはず。
だって、人の手伝いでしょ?
だったら、これはエロい行為でもなんでもないはず。
つまりセーフなラインだ。
パーティーの仲間の汗を拭く行為がエロい行為なはずがない。
むしろ、こうやって意識している方がおかしい気がしてきた。
いわばパーティーの裏方である俺が、仲間のためになる行為をしようとしているのだ。
どちらかというとこれは褒められるべき行為なんじゃないだろうか。
ロズリアのうなじに手を伸ばそうと一歩進む。
彼女の香りがより一層濃密になる。
待て待て! ちょっと待て!
やっぱアウトでしょ、これ⁉ なんか興奮してきたもん!
やめよう。無理だ。
俺には下心抜きで女の子のインナーの中に手を入れるなんてできない。
俺が一人悶々としていると、思わぬところから助け舟が出された。
「はいはい! オレが拭く! オレがロズリアちゃんの背中とは言わず――身体の隅々まで拭いてあげる!」
「あっ、いいです。自分で拭きますので」
ロズリアは俺の手からタオルを引ったくって自分で拭いてしまった。
っていうか、フォースさん……それ完全なセクハラですから……。
***
7階層の攻略を終えた俺は、パーティーハウスへ戻らず、そのままの足でジンと普段修業を行っている空き地へ向かった。
今日、目に焼き付けた回避アーツを忘れないうちに反復するためだ。
フォースが教えてくれたやり方に倣って、回避のセンスなんか無視して、直接アーツを身につける。
それが今の俺にできる最良の選択に思えた。
「って言っても、なんのアーツから身につけるかだよな……。いきなりジンが使っていたアーツを全部真似できるわけがないし……」
ジンが使っていたアーツの中で、主に回避に関わっていたのは《離脱》、《流線回避》、 《蟲型歩足》、《幻影回避》の四つだ。
その中で一番習得しやすそうなのは――。
「《離脱》か……」
ジンの使用頻度も高かったし、汎用性が高そうなアーツだった。
《流線回避》のようなアーツと異なり、相手の攻撃の有無から独立していて一人でも練習できそうな点も選んだ理由に入っていた。
「それじゃあ、練習するか」
この日から俺の回避アーツ習得に至る一歩は動き出した。