第115話 世界はそんなに捨てたものじゃないから
21階層に降り立つとともに、俺は《絶影》で先行することにした。
『王女の軍隊』への救助。それは時間との戦いだ。
21階層のあのボス相手に、半壊したパーティーで長時間持ちこたえるのは不可能に近い。
どれだけ早くその下にたどり着けるのか。生きているうちに間に合うのか。
それが勝負どころであり、ミーヤやレイファを救う鍵になる。
ジンがいなくなったパーティーで最速の機動力を持つのは俺だ。
敵の位置も、そこまでの道筋もすべて脳内に展開されている。たどり着くだけならそこまで難しいことじゃない。
『到達する者』のみんなに断って、走り出した。
置いてきた仲間の下にはリムナがいる。
【地図化】を使える彼女がいるなら、ボスのところまで来るのにそう時間はかからない。
その判断は正解だった。
横たわるミーヤに振り下ろされる剣筋を見て、そう思った。
即座に《魔法掌底》を発動。
《絶影》の速度を乗せた一撃は綺麗に悪魔の側面に直撃した。
悪魔の左腕が溶けて、なくなっているのが見て取れた。
なんていう威力だ。エリンに気合いを込めて編んでもらった術式だけはある。
「ノート……」
幼馴染の呟く声が聞こえる。
よかった。ちゃんと生きていたみたいだ。間に合ってよかった。
「どうしたんだよ。そんなところで横になって。危なくない?」
言いたいことはいっぱいあったはずなのに、そんな軽口が漏れ出てしまう。
つくづく自分は素直じゃない人間だ。
生きていて本当によかっただとか。助けが間に合ってほっとしただとか。大丈夫?とか。君が死んでいたら俺はどうすればいいのかわからなかっただとか。
本来ならかけるべき言葉が出てこず、彼女をからかうような言葉になってしまった。
「最初の言葉がそれって……はあ……」
ミーヤが苦笑する声が聞こえてくる。
自分でもそう思う。何やっているんだろうなって。
でも、あながち間違いな言葉でもなかったような気もする。
だって、俺とミーヤはもう仲間じゃないから。ライバルだから。
彼女への恋情を捨て、幼馴染という間柄を切り離して、どちらかがダンジョン制覇をするまで会わないと約束した俺達にぴったりの再会の言葉だった。
「文句があるなら立ち上がってよ。悪いけど、ミーヤをかばいながら、あいつと戦うのは無理だし」
悪魔は咆哮をあげながら、即座に距離を取っていた。
左腕があった場所に紋様が展開される。瞬く間に細胞は増殖し、腕が生え替わっていた。
「回復できるのか……。厄介だな」
負傷した相手なら幾分かやりやすかったのだが、流石は21階層のボスだけはある。こちらの希望を易々と打ち砕いてくる。
「立てない……」
「あの、ミーヤさん……そういう冗談を言ってる場合じゃないんですが……」
「冗談じゃないから! わたし頑張ったんだよ! ノートが来るまでずっと一人で戦って! もうちょっと労わってよ! 褒めてくれてもいいじゃん!」
「えっ、そこでキレる!?」
「もう決めた! 褒められるまで絶対動かないもん! 指一本も動かしてやらないもん!」
「はあ……わかったよ……」
ため息を吐いて、俺は言う。
「よく頑張った。持ちこたえてくれてありがとう。生きていてくれて本当によかった」
「──っ」
今度こそは言いたいことがすんなり言えた。ミーヤの唾を飲む音が聞こえてくる。
依然横たわる彼女に向かって、次の言葉をかける。
「あのミーヤさん……褒めたんですから立ち上がってくださらないと……」
「ごめん……今度はほっとして力が入らない……」
「はい?」
「ほっとして力が入らないって言ってるの!」
そんなに自信満々に言われても……。
早く退避してくれないと、敵の攻撃の巻き添えを食らうっていうか……。
「ああ、もう!」
俺は頭を搔いて言った。
「わかった。そのまま寝てていいよ。あいつの剣はミーヤのところに届かせないから」
そうして、一歩踏み込む。
回避に専念して悪魔の攻撃をやり過ごして、仲間の到着までの時間稼ぎをしようと考えていたが、プラン変更だ。
敵に接近して、プレッシャーをかけながら時間を稼ぐ。
幸いにもやつは一度《魔法掌底》をもろに食らっている。こちらの攻撃力を警戒しているはずだ。
こちらの攻撃手段としては《魔法掌底》があと一発。心許ない残弾数だが、ないものねだりしても仕方ない。
限られた手札だけで戦ってやる。
重心を下げ、全身に変に力が入らないよう息を吐く。《絶影》の準備。
敵は21階層のボス。戦えるメンバーは一人。勝利条件は『到達する者』のみんなが来るまで誰一人殺されることなく持ちこたえることだ。
条件としては果てしなく分が悪い。
きっとジンもこんな気持ちだったんだろう。
俺達を逃がすために、あの悪魔を一人で相手取った時は。
調子は悪くない。むしろ万全だ。
『王女の軍隊』のせいでだいぶ予定を早める羽目になってしまった因縁の敵との再戦だったが、気分の高揚の方が勝っていた。
これなら俺はいつにも増して速く動ける。今ならジンの背中に追いつける。
「《絶影》」
入った──そう思った時には既に敵の懐にいた。
光をも置き去りにする神速の瞬歩。敵にもこの加速は予想外だったのだろう。
一息遅れた剣戟。躱すのは容易だ。
接近を即座にサイドステップに切り替え、振り下ろされる剣から距離を取る。
地面を叩き割る衝撃と、飛び交う石片が辺りを舞う。
余裕を持って大きめに回避しておいたおかげで、その二つの影響は皆無だった。やっぱり、やつの剣はすれすれで避けてはいけない威力だ。
初撃は簡単に回避できた。だけど、二撃目からは相手も不覚は取らないはずだ。
後ろの柱を避けようと方向転換を図った瞬間に、二撃目の薙ぎ払い。
咄嗟に上に跳んだところで、剣の勢いそのまま背を向けてタックル。
柱を蹴ることで方向転換が間に合った。先ほどまで背にしていた柱は敵の突撃を受け、粉塵を巻き上げながら砕け散っていた。
「やっぱ強いな……」
敵の戦闘力の高さに乾いた笑いが出る。
一瞬でも判断を間違えば即死。瞬きした瞬間に死んでいても、おかしくないような極限の戦いだ。
だけど、三撃はやり過ごすことができた。
昔は三撃を躱すのに精一杯だった。確実に俺は成長している。
「次!」
敵に向かって駆け出す。敵の注意をミーヤ達に向けないため、攻め続けなければならない。
「──っ」
高速の突き。三連撃。躱したと思ったら、魔剣を腰の横に。溜めの構え。
次に来たのは薙ぎ払い。周囲を蹴散らしながら、悪魔は確実に間合いを詰めてきている。
強い踏み込み。急な上段の構えからの、振り下ろし。
この一撃はようやく影を捉えた。
「《幻影回避》」
しかし、その影に実体はない。悪魔は虚像を斬ったに過ぎない。
即座に《蟲型歩足》の構えに入って、薙ぎ払いの下に。
段々と手札を切らされていってる。敵は確実にこちらのアーツに対応し始めている。
中段の構えからの一撃を《離脱》でやり過ごす。
これで《流線回避》以外の回避アーツはすべて敵に見せたことになる。
《流線回避》はリスクが高すぎる。敵の攻撃への接近が必須なこのアーツを使えば、剣戟の衝撃波に持っていかれる可能性がある。
もう一度同じアーツを回していくのも危険だ。同じ回避方法があの敵に二度効くとは思えない。
「仕方ないか──《背向移動》」
今度は回避アーツではなかった。不可思議な軌道で敵の背後に移動する、攻撃への繫ぎのためのアーツ。
敵の背後に回ったらやることなんて一つだ。
「《魔法掌底》っ!」
最後の残弾をここで使い果たす。余力を残している余裕なんてない。
敵の胸に大きく穴が開いた。空洞からは階層の闇を覗くことができた。
「これで倒せたら楽なんだけどな……」
悪魔は呪文を紡ぐ。穴は魔力の蠢きとともに塞がり始めていた。
人間なら即死していてもおかしくない急所。悪魔にとって心臓を穿たれるくらい対処できないことでもないらしい。
絶望したい気分にもなる。
傷が塞がるとともに、翼をはためかせる悪魔。そのまま重心を下げて、一足で飛んだ。
最高速度の突進攻撃。溜めの時間があった分、先ほどの機動力とは比べ物にならない。
《絶影》と《離脱》を組み合わせても、回避するのは厳しいかもしれない。
たとえ回避できたところで、今度は後ろにいるミーヤ達が攻撃を食らってしまう。
だけど、大丈夫。絶望するのはまだ早い。
「あとは任せました」
虚空に投げかけた声に反応したのは、一筋の剣閃。
「《抜刀瞬閃》!」
剣と刀の交錯。
魔剣は妖艶な光を。妖刀は禍々しい黒炎を解き放っていた。
「待たせたな」
その声はうちのパーティーのリーダー、フォース・グランズのものであった。
フォースが剣を弾くと、両者は下がり距離を取る形に。
互いが互いの力量を先の一撃で把握していたからか、牽制する雰囲気に。
視線を逸らさず、悪魔の次の一手を窺う剣士の背中が目の前には広がっていた。
「本当、待ちましたよ」
「うるせえ、こっちは急いで来たんだよ」
「割とギリギリでしたよ。こっちも」
「しょうがねえだろ。ネメとかの足並みに合わせないといけねえんだから。途中にモンスターが出てくる可能性もあるし、置いていくわけにはいかねえだろ」
「それもそうですけど……」
「それにお前なら、これくらい持ちこたえられるって思ったんだよ。信じてやったんだ」
「嬉しいような、嬉しくないような期待ですね」
「お前は期待に応えたんだ。もう少し胸を張れよ」
そう言って、フォースの意識は一瞬背後の方へ。
そこには、続々と駆け寄ってくる仲間達。
エリン、ロズリア、ネメ、ソフィー、そしてガイド役となって先導していたリムナがいた。
「レイファ殿下!?」
満身創痍のレイファを見つけ、ソフィーが真っ先に駆け寄る。
「足が!? 大丈夫ですか!?」
「どこをどう見たら、大丈夫に見えるのよ……」
レイファは呆れながら、深く息を吐いていた。
「そもそも、どうして貴女来たの?」
「どうしてって……それはレイファ殿下を助けるために──」
「どうして助けに来たかって聞いているの。別に貴女に恨まれる筋合いはあっても、助けられる義理はない。だって、貴女はもう私の配下じゃないんだから」
「──っ」
「だから、どうしてって訊いているの。どうして、私なんかを助けようと思ったの?」
「……当たり前じゃないですか」
ソフィーは顔を上げる。その瞳の端には雫が落ちていた。
「レイファ殿下はわたしを救ってくれましたから。独りぼっちになったわたしを。誰もが見捨てたわたしを。貴女だけだったんです。お父さまとお母さまが死んだ時に手を差し伸べてくれた人は」
「私はそんなつもりじゃ──」
「つもりかどうかなんてどうでもいいんです! 貴女がいなかったら、わたしはこうして生きていられなかった! だから、命を懸けて恩返しをすると決めた。それじゃ駄目ですか!?」
「でも、私は貴女を見捨てた」
「……そんなの関係ないです。貴女が助けを必要としていなくても。わたしが助けたいから助ける。そう決めたんです」
二人が見つめ合って、幾ばくかの時が流れる。
「もう。勝手にしなさい」
先に折れたのはレイファの方であった。
「貴女は本当に使えない駒ね。言うことは聞かないし、勝手に動くし──」
「……すみません」
「だから、駒としてじゃない。一人の人間として、感謝しているわ。貴女が助けに来てくれなければ、私は死んでいた」
「──殿下」
「本当にありがとう。私なんかを助けに来てくれて」
それはきっと彼女が報われた瞬間なのだろう。
長年の忠義が。一方的で、歪んでいた想いが。
ようやく繫がって、正しい形になった。
ソフィー・ディーンラークはこの日をもって、本当の意味で救われたのだ。
「こちらこそ、ありがとうございます。わたしはレイファ殿下がいなかったら──」
「何、泣いているのよ。珍しく褒めてあげたんだから、喜びなさいよ」
「……嬉しいんです。レイファ殿下のことを助けられて。……これは嬉しい時の涙です」
「紛らわしいのよ、本当……」
レイファは辛うじて動かせる右手を使って、ソフィーの頰を撫でた。
その一撫でには、涙を拭う以上の意味が込められていて。
優しいだけの世界が広がっていた。
できることなら、この光景をずっと見守り続けたい。仲間の幸せを祝福してあげたい。
でも、ここは21階層、最奥の地。
目の前にはジンを殺したあの悪魔がいて、フォースはあの悪魔と単身で向かい合っている状況だ。
「ソフィー、もう行ける?」
「はい。今のわたしなら、なんだって倒せる」
輝く瞳が21階層のボスを見つめる。ソフィーの気持ちが戦闘モードに切り替わったのを肌で感じていた。
ようやく役者は揃った。
『到達する者』の六人と、ジンを殺したあの悪魔。
これで21階層ボスの攻略が始められる。
 




