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第135話 いつか遠い未来に


「うわっ! なんです⁉」


 部屋を大きく揺らす地震にネメ・パージンは思わず跳び上がった。

 ビスリルの街は山岳地帯にあるためか比較的地震が多いことで有名だが、それでもここまで大きな地震は初めてのことだ。

 扉を開けてみる。部屋の前には逃げられないように戦闘系の神官が配置されていたが、彼らも一様に戸惑っているみたいだった。


「隙ありです! ……あっ」


 今のうちに逃げようと歩き出すも地面が揺れているせいで転ぶネメ。

 当然、神官に捕らえられて部屋の中に連れ戻されてしまう。


「上手くいかなかったです……」


 しょんぼりと肩を落としていると、何やら廊下の外からは兵士達が慌ただしく走り回る様子が伝わってくる。

 扉の近くに立って聞き耳を立てていると、しばらくして部屋に現れたのはアルシアであった。思わず開口一番質問をしてしまう。


「一体何が起こってるんです⁉」


「わからないわよ。あなたのお仲間が来たんでしょうけど、二人は街の外に逃げるわ、二人は見失うわ、残る二人は要塞都市のコアを起動させるわで、滅茶苦茶なことになっているのよ」


 よっぽど焦っているのか、アルシアの口調は昔のものに近くなっていた。

 ネメはその中で気になる発言を見つけてしまう。


「なんか一人多くないです⁉」


「まず触れるの、そこなの⁉ まず要塞都市が起動したことに驚きなさいよ!」


「へぇ……要塞都市……えっ⁉」


 ネメがいくらマイペースだからといっても、ビスリルで長年育った人間であり、数百年ぶりに要塞都市の機能が復活したとあれば当然驚きもする。

 自然と声が上ずってしまうのを感じ取っていた。


「そ、そ、それってどうなるんです⁉」


「わたしに訊かれても困るわよ。こんな事態誰も経験したことないから、教会内は大騒ぎ。とりあえず兵士を総動員させて要塞都市が再起動した件を解決させなくちゃいけないから、わたしがここに来たはいいものの、一体どうすればいいのよ。フーゲ枢機卿は街の外に逃げたお仲間を追って今はいないし……」


「なんか大変そうです……」


「全部あなたのせいよ……。なんで他人事なの?」


「別にネメは何もしてないです! だから他人事です!」


「それはどうなの……?」


 アルシアはネメの返答に頭が痛くなったのか、額を手で押さえていた。


「ネメちゃんが絡むといつもろくなことにならないのよね……」


「酷いです!」


「だって、そうでしょう。贈与の儀のことだって――」


「……っ」


 アルシアの方からそのことに触れてくるとは思っていなかった。思わず息を呑んでしまう。


「やる気のない風をしておいて、ちゃっかり【聖女権能】のスキルを授かって。かと思いきや、聖女の役目から逃げ出して冒険者をやり出すとか。どれだけ人のことを馬鹿にすれば気が済むのよ」


「そんなつもりじゃ……」


 やはりアルシアはそう思っていたのか。ネメの胸に突き刺さるような痛みが走る。

【聖女権能】は決して望んで授かったスキルではない。神のいたずらによってネメの下に舞い降りてきてしまったスキルだ。

 だけど、アルシアはそのことを理解してくれない。


「ネメは聖女なんかになりたく――」


「だったら、なんで【聖女権能】のスキルを持っているのよ!」


「そんなのネメが聞きたいくらいです! 絶対何かの間違いなはずです! 本当はアルシアが手に入れるはずだったです!」


「何? 憐れんでいるつもり? ネメちゃんなんかに憐れまれても惨めになるだけだから!」


 アルシアは声を荒らげながら机を大きく叩いた。

 やっぱりアルシアは変わってしまった。

 昔のアルシアは怒りに身を任せて誰かを怒鳴るようなことはしなかった。いつも優しい言葉をネメにかけてくれた。

 アルシアが変わってしまったのは自分のせいだ。自分が聖女様のスキルを手に入れてしまったから――。


「あれ? お取り込み中だった?」


 ネメが内心で自分のことを責めていると、部屋の入り口からかけられる声が。

 扉の方を見ると、神官服の女の子が顔を覗かせていた。


「ネメちゃん、久しぶり!」


 手を振りながら、笑顔で部屋の中に入ってくる女の子。

 場違いな表情を浮かべる神官の登場にネメは固まってしまう。


「ほら、わたしだよ! わたし! 覚えてるでしょ?」


「……誰です? そういう詐欺です?」


「違うよ! フランだよ! フラン! 忘れたとは言わせないから!」


「ふにゅ?」


「なんで知らないみたいな顔してるの⁉ 忘れたの? いつもご飯のとき隣の席で、デザート奪ってきたじゃん! あと部屋も同じだったでしょ! ネメちゃんが出ていったあと、何故かわたしのベッドの下にあったネメちゃんの本が見つかって大変だったんだから!」


「……あっ、思い出したです! 確かにルームメイトのフランソワでしたです!」


「ソワいらないから! フランだから! ネメちゃん、絶対忘れてるでしょ⁉」


「……ネメは過去を振り返らない女です」


「さすがにフランのことを忘れるのはどうかと思う……」


 何故かアルシアまでもがドン引きした目をしていた。

 二人に引かれるのはともかくとして、フランという女の子の登場でアルシアとの緊迫した雰囲気が少し緩んだのを感じ取っていた。


「で、フランはなんの用なのよ。今、ネメちゃんと大事な話をしているんだけど」


 アルシアがフランという女の子に向けて言う。


「そんな怖い顔しないでよ、アルちゃん。昔の友達に顔を見せに行くのに理由がいる? ちょっとした同窓会みたいなものだよ」


「同窓会ならあとでやってよ。今は取り込み中だから」


「そうも言っていられないでしょ。ネメちゃんの仲間が来ているみたいだし。どっか行っちゃってからじゃ会話はできないじゃん」


 険しい表情を浮かべるアルシアと、ヘラヘラとした笑みを張り付けているフラン。

 アルシアは苛立たしげに自分の組んだ腕を指で叩いていた。


「だから、どっか行かないように見張っているんじゃない。邪魔しないで」


「それは無理だよ。わたしがここに来た理由の一つに、ネメちゃんをここから出してあげるってのがあるんだから」


「えっ?」


 まさかのフランの発言にネメは面食らっていた。

 アルシアも彼女のこの発言には聞き流すことができなかったみたいだ。


「あなた、自分が何を言っているかわかっているの? 聖女代行であるわたしやフーゲ枢機卿に逆らうことになるのよ」


「だって、わたし教皇の孫だし。おじいちゃんに頼めば少しのわがままくらい許してもらえるでしょ?」


「あなたはそうだったわね。教皇の孫のくせに聖女になるために教会に預けられた、異端の聖女候補生……」


「それにネメちゃんを逃がしてあげるのは今回が初めてのことじゃないしね」


「あなただったのね。ネメちゃん一人でこの教会から逃げ出せるわけないって思っていたけど、やっぱり協力者がいたのね」


 そう呟いて、アルシアはネメの方へと向く。


「というか、あなた。自分がビスリルから抜け出すのに協力してくれた恩人の存在を忘れてたの?」


「……ノーコメントです」


 あのときは【聖女権能】のスキルのことだとか、アルシアと話せなくなったことで頭がいっぱいだったのだ。

 当時の記憶があまり定かではないのも無理はないと思う。

 それより前のフランの記憶がおぼろげなことには見て見ぬふりをすることにした。


「それでどうしてフランは、自分のことを忘れるような薄情者を今回も助けようと?」


「うーん、なんでだろう? 強いて言うなら、わたしがネメちゃんのファンだから?」


「なんの努力もせず、そのくせ運だけは良くて、【聖女権能】のスキルを授かったにもかかわらず、自分に与えられた役目も果たさずに逃げ出すような人間のファン?」


 アルシアの辛辣な言葉はすべて的を射ているものだ。

 自分は聖女様になる努力も意欲もなかったくせに、ただの幸運でスキルを手に入れてしまっただけの存在。

 そんな自分が慕われる要素なんてないことは、ネメだって百も承知だった。


「やっぱりアルちゃんは、ネメちゃんが【聖女権能】のスキルに相応しくないって思っていたんだ」


「だって、そうでしょ? こんな自分の欲だけで生きていて、怠惰で、慈愛に満ちた聖女様とはかけ離れた――」


「わたしはそうは思わないけどね。ネメちゃんこそがあの教会で一番聖女様に相応しかったと思ってるから」


「……んん?」


 彼女の発言はネメにとっては意味不明中の意味不明。意外なものだった。

 フランは顔に笑みを浮かべながらネメに言う。


「教会のみんなもアルちゃんも見る目がないよね。ネメちゃんが一番聖女に向いているのに。それに比べ、やっぱり神様っていうのは見る目があるんだろうね」


「ネメちゃんが聖女に向いている……?」


 アルシアは信じられないといった表情でフランに問いかける。


「そうだよ」


「何をもって?」


「実はわたし見ちゃったんだよね。贈与の儀の前日最後のお祈りをした後、たまたま忘れ物をしてお祈りの部屋に戻ったら、ネメちゃんがお祈りをしていたところを」


「それがどうしたのよ」


「そのとき、ネメちゃんはなんてお祈りしてたと思う?」


 フランの問いに、少し間をおいてアルシアは口を開いた。


「いつものようにお菓子を食べたいとかじゃないの?」


「違うよ。『アルちゃんが聖女様のスキルを授かれますように』だって」


「……えっ?」


 アルシアは驚きに満ちた表情を浮かべる。

 フランはそんなアルシアの様子を気にも留めず問いかける。


「その点、わたし達はなんて祈っていた? どうせ『明日、聖女様のスキルを授かれますように』とかでしょ?」


「それは――」


「それを聞いてわかっちゃったんだよ。わたしは聖女になれないって。聖女様のスキルを授かるならきっとネメちゃんだって。だって、そうでしょ? わたし達は聖女になりたいという自分の欲を叶えるために祈っていたんだから。そんな中でネメちゃんだけが他人のために本気で祈りを捧げていた」


「でも、いつもはお菓子がいっぱい食べたいって祈っていたじゃない! それは自分の欲望じゃないの⁉」


「そうかもね。でも、お腹いっぱい食べたいって願いはそんな悪いものなのかな?」


 フランはそう言って続ける。


「わたし達はよく世界の平和を祈っていたけどさ。世界の平和って一体なんなんだろうね? ちゃんと考えたことあった? 争いが起こらない世界? 悲しみがない世の中? なんかそれって自分には遠い世界の話じゃない? 聖女候補生としての暮らしは争いも悲しみもなかったし。わたし達はシスター達に言われるまま地に足のついていない祈りを捧げていたんだよ」


「そうかもしれないけど――」


「その点、ネメちゃんの願いはシンプルだった。だって、そうでしょ? 明日もお腹いっぱい食べられる暮らしが続きますように。それって平和な世の中が続いてほしいって祈りそのものじゃない? わたし達よりもずっと地に足がついて、実感のこもった素敵な願い」


 フランは胸に手を当てて、目を閉じると言った。


「きっと最初に【聖女権能】を授かった初代聖女様も同じだったんじゃないのかな? 世の中の争いを収めたかったわけじゃない。お腹いっぱいご飯が食べられる世界になってほしかっただけ。そんなささやかな願いを叶えるために、この国の争いを収めたんじゃないかな?」


「ネメが聖女様に向いている……」

 自分にそんな言葉をかけてくれる人がいるとは思わなかった。

 確かに自分は聖女様になる気はなかった。でも、それは自分には向いていないと端から諦めていたからだ。


 シスター達に聖女様になるには相応しくないと言われる度にやっぱり傷つく気持ちはあったし、自分の存在が否定されているようにも思えた。

 だから、フランの言葉は嫌いだった今までの自分をすべて肯定してくれるようなもので。

 いつの間にか目頭が熱くなっていた。


「そんなこと……言われると思わなかったです……」


「見ている人はちゃんと見ているのよ。アルちゃんはそうじゃなかったみたいだけど。わたしは知っているから。ネメちゃんは聖女様になるのから逃げたわけじゃない。アルちゃんのスキルについて神様に会って抗議しようと、ダンジョンに潜ることにしたんだよね?  教会を出るのに協力したとき教えてくれたもんね?」


「なんで……そんなこと……」


 アルシアは信じられないとばかりに首を振った。


「わたしはそんなこと頼んでないじゃない! だって、ネメちゃんは命をかける冒険者なんかになりたくないって!」


「でも、ネメはアルシアが聖女様になるべきだと思ってるです! きっと神様に言えば、自分の間違いを認めてネメのスキルをアルシアに渡してくれるはずです!」


「馬鹿なの……?」


 気づいたら、アルシアの声も鼻声になっていた。

 彼女の表情が確認できないのは、自分の視界が涙でぼやけているからだ。


「聖女に向いていないのはわたしの方よ! 自分の欲しかったスキルを授かった友達を羨んで、酷いことをたくさんしたわたしの方!」


「そんなことないです! アルシアはいつもネメに優しくしてくれたです!」


「それは昔の話よ……。もうネメちゃんが好きだった優しかった頃のアルシアはいないの……」


 そう言って、アルシアは力なく床に座り込んだ。

 赤いカーペットの上に雫が滴り落ちている。


「わたしはネメちゃんに優しい言葉をかけてもらえる資格もない!」


「そんなことないです! ネメは今もアルシアのことが好きです!」


「止めてよ! これ以上、わたしを惨めにしないでよ……」


 すすり泣く声をあげるアルシア。

 十年近くともに過ごしながら、初めて感情を爆発させる友人の姿にネメは近寄るべきなのか、このままの距離感でいるべきなのかわからなかった。

 それを見ていたフランは口を開く。


「やっぱりネメちゃんは変わっていないね。それに比べ、アルシアやわたしは変わっちゃった。聖女候補生時代からは想像もできないほど汚い大人になっちゃった」


「そんなこと……」


「あるよ。人間、大人になればなるほど自分の間違いを認めるのが難しくなるんだよ。長く生きてきた分ね。アルちゃんもそう」


 ネメは俯いて座る友人の方を見る。

 アルシアの視線は自分のひざに向けられていて、彼女は目を合わせようとしてくれない。


「でもさ、これから先もっと長い時間を過ごしていたらさ、きっと自分の間違いも認められるようになるはずだからさ。そうしたら、また三人で会おうよ。同窓会でもしようよ。若い頃の自分は馬鹿だったってさ。笑い合ってさ。どう? 面白そうじゃない?」


「フラン……」


 どうして自分はこんな優しい友人の存在に気づくことができなかったんだろう。

 それも彼女の言う通り、若かった頃の過ちとして三人で笑い合える日が来るのだろうか?

 そんな未来が叶うならば、ネメとしては歓迎するほかない。


「ネメちゃんのことをちゃんと見てくれる人が、今のネメちゃんにはわたし以外にもいるんでしょ? 危険を承知でネメちゃんを取り戻しに来てくれた仲間が」


 こくりとネメは頷く。フランは笑って告げた。


「だったら、こんなところで油を売っている場合じゃないね。ネメちゃんもダンジョン探索を止める気はないんでしょ?」


「はいです!」


 この問いには迷う余地もなかった。

 確かに最初はアルシアのスキルについて神様に抗議するためだけだったかもしれない。

 でも、今のネメにはダンジョン制覇をしなくてはいけない理由がたくさんある。


到達する者(アライバーズ)』のみんなの存在もそう。夢半ばで死んでいったジンの存在もそう。必ずダンジョン制覇をすると約束した『最強無敵パーティーず』の存在もあった。

 聖女候補生だった時代がネメのすべてではない。

 冒険者ネメ・パージンとして歩んできた決して短くない人生が今の自分にはあるのだ。


「でも、見逃してくれるです? 自分が出て行って?」


 ネメは恐る恐るアルシアの方を見る。

 彼女は力なく首を揺すった。


「もう……好きにしなよ……。今のわたしには何も見えないから……」


「アルシア……」


 小さくうずくまる友達の姿を、今のネメには眺めることしかできなかった。



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