prologue1 救世主《ヒーロー》前編
投、下。
拙いですがどうぞ
突然だけど、君が子供の頃将来に夢見たものは何だろうか。
学者。
医者。
研究者。
接客業。
大工。
飛行士。
官僚。
芸能人。
音楽家。
スポーツ選手。
エトセトラ。
いいねいいね。
それはきっと、人によってまちまちで、とてもありふれたもので。
同時に、その人を形作る原点となるのだろう。
でも、君は思い知る。
いや、思い知ってしまう。
そんなもの、叶うわけがない、と。
人には平等なんて言葉は教科書の肥やしにしか過ぎない。
当然、人それぞれには違いがある。違わなければ、それは人間とは言えないだろう。
生まれ。
才能。
成長の幅。
金。
容姿。
運動能力。
違いなんて数えるのが億劫になるほど存在している。君たちはそれを自分で選ぶことはできない。
ランダムで決定されるそれらに、振り回され、幼き頃目指したものには容易に手を届かせることができない。
そして君たちは、はたと気づくんだ。
───こんな人生に、なんの意味がある?
勿論、そんなこと考えなくてもすむような人生を生きた者達もいる。だけどそんな者はほんの僅かだ。
だから大半の者はその答えを求め続ける。
だが、結局それは無意味なことだと気付くだろう。
人生の意味?
そんなものあるわけがないじゃないか。
そんなものがあるのなら、今このときの自分の行動すら。
「意味」によって決められた必然になってしまう。
そこに、個人の「意志」はない。
そうやって悩み、苦悩する前。
幼き時。
他でもない君だって、ソレに憧れたはずだ。
─────ヒーロー
結局のところ、ヒトが憧れ、なりたいと思うのはそれただひとつだ。
将来の夢なんて、その派生だろう。
でも。
果たして。
ヒトは、ヒーローになれるのか。
───ヤバい、死ぬ。
耳をつんざくような轟音と共に、吹き飛ばされた少年は宙を舞う。
腹に見舞った一撃は、胃の中身を全て吐き出させんとばかりに重く。
少年は自分が今どのような状況にあるのか判らなくなったまま、巻き上がる礫石屑に身を打たれながらその小柄な身体を地に打ちつけた。
吹き飛ばされた衝撃は抑えきれず、二転三転して地面を転がった少年は、辺りでそれのみ生える一本の巨木に胴体をぶつけ止まった。
込み上げる不快感に噎せ返った少年は口から違和感の正体を吐き出す。
横になった少年の口から現れたのは、赤い血の塊。
───内蔵がやられてるのか。
違う、そうじゃない。
今考えるべきはそれじゃない。
音が、聞こえない。耳もやられたのか。
血生臭い。自分の血の臭い、鼻が曲がりそうだ。
視界も朧気でゆらゆらと揺れ焦点が定まらない。
身体を僅かでも動かせば、全身が軋む。
だから、違う。
自分の身体のことなんか、今はどうでもいいだろう。
自分の意に反し身体の異常ばかりが頭の中を駆け巡る。
その情報を無理矢理断ち切るようにして、少年は後頭部を背後の巨木に打ち付ける。
ガンッ!
音と衝撃に一瞬視界、頭が明滅するが、少年は痛みを堪えて、その身を巨木に預けるようにし立ち上がる。
足はガクガクと震え、左手の感覚は薄い。
全身がバキバキと悲鳴をあげ、ともすれば意識を失ってしまいそうな状況なのに、やるべきことだけははっきりと覚えている。
少年はその目で、睨む。
その視線の先にあるのは、この世のものとは思えない、巨大な黒い物体。
赤い夕日を反射して鈍く輝くその物体は、少年の視線を気にすることなく、その巨躯を引き摺るようにして蠢く。
それは、巨大な黒蜥蜴。
目算で全長20メートルはあろうかという巨大さだ。高さだけでも少年の身長を優に越える。
未だ砂埃が舞い、視界は良好ではなかったが、少年はその目にしかと捉えた。
彼の大蜥蜴が、自分と反対側に倒れた少女目掛け進んでいることを。
倒れているのは少年の幼馴染み。
何故かは分からないが、大蜥蜴は先程彼女を狙って現れていた。
大蜥蜴の目的は分からない。
が、少年は本能で少女が危ないと感じた瞬間、少女と大蜥蜴の間にその身を滑り込ませ、そして宙を舞ったのだ。
───守らなければ。
少年が吹き飛ばされたときの余波で気を失ったのか、少女は倒れたまま動かない。
今この瞬間も、あの忌々しい蜥蜴野郎は少女に近づいている。
少年は蜥蜴に対する怒りを滾らせながらも、冷静に周りを見渡した。
今少年は林を背中側にして立っている。
もたれ掛かる巨木は林から弾き出されたように直立しており、少年たちがいる場は林の反対側──少年の正面側──からは町を見渡せる崖、だがしかし巨木の根のお蔭でその崩落は防がれていた。
───マズい。
少年は気付けば走り出していた。
大蜥蜴に襲われるなんていう状況下で冷静でいられる方がおかしいとは思うが、それとは関係なく、少年は冷静でいられなかった。
崖から、ビシリという不吉な音が響いたからだ。
「遥ァッッ!!!」
咄嗟に幼馴染みの名を呼ぶ。
それだけで、喉が焼ききれそうになる。
気を引こうなんて達者なことを考えたわけでもなかったが、大蜥蜴がその大声にその体躯を留め、振り返った。
刹那、大蜥蜴に肉薄した少年に、黒い剛腕が奮われた。
それを視界の端に捉え血の気が引いていく少年だが、突如右足に激痛が走る。
突然の不意打ちに思わず膝を折り転がる少年。
───あ、詰んだ。
視界一杯に土の色を捉えそう感じる少年だが、転がったことによって大蜥蜴の前肢は少年の上の空間を薙ぐに留まった。
そんな奇跡は露知らず。
激痛の走る右足に悪態をつきつつ、未だ自分が無事であることに気付いた少年は弾かれたように起き上がり少女のもとへ駆ける。
最早動けているのが不思議な位にボロボロな少年だが、その実今にも気絶しそうな位の痛みに苛まれ続けていた。
漸く少女のもとへ辿り着くが、少女は倒れたまま。
───クソッ、時間がない!
大蜥蜴は此方へ近づき続けている上に、下から聞こえる物騒なビシリという音がその数を増やしてきている。崖の崩落ももう間近に迫っているのだろう。
大蜥蜴は少年たちを嘗めきっているのか、弄ぶように、その歩行はゆっくりとしたものであるのが唯一の救いか。
「っ! おいッ、遥ッ! 起きろよッ!」
少年は必死に少女に呼び掛ける。
身体も揺さぶるが、「ん、ぅっ……」と僅かに身を捩るだけで起きる気配がない。
───コイツ……ッ!
この状況でも起きないのはある種大物と言えなくもないが、今の少年には只々迷惑なだけである。
───ひとの気も知らないで……ッ、この野郎……
助けたいという、自分の想いすら受け取ってくれないのかと。
だが、今まで幼馴染みが自分に投げ掛けていたそれを受け取らなかったのは自分であるのもまた事実なのだ。
ならば。
「勝ッ………手に俺、が……助ける、だけだ……ッ」
少年は血反吐を吐き散らしながらも、動かない少女をその身に背負う。
小柄な身体に背負われた少女の足は地についたままな上、少年は呼吸も荒くボロボロ。
それでも少年は、一歩一歩、崖の先端から遠ざかるようにして歩みを進める。
出来るだけ大蜥蜴から離れ、残る力を振り絞り、駆け出した。
「ああああああぁぁぁぁぁッッッ!!」
叫ぶのは、激痛から目を逸らすためか、はたまた恐怖に竦む自らを奮い起たせるためか。
助かるためには大蜥蜴から逃げなければならない。だが崩れ去る崖にいる今、助かるにはどうしても大蜥蜴の脇をすり抜け街まで走るしかない。
崖の下には都合のよい川などないのだから。
だがリスクを減らすため、これでもかと大蜥蜴から遠ざかりつつ走る少年。
しかし。
「グゥオオ……」
「クッソ、っそだろっ!?」
只でさえ小柄な上に意識のない人一人を背負った少年が巨大な蜥蜴を引き離せる筈もない。
そもそも少年が少女を抱えて走れているのが異常なのである。それは少女が軽いから、少年が日々身体を鍛えているから、等ということで済ませられる話ではない。
兎も角、漸くある程度林に近付いた少年が大蜥蜴の接近を許してしまったのはしょうがないことと言えよう。
「っ……? 何…?」
とここで漸く少女が目を覚ました。
反射的に少年は少女を降ろし叫んだ。
「逃げろッ! 早くッッ!」
「っ!?」
しかし少女は少年が何故焦った声で叫ぶのか分からず戸惑うかのように身を強ばらせるばかり。
どうやら目が覚めたばかりで意識がハッキリしていないようだ。
「いいから兎に角走れっ!」
少年はそんな少女を大蜥蜴とは反対側に押しやる。
少年はもう間近まで迫った大蜥蜴に決死の覚悟で臨んだ。
武器は無く。
臆病で。
人という非力な身で。
戦いの経験さえない。
膝はガクガクと笑い、腰は完全に引けている。
それでも、少年は少女を大蜥蜴から守るため、その身を賭して大蜥蜴に相対した。
見上げるほど大きい大蜥蜴が、右の前肢を振り上げる。
───来る!
「走れッッ!!」
少年は叫び、大蜥蜴の右前肢の挙動に目を凝らした。
少年が今できることは、時間稼ぎだけ。
だから、少年は全力で大蜥蜴の攻撃を避け続けるしかない。
少年はその知恵を振り絞り、自分の役目に徹する。
太い、丸太のような前肢が降り下ろされる。
───降り降ろしッ! 薙ぎ払いと違って攻撃範囲が狭いはず! 冷静に見極めて──………
「───避けるッッ!!」
少年はそれを避けるべく構え、大きく踏み込み───……
「火炎ッ!」
「前──っ、何っ!? のわぁッ!?」
突如として少年の後方から飛来した火炎球が、降り下ろされた前肢を撃ち抜いた。
ボガァン!
耳に響く轟音と共に大蜥蜴は醜い悲鳴を挙げながら後方へと引っくり返った。
思わず前に飛び出した少年も爆風に巻き込まれ、綺麗に後転を連続披露することとなった。
───何だ!? 一体何が起きた!? 新手か!?
後頭部、背、脛を地面に激しくぶつけながらも少年は思考を止めていなかった。
只、今しがた起こった出来事に理解が追いつかず、頭のなかは混乱していたが。
漸くその身を起こして何事かと目を向ければ、何と彼の幼馴染みの少女が、その両腕から火炎の玉を放っているところだった。
次々に生み出される火球は燐光を辺りに撒き散らしながら、大蜥蜴に衝突し、地面を抉り。
盛大に土煙を巻き起てていた。
その熱の余波が少年の方まで届いている。
と、別にそれがなくてもそろそろそうなっていただろうが、地面への火球の衝撃が止めとなったのか一際大きな轟音と共に崖の端の方が大きく崩れ落ちた。
多少街から離れた場所であるがため人的被害はないと見ていいだろうが、少年はそれどころではなかった。
土煙に巻かれ見えなくなる大蜥蜴と。
火炎球を両掌から無尽蔵の如く放ち続ける幼馴染みと。
その両方を見つめ、状況を理解できずに只々呆然としていた。
魔法、魔術。
この世界に普遍的に存在する、神秘の力。
だがその神秘を扱うことを可能とするのは、魔白種と呼ばれる異人と、魔人種と呼ばれる特別な人間のみだ。何故か日本人が多いことが知られるが。
それらの数は決して多くはないが、少なくもない。
この世の中で強い権力を持つ彼らは、普通の人間たちと生活を同じくすることはない。
故に、一般人が彼らに会うことは滅多にないと言ってよい。
少年は彼女の幼馴染みではあったが、彼女の家庭について深く知っているわけではない。彼女がそれを望まなかったのもあるが第一に彼は自分の生活に手一杯だったのだ。
少年が知る少女は決して魔法を使わなかった。
使った方がいい場面でも。
そもそも、魔法を使えることすら知らなかった。
少年の記憶では、どちらかと言えば少女は肉体派であったから。
この光景を見続けても、彼はそんな自分のイメージと目の前の光景が結びつかず、軽く現実逃避に走っていたのだ。
だがそれも終わる。
ハッとした少年は少女に慌てて叫ぶ。
「遥ッ、そんな奴ほっといて逃げんぞ!」
魔法のことは緊急事態故に棚上げしたが。
だが少年のそれに少女は噛みついた。
「先に行って!」
「ばッ……バカ野郎お前そんなのに敵うと思ってんのか!?」
「何言ってんの! こんなのを放っておいたら町の人たちが危ないでしょ!!」
「…………ッ!」
それでお前が死んだらどうするんだよ。
その一言は、喉につっかえて出ることはなかった。
少年は知っている。少女はこうなったら止まらない。
否、止められない。
だが少年は先程から少女を守るべくして動いていたのだ。
今更逃げろと言われて逃げるタマなら彼女は今頃死んでいただろう。
故に少年は只ひたすらに、もうもうと立ち籠める土煙の中と。
それに現在進行形で火炎球を滅多打ちに放っている少女を、睨み続けていた。
何時でも、少女を抱えて逃げられるように。