第130話 贈与の儀
ネメが聖女候補生として教会で過ごすようになって早十年ほど。
年齢も十五歳になったネメとアルシアは贈与の儀を明日に控えていた。
聖女候補生として教会に育てられた子供の中には捨て子も多い。
正確な年齢がわかるわけではなく、誕生日が不明な者も多いので、十五歳を過ぎたであろうという頃合いに同年代の子供が一斉に贈与の儀を行うことになっているのだ。
他にも何人か贈与の儀を受ける子供がいるため、教会内はどこかそわそわした雰囲気が漂っていた。
明日贈与の儀を行う聖女候補生にとって、【聖女権能】のスキルが授けられるかどうかは人生を左右するような重要な事柄だ。
今までの慎ましい生活もすべては【聖女権能】のスキルを手に入れるためである。
【聖女権能】が授けられれば、自身の十年以上にわたる聖女候補生としての生活が肯定されたことになり、逆を言えば違うスキルが授けられると今までの努力が報われなかったということになってしまう。
また下の子供達にとっても、上級生が【聖女権能】のスキルを手に入れるかどうかは関心を向ける事柄だ。
【聖女権能】はレア度EXのスキルなため、同時に二人以上の人間に与えられることはない。
今年の贈与の儀で【聖女権能】を手に入れる者が現れれば、それより後に贈与の儀を受ける者は【聖女権能】が授けられず、聖女候補生としての意義も失われてしまうことになる。
そのような背景もあり、落ち着きのない教会内でネメは一人自室で本を読んでいた。
もちろん他の子供達のように緊張を紛らわせるために読書をしていたわけではない。
端っから聖女になる気のない彼女は翌日に控えた贈与の儀のことなんてすっかり忘れていて、何故か様子のおかしいみんなに話しかけるのも躊躇われて、暇を潰していただけだった。
教会内は慎ましく、聖女たるべき少女を育てるための施設だ。
施設内でできる娯楽は限られていたが、その数少ない娯楽の一つに本を読むことがある。
本を読むことが許されているとはいえ、その中身も制限されている。
当然セシナ教の教義から離れた作品はご法度であったが、ネメが読んでいたのは教義にあっているとはいえない大人のラブロマンス小説であった。
タイトルのある表紙からはそういう作品というのを推測できなそうなやつを見繕って、上手くシスターの検閲を避けて買ってもらったものである。
「またエッチな本を読んでいるの?」
呑気に本を読んでいたところ、背後から声をかけられる。
シスターがやって来たのかと思って慌てて本を閉じて振り返ると、そこにいたのはアルシアであった。
「なんだ。アルシアだったです……」
「なんだってちょっと酷くない?」
「シスターかと思ってびっくりしちゃったって意味です」
「そういうこと……」
アルシアは納得したように頷く。そんな彼女を見上げるようにネメは起き上がった。
「それよりアルシアの方が酷いです。人のことをエッチな本を読んでいる呼ばわりしてきて」
「だって、そうじゃないの? これってそういう本なんでしょ?」
「違うです! これは大人の恋愛小説です! 夫と倦怠期だった主人公のジョセンヌが、初恋の幼馴染と再会することで再び恋する乙女となり、いけない浮気をしちゃうだけの話です!」
「なんて罰当たりな物語を読んでいるの……」
セシナ教を信仰する者にとって、浮気は禁止されている行為だ。
だけど、ネメだって年頃の女の子であり、そういう背徳的な恋愛に憧れたりする気持ちが湧いてきてしまうのはしょうがないことだろう。
「ネメも禁断の恋がしてみたいです」
もちろん模範的な聖女候補生であるアルシアに、そんなネメの乙女心は理解してもらえない。
だからといって頭ごなしに否定してこないのも、ネメとアルシアが友好的な関係を築けている一因であった。
「その本シスターに見つからないようにね……。取り上げられちゃうよ?」
「大丈夫です! いつもは隣の子のベッドの下に隠しているから、絶対バレないです!」
「……何も大丈夫じゃないと思うんだけど」
既にネメは何回も前科があり、自分のベッドの下はシスターにマークされていることを知っていたので対策は立てていた。
当然これにはアルシアも苦言を漏らすほかない。
「日頃の行いがそんなんじゃ、いいスキルもらえないよ」
「ネメは聖女様のスキルなんていらないです!」
「そうじゃなくて、聖女様のスキルどころか使えないスキルになっちゃうかも? そうしたら、おやつを買うお金だって手に入らないんじゃない?」
「そこは心配いらないです!」
ネメは大きく胸を叩いた。
「アルシアが聖女様になってくれるです! そうしたらお菓子が食べきれないくらい貰えるはずです! それをネメが貰ってあげるです!」
ネメは聖女になるであろうアルシアにたかる気満々だった。
彼女もまた、周囲同様アルシアが聖女になることを疑わない者の一人であった。
「まずわたしが聖女になれる保証なんてないし、仮に聖女様になれてもお菓子は貰えないと思うよ」
「またまた~」
そんなことあり得ないとばかりに、ネメは友人の肩を叩く。
能天気なネメの返答に不安を覚えたのか、アルシアは口を開く。
「ネメちゃん、ちゃんとここを出た後の将来について考えてる?」
「馬鹿にしないでください。ちゃんと考えてるです!」
「なら、よかった……」
「ちゃんとアルシアに養ってもらうつもりです!」
「……全然よくなかった」
この答えにはアルシアも唖然とするほかなかった。
「駄目だよ。ちゃんと自立してお仕事しなくちゃ」
「嫌です! ネメは何もしたくないです! アルシアに養ってもらうです!」
「何もしたくないのはともかくとして、まずネメちゃんを養うかどうかはわたしが決めることだからね?」
「ネメを見捨てる……です……?」
そんな可能性、想像もしたことないとばかりにネメは顔を青ざめさせる。
「自分で言うのもあれですけど、ネメに仕事ができるとは思わないです! 勉強は全然できないし、手先も不器用です! 一人だったら、すぐに死んじゃうです!」
「そんなことないよ! 冒険者とかは? ネメちゃんも神聖術の成績はいいじゃん」
聖女候補生となる子供は【聖女権能】のスキルが手に入らなくても、神聖術関連のスキルを得ることが多い。
聖女になれなかった聖女候補生は教会に残りシスターとして働くか、神聖術によって怪我人を治療する職に就くかといった進路が大半だった。
ネメは鼻で笑いながら言う。
「冒険者なんてなりたくないです。絶対疲れるですし、わざわざ危険に飛び込みにいくなんて馬鹿みたいです」
「人々のために命がけでモンスターと戦っているって、すごいことだと思うんだけど……」
「そうじゃない冒険者の方もいっぱいいるです! それこそダンジョンの冒険者とかどうなんです?」
このアイファンにはないが、ダンジョンという未開の地を探索する冒険者もいるという話をネメは聞いたことがある。
確かに宝の山を見つけ出せばお菓子はたくさん食べられるであろうが、それで平穏な生活ができないとあらば本末転倒な気もした。
ネメの絶対になりたくない職業ランキングの一つに冒険者は入っていた。
「確かにそういう人達は人助けのために動いていないかもしれないけど、ダンジョンから持ってきてくれた知識や技術に、わたし達の暮らしが助けられていることもあるでしょ? わたしは尊敬すべき職業だと思うけどな……」
「アルシアは難しいこと考えるです」
人々のためだとか言われてもネメにはピンと来ない話だ。
決して自分とは短い付き合いじゃないので、彼女もそこのところはわかっているのだろう。アルシアは話題を変えた。
「そうだ。ネメちゃんに会いに来た用件忘れてた」
「なんです?」
「ネメちゃん、今日のお祈りまだじゃない?」
「あれ? シスターが今日のお祈りの時間はなしみたいなこと言ってなかったです?」
「やっぱり、ちゃんと話聞いてなかったんだ」
アルシアは呆れた表情を浮かべる。
「今日は贈与の儀の前日だから、みんなでのお祈りの時間はなしなの。その代わり、お祈りの部屋に一人ずつ入って、神様に最後の祈りを捧げるんだって」
「そうだったんです? 教えてくれてありがとうです!」
ネメはこの教会で問題児とはいえ、セシナ教自体を信仰していないわけではない。
神様の存在だって信じているし、お祈りだって本気でする。
ただ祈りの内容がみんなと違って、お菓子をたくさん食べられますようにといったおかしなものだから、シスターから怒られているだけである。
「じゃあ、早速お祈りしに行くです!」
「大体みんなお祈り済ませちゃったと思うから、今なら空いているはずだよ」
「やっぱりアルシアは頼りになるです」
ネメは感謝の言葉を述べて、お祈りの部屋に向かうのであった。
お祈りの部屋に一人で入るのはこれが初めてのことだった。
いつもはシスターや他の聖女候補生がいて気づかなかったが、この部屋には不思議な緊張感みたいなものが漂っている。
大きくて静かな部屋というのもあるし、奥に置かれた神様の像が自分を見下ろすように鎮座しているからかもしれない。
いつもは不敬な行いをしているネメも、さすがにこのときばかりは背筋を伸ばして、唾を飲み込んでいた。
とりあえず像の前に行って、お祈りの態勢に入る。
「今日も明日もいっぱいお菓子が食べられますように」といつものお祈りを済ませようとして、ふと手が止まる。
思い出したのはアルシアの言葉だった。
自分はすっかり忘れていたが、今日は贈与の儀の前日らしい。
明日贈与の儀が行われるということは、ネメの聖女候補生としての生活も明日で最後になってしまう。
聖女となれなかった聖女候補生は卒業という形になり、基本的に教会を離れることになるのだ。
そのまま教会で育てのシスターになる候補生もいたが、問題児扱いされている自分じゃ厳しいこともわかっていた。
「もうこの生活も終わりです……」
思い返せば、ここでの生活は楽しいものばかりだった。
アルシアを含め、友達はみんな優しかった。駄目駄目なネメのことを見捨てないで、他の人達と同じように変わらず接してくれた。
シスターはよくネメのことを怒っていたけど、それもネメのことを思ってのことだとはわかっていた。怒った後はすぐにネメのことを温かく抱きしめてくれたものだ。
美味しいご飯もたくさん出てくるし、本などもちゃんと買い与えてくれる。
外の世界のことは知らないが、きっと天国というような場所があったらこんなところなのだと思う。
みんなは必死に世界の平和だとかを祈っているけど、ネメにとってはこの生活が続いてくれるだけで充分だった。
でも、そんな生活も明日で終わり。わがままを言っても変わらないこともわかっている。
だから、ネメの胸の内を占めたのは感謝の気持ちだった。
自分を育ててくれたシスター、この教会を運営している神父さん、ネメに色々なことを教えてくれた先輩、こんなネメでも慕ってくれた後輩、そして仲良くしてくれた同年代の友人。
その中でもネメが一番感謝していたのはアルシアだった。
教会に来て、上手く溶け込めなかったネメに最初に話しかけてくれたのがアルシアだった。
それから自然と話すようになって、いつの間にか一番仲良くなっていた。
アルシアは教会にいるみんなから好かれている。
それにもかかわらず、問題児だった自分に一番構ってくれたのは彼女が優しかったからだ。
ネメのためを思ってたくさん注意してくれたし、それでいてシスターに怒られないように庇われたことも数え切れないほどある。
そんなアルシアがネメは大好きだった。
アルシアが聖女様になるために努力していることは、彼女の傍にいた自分が一番良く知っている。
アルシアは聖女様に憧れていて、そのために努力を惜しまなかった。
最初から彼女が勉強や神聖術の成績がトップだったわけじゃない。真ん中よりちょっと上くらいだったはずだ。
ただ聖女様になるためにと、シスターや先輩達にわからないところは質問して、ときには睡眠時間を削って頑張っていた。
そんな友人をネメは尊敬していたし、その努力が報われて欲しいとも思っていた。
だから、自分のお菓子を食べたいという欲望の代わりに、今日くらいは違うことを神様にお願いすることにした。
「どうか神様お願いです。アルシアを聖女様にしてくださいです」
それは聖女様になったアルシアからお菓子を貰いたいとかじゃない。心の底からの純粋な願いだった。
「アルシアの頑張りを見ていたです。すごい頑張っていたです」
両手を強く組みながら、祈りを続ける。
「きっと神様も見ていたはずです。だから、アルシアに聖女様のスキルをあげてくださいです」
この祈りが叶わないことは、夢の主であるネメが一番知っていたことだ。
なんの間違いか【聖女権能】のスキルが授けられてしまったのは自分であった。
ただアルシアに聖女様のスキルが与えられないだけなら、運が悪かったと納得することができたのかもしれない。
しかし、【聖女権能】が授けられたのは、教会でも一番の問題児だったネメだった。
贈与の儀が終わってからはアルシアとは会話もしていない。
なんで自分がっていうショックでいっぱいだったし、アルシアになんて話しかけていいのかわからなかった。
アルシアの方も自分の気持ちを整理できていないみたいで、聖女となることが決まったネメを遠巻きに冷たい視線で眺めていただけであった。
そうして、ネメはすべてを悟ったのだ。
神様はこの世にはいる。だけど、それは教会のみんなが思い描くような優しい神様じゃなくて、とっても意地悪な神様だ。
そんな存在にネメは怒りを覚えたし、何より一番の友人を傷つけた神様を許せない気持ちでいっぱいだった。
【聖女権能】なんてスキルを手に入れても、自分の下に神様はお告げにやって来なかった。
だったら、自分で文句を言いに行くしかない。
そこで思い出したのは、最奥にたどり着けば神様に会えるかもしれないというダンジョンの存在だった。
居ても立っても居られず、ネメは聖女になることを辞め、アイファンから逃げ出すことにした。
そうしてピュリフの街にたどり着き、『到達する者』のみんなと出会った。
慣れない土地に行き、閉鎖的な教会とは違って人とのコミュニケーションも難しい中、必死に頑張ってきたのはすべて、神様に会うという自分の目的を達成するためだった。
セシナ教を信仰しているから、神様に会いたいわけじゃない。ただ抗議したいのだ。
どうしてネメに【聖女権能】を授けたのか。なんでアルシアに渡さなかったのか。
そして叶うなら、自分のスキルをアルシアに譲りたかった。
スキルを授ける神様なら、他人に移すくらいのことは簡単にできるだろう。できないとは言わせない。
ネメをダンジョン制覇へと衝き動かす原動力はただそれだけだった。
 




