01-09 『アカガワ中隊長(7) アカガワ中隊長の屍を越えて行け』 4月3日
緊急時、大量の負傷者が出た時には、それ用の天幕を張る。
そして天幕の下に厚手の毛布を敷きつめ、患者を横たわらせる。
その為、医療部の天幕そのもは、それほど大きくはない。
他の天幕との違いは、仕切り板が多いくらいだ。
一部は診察室として区切り、病室として二つの部屋が作られている。病室の中は地面に敷いた毛布などではなく、ちゃんとしたベッドが置かれている。
中年の女医が一人、診察室に居た。でっぷりと太り、目つきは厳しい。
的外れな自己診察を行い、怪我や病気が厄介になってから駆け込んでくる隊員を怒鳴りつけているうちにだんだんと目つきが悪くなっていったのだ。
隊員たちは全員、応急手当程度の医療知識を持つ。が、下手にある知識のせいで、自己診断ですませる隊員も多い。
「ん? 診察か?」
「いえ、違いますであります」
「そうか。なら帰れ」
「ハイサヨウナラ」
仕切り板から、ちょいと顔を覗かせた副隊長は女医と会話をし、顔を引っ込める。
アカガワは吠えた。
「何やってんだよ、副隊長!」
「あのオバサン、怖いから苦手であります! 補佐! ここは任せた!」
副隊長に押され、補佐の顔がひょこりと仕切り板から出る。
「あのーすいません」
「ん? 診察か?」
「違います」
「そうか、なら帰れ」
「いえ少々お話が」
「忙しい。帰れ」
「ハイサヨウナラ」
もう一度アカガワは吠えた。
「補佐殿。人に真面目にやれと言っといてなんだそのざまは」
「私も苦手なんですよ! ふざけてる副隊長が悪いのに、いつも私まで連座で怒られて」
「アカガワ中隊長殿! 直接交渉はおっかないんで、医療班の隊員にメモかなんかで伝言を渡すように進言いたします! だいたいだ補佐よ! あのオバサンが当直ならどうして我が輩に一言なかった!」
「今日のシフトじゃ別の先生のはずなんですよう。後三時間で医療班の勤務交代ですからどこかで時間を潰しましょう!」
仕切り板をガラガラと動かし、女医は言った。
「診療室で騒いでる馬鹿はどいつだ」
迫る女医にヒャァと副隊長と補佐は怯える。
怯える二人をを見て、アカガワは自業自得だと考えた。補佐はとばっちりかもしれないが。
医療官に必要なのは、医療技術は当然として肝の太さも重要だ。
士官のわがままをねじ伏せ、無理矢理にでも治療を受けさせるぐらいの貫禄がないとつとまらない。
おふざけ副隊長を叱りつけるようなら常識をわきまえた人なのだろう。
こういう人は常識的な態度で接すれば、常識的な対応が戻ってくるものだ。
アカガワは言った。
「ドタバタは失礼した。隊員の尋問に来たのだが、可能かな?」
「あ?」
負傷した隊員の尋問に来た中隊長に、あ? はないだろう。しかも凄い顔でにらまれている。
こんな態度をとられる理由は一つしか思いつかない。
自分が中隊長であると知らないのだ。
だが、その件で女医を責めるのも後ろめたい。
副隊長に中隊の運営を任せて、森の中で暮らしてる自分にも責がある。
アカガワは副隊長にささやく。私が中隊長であると、この女医さんに説明してと。
副隊長は器用に、小さな声で怒鳴った。
「貴様! なんだその態度は! このお方こそ中隊で一番偉い中隊長であらせられるぞ、頭が高い! 控えおろう!」
言ってる内容はともかく、意味は通ったはずだ。
「うむ。アカガワ中隊長である。負傷した隊員の」
「そんなことは判ってる」
「……尋問のこと?」
「お前が中隊長だってことだ」
おい、何かおかしいぞとアカガワは副隊長と補佐にささやくが、二人はいまだウヒャァとひるんでいて話にならない。
やはりもの凄い形相で自分をにらんでいる。
理由は判らないが、このオバサンが自分にキレているのは間違いない。
しばし考えアカガワは理由にたどり着いた。
「判ったぞ! このおふざけ副隊長の監督責任についてだな。部下の失態については私に責任が……ってオバサンも私の部下じゃないか、あ、オバサンじゃない、貴女か、違った貴官の、ほ、補佐! この場合、貴官でいいんだっけ?」
補佐が答える前に女医は言った。ずいとアカガワを一口で食い殺せる間合いに顔を寄せて。
「話を誤魔化すな。お前に言ってるんだ」
副隊長は腰を抜かしたまま補佐に指示を出す。
「やむを得ん! ここはひとまず撤退するぞ!」
「しかしこのままでは中隊長が!」
「バカモン! 中隊長殿がなぜ身を捨てて時間を稼いでくれていると思う! 我らを逃がす為だ! 我らが生き延びねば中隊長殿の死が無駄になる! 中隊長殿の屍を越えて進んでいくのだ!」
「判りました! 今まで、ありがとうございました中隊長!」
「さようなら中隊長殿ぉぉぉ!」
女医の左手がアカガワの胸ぐらをつかみ、ぐいと引き寄せる。
自由のきかぬ首をできる限り後ろに向け、アカガワは二人に言った。
「こら、逃げるな! 助けろ!」
プルプル顔を横に振り、無理無理と二人は叫ぶ。