第124話 つかの間の再会
ネメを取り戻しにアイファンへと向かうことになった俺達は、南へと進路を向けることにした。
かといって、アイファンは一つ国を挟んだ先にあり、目的地まではまだ距離がある。
しかも、襲撃者の情報だって一人の人物の正体が判明しただけで、首謀者や目的などはまだ何もわかっていないに等しかった。
さすがにこのまま無策で敵の本拠地に突入するほど、俺達も馬鹿じゃない。
急いでネメを取り戻したいという気持ちはあったが、何せアイファンのことすらろくに知らないときた。
ネメを助けるためにも、アイファンについて詳しいガイドのような人物の存在は必須だった。
以前レイファとひと悶着あったときは、首切りやエイシャの力を借りて事態を解決した。
しかし、あれはピュリフの街で起こった出来事だから、王都にいる彼らの力を借りられたわけで、今回の目的地であるアイファンはピュリフの街から見て王都とは反対方向だ。
彼らに連絡を送るだけで数日はかかってしまうし、返事を待つにも数日かかってしまう。
急いて事を仕損じる懸念はあるが、そこまで時間の猶予があるようにも思えなかった。
というわけで、今回頼ろうと思っているのは別の人物だった。
その人物はピュリフとアイファンの間にある小国に住んでいるという話を聞いていた。
アイファンに住んでいるわけではないが、少なくとも俺達よりもアイファンについては詳しいはずだ。
その人物の住む町につくと、『到達する者』の面々は町に一つしかない宿に泊まることにした。
現在の時刻は夕方。西日が落ちている町中で、俺は一人、彼女がいるはずであろう住所に向かった。
その家は一見なんの変哲もない家だった。
こぢんまりとした一軒家。軒下にはしゃれた植物の飾りが備え付けられていて、窓からは室内の照明の淡い光が漏れ出ていた。
水色の真新しい呼び鈴を鳴らすと、しばらくして懐かしい顔が現れる。
「……えっ⁉」
「お久しぶりです」
「どうして君が……」
「そんなに驚きますか?」
「いや、まさかこの町で出会うことになるとは思わなかったから……。まあ、ピュリフの街を出るときに行き先を教えたのは私だから驚くのも変な話だろうけど、それでも幼女攫い君が来てくれるとは思わなかったよ」
「その呼び方懐かしいですね。師匠」
そう。目当ての人物とはかつてピュリフの街でジンに紹介されて、俺に盗賊としての戦いを教えてくれたリースであった。
彼女とは二年ぶりの再会になる。最後に話したのはジンが死んだとき。
大切な仲間を失って、目的も指針も失って、彼女の下に向かってそこで冒険者を辞めることを告げられた。
そのときに故郷にでも戻ろうと思うという話は聞かされていて、その故郷がちょうどアイファンへ向かう道中にある小国だったのだ。
二年という期間は短いようで長い。俺はあまり変わっていないように思えるが、リースはそういうわけでもないようだ。
髪は少し伸び、声のトーンも昔ほどテンションが高いわけでもない。
そして何より今の彼女はエプロン姿だ。ショートパンツの冒険者姿の印象が強い俺としては、どうしても違和感を覚えてしまう。
「そうなんだ。あっ、そう言えば今は七賢攫いって呼ばれているんだっけ? 前に新聞で見たよ」
「えっ、この国にまで伝わっているんですか?」
「イザールの七賢選抜は世界的にも有名だからね。それにかつての教え子の動向はどうしても気になっちゃうじゃん」
「そういうものなんですね」
「呼び方も七賢攫い君に変えた方がいいのかな?」
「いいですよ。今まで通りで」
ただでさえ今までどんな風に話していたか、昔の感覚を思い出している最中なのだ。
呼び方さえも変えられてしまえば、昔のような気軽な会話を一生できなくなってしまうような気がした。
「それにしてもどうしたの? いきなりやってきて?」
「相談したいことがあってというのと、個人的に師匠とも話がしたかったってところですかね? 今、大丈夫ですか?」
「家に上げるのはあれだしな……。夕食を作っている最中だから、ちょっと待って。すぐに片づけられると思うから、そうしたら近所の喫茶店とかで話をしよう」
「わかりました」
「じゃあ、待っててね」
そうしてリースに待ち合わせ場所の喫茶店の場所を教えてもらうと、彼女は家の中に消えてしまった。
俺は指定された喫茶店に入ると、コーヒーを頼んで席へと着く。
そういえばリースに冒険者を辞めると言われたときも、場所は喫茶店だったっけ?
奇妙な偶然性を感じながらカップに口をつけていると、店の中にリースが現れる。
彼女も同じようなことを考えていたようだ。手を上げながら向かいの席に着くと、開口一番彼女は言った。
「最後に会ったときも、こんな喫茶店だったっけ?」
「そうでしたね」
「まあ、あのときよりも小さな町の寂れた喫茶店だけど」
そう自嘲的に笑うと、彼女も店員にコーヒーをオーダーした。
飲み物がやってくる前にリースは口を開く。
「あのときは一緒に冒険者を辞めるって話をしたっけ?」
「はい。まあ、俺はなんだかんだ辞めそこなって、まだダンジョン探索してますけど。師匠はどうなんです?」
「見てよ、これ」
そう言って、リースは左手をテーブルの上に突き出した。
俺の方に向けられた手の甲の薬指には銀色の指輪が光っている。
「結婚したんだ、私」
「……やっぱりそうでしたか。おめでとうございます」
その事実はリースの家に行ったときから勘づいていた。
彼女には結婚願望があったし、冒険者を辞めた理由も普通の人生を歩むためだ。
それに何より表札にかかっている苗字が変わっていた。俺を家に上げなかったのも、他の男を家に上げるのを躊躇ったからだろう。
「ちょっと間があった。もっと喜ばしいことのように祝福してよ」
「驚いて、ちょっと反応が遅れちゃっただけですよ」
「なんで驚くのよ。そんなに私が結婚できたのが意外だった?」
「そういうわけじゃないです。本当におめでとうございますって思ってますから」
「それならよし。まあ、結婚できたことに一番驚いているのは、自分自身なんだけどね」
リースは自分の手につけられた指輪を遠い目をして眺める。
「故郷に帰って、まずは両親の下で暮らすことにしたの。冒険者をやるって言って、いきなり家を飛び出た身だからね。心配をかけてきたのは自覚していたし、少しは親孝行でもしようかなって」
「そうだったんですか」
「で、帰ってきてみればこんな歳でいき遅れるのもあれだからって急に男の人を紹介されることになっちゃって。その相手だって近所に住んでいた人で、昔から顔は知ってたけどまともに話したこともなくて、全然乗り気じゃなかったんだ。でも、あまりにもお父さんとお母さんが真剣に説得してくるものだから一度くらい会ってみようかなって――」
そうしてリースは恥ずかしそうにはにかんだ。
「でも、いざ会ってみればいい人で少し考えてみてもいいかなって。そうこうしている内に二人で会うような仲になって、いつの間にか結婚することになってた」
「気がついたら結婚することになってたって……。結婚ってもっと重要なイベントなんじゃないんですか?」
「そうとしか言いようがないからね。それでも今の私は幸せだよ。若い頃の私は冒険者を辞めたら退屈な人生が待っている。平凡に殺されて死んだように生きるくらいなら、短くても生きている実感がある人生を送りたいって思ってた。でも、退屈な生活を送ってみて、気づいたんだ。平凡な暮らしも案外悪くないって。今はこの退屈さが愛おしく思えてる」
そう言い切ったあと、リースは問いかけてきた。
「ってこんな雑談をしに来たわけじゃないんでしょ? 私を訪ねてきた本当の要件って?」
きっとリースは勘づいていたのだろう。俺が呑気に思い出話に花を咲かせに来たわけじゃないことを。
冒険者時代の昔の知り合いが遠路はるばるやって来るってことは、きっとろくでもないに違いないと。
「それは――」
躊躇いながらも当初の目的を果たすため、俺はリースに仲間のネメが謎の襲撃者に連れ去られた一件を話すことにした。
「――というわけです」
すべてを話し終えると、リースは口を開いた。
「それは大変な事態だね」
「はい。だから、師匠の力を借りられないかと――」
「残念だけど、それはできないよ。私もアイファンのことをあまり知らないし、何より今の私には守るべきものがある」
そう言ってリースはお腹に手を当てた。
「どうやら私の中には新しい命がいるみたいなの。それにね、私に何かあったら夫が悲しむから。あの人は別に顔が特別いいわけでも、勇敢なわけでもない。でも、とびっきり優しいの。『君みたいな綺麗な人と結婚できて本当に良かった』なんて言ってくれて。この私にだよ? 笑っちゃうでしょ?」
リースはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべながら、赤くなった顔を右手で扇いでいた。
「そういうわけだから一緒に行くことはできない。ごめんね。かわいい元弟子が困ってるときに助けてあげられなくて」
「いいですよ。無理を言ったのはこちらですから」
そう答えて、作った笑みを浮かべる。
リースが幸せになれたのは喜ばしい出来事のはずなのに、不思議と寂寥感がこみ上げてくる。
きっと、俺とリースの人生は別々の道に分かれてしまったのだろう。
夢を追いかけ続ける俺とは違って、リースは現実的な幸せを掴むことにした。
別にそれはなんら責められることではなく、人として正しいことのはずだ。
それでも一緒に修業に付き合ってもらった頃の彼女はもういないとわかって、哀しさを感じてしまっていた。
「ありがとうございます。いきなり押しかけてきたのに時間を作ってくれて」
ジンが死んで王都に逃げたとき、もし俺が本当に冒険者を辞めると決意できていたら、今のリースみたいな温かな笑みを浮かべられる生活を歩めていたのだろうか?
わからない。ロズリアと結婚して、二人で幸せに暮らす未来もあったかもしれない。
でも、同時にそうはならなかったのではないかという予感もある。
あのときの俺は、平凡な生活に物足りなさを感じていて、夢を捨て切れなかった。
完全に夢を捨てることができたリースとはわけが違う。
それは俺の性格のせいなのか。それとも俺がまだ子供だっただけなのかはわからない。
もしかしたらいつかは俺も大人になって、ダンジョン攻略を諦めるときが来るのかもしれない。
でも、今はそのときではないと思うし、夢を諦めないためにもなんとしてもネメを取り戻さなくてはいけないのだ。
俺が席を立とうとすると、リースは待ったをかけた。
「確かに助けられないと言ったけどね。助言くらいならできるかもしれない」
「助言?」
「うん。見知らぬ国に乗り込むにあたって、現地を知る盗賊に協力を仰ぐって発想は悪くないと思うんだ。やっぱり何かをするにあたって情報は重要だしね。ダンジョン探索ではあまり活躍の余地がない盗賊って戦闘職も情報収集や対人戦闘にはかなり有用だから」
「そうですか」
「それでアイファンには有名な盗賊が一人いる」
リースは人差し指を突き立てると続けた。
「彼の名前はスイズ・マイラン。世界でも五本の指には入る最強クラスの盗賊だ」
「その人に協力を仰げば――」
「大切な仲間を取り返すことも難しくはないだろうね」
「そんな人がアイファンに……」
リースからもたらされた新たな情報に息を呑む。
長年盗賊をやっていて、世界で有名な実力者を知らないってのはどうなんだって気もするけど。
「私としてもそういう盗賊がアイファンにいるって噂を聞いただけで、会ったことはないからどんな人かもわからないんだけどね。何かの助けになればと思って。それに幼女攫い君の力なら、一人でちゃちゃっと解決できちゃうかもしれないけど、一応教えておこうかなって」
「いや、一人じゃ何もできないことは自分が一番わかっていますから。役に立つ情報ありがとうございます」
突然やって来て、はた迷惑な頼みをしてきた相手を邪険にせず、優しさから助言までくれるなんて、リースはなんて思いやりのある人間なのだろう。
冒険者を辞めたとはいえ、やっぱりリースは俺の師匠だ。
たとえ別々の道を歩むことになったとしても、それは変わらない出来事のように思えた。
「やっぱり師匠の顔を久しぶりに見られて良かったです」
「そんなに役立つ情報をあげられた気がしないけどね」
「そうじゃなくて、幸せそうな師匠の様子が見られて良かったってことですよ」
そして、今度は心の底から祝福の言葉を口にすることができた。
「改めて言わせてください。結婚おめでとうございます。師匠が幸せな新婚生活を送れるよう祈ってますよ」
「祈られなくても幸せいっぱいの新婚生活をしているから安心して」
そう言って満面の笑みを浮かべると、リースは右手を持ち上げてグーを作った。
「幼女攫い君もさっさと仲間を取り返して、無事に帰りなよ。そんでもって、私が成し遂げられなかったダンジョン制覇って夢を叶えてよ。そしたら、私も元師匠として胸を張れるからさ」
「言われなくてもネメを取り返して、ダンジョン制覇もしますから。あと師匠は元なんかじゃなくて、俺の永遠の師匠です」
「かわいいこと言うな、もう」
こうして俺はリースとのつかの間の再会に胸を温めたのであった。




