01-07 『アカガワ中隊長(5) 一週間徹夜した男前にバックドロップ』 4月3日
補佐に止めろと言われ、アカガワも副隊長も無駄な争いを止める。
怒りの感情をどうにか抑えて、ではなく、はいそうですかという感じだ。
冷静になれと言われて、簡単に冷静になれる時点で、中隊長も副隊長もどこまでが本気で、どこからがふざけているのか判らない。
まさか二人とも実は息が合ってて、自分をからかって遊んでるんじゃあるまいなと、補佐は軽くイラッとする。
赤いコートの懐から小さな鏡を机の上に取り出し、アカガワはのぞき込む。
そして自分の顔を確認しながら絆創膏を鼻の頭に貼る。
補佐は鏡と思ったが、よく見れば鏡ではなくよく磨かれた金属だ。
「司令官つかまえて、司令部に何しに来やがった! ってのもすごい話だがまあいいや。さて、オッサン、補佐様に怒られるから、ここからは本気だ。
ボケたきゃ一人でやっててくださいにゃ」
「つれないですなあ、中隊長殿! もう少し遊んでほしいであります!」
無視してアカガワはコートのポケットをゴソゴソし、小さな紙片を取り出す。
紙片を二人の前でピラピラ振るわせてから机に置く。
「これが三月期の報告書だけど、何これ?」
「三月期の報告書であります!」
宣言したようにアカガワは副隊長のおとぼけには付き合わなかった。
「部下をかばうのもいいけど、状況をわきまえなよ副隊長」
補佐は考える。
わざわざ副隊長が複雑な報告書を上げる理由。それは部下の失態を隠すためだとアカガワは判断している。
そこに間違いはないだろう。隊員の一人がヘマをしているのは確かだ。
「さすがですな中隊長殿。解読にあと2日はかかると思っておりました!」
「暇つぶしにはちょうど良かったよ。書式に則ってここまで解読に時間のかかる報告書を作るとは」
アカガワは副隊長の考えを見抜いているのだ。
時間稼ぎが判っているなら、解読などに時間を使わず、さっさと戻って副隊長を問い詰めればいい。
それをしなかった理由はなんだろう?
……まさか、時間稼ぎをしたい副隊長の考えを尊重しているのか。
やっぱり本当は息が合っていて、じゃれてただけなら、中隊長と副隊長の軋轢に気を遣っていた自分の苦労はなんだったのか。
軽く手を上げ補佐は発言の許可をとる。二人がうなづくのをみて口を開いた。
「あのー、もしかして、中隊長と副隊長って仲がいいんじゃありませんか?」
二人は慌てて、こんなオッサン、こんなヤマンバと、悪口をまくし立てた。
補佐はヤレヤレと手を振り、はいはい判りました判りましたと二人をなだめる。
アカガワは言った。
「でも、ある程度、殺人経験がないと話が合わないってのはあるよね」
「判ります中隊長殿! ジョークの勘所が微妙にズレる、人殺しあるあるですね!」
呑気に物騒なことを言ってるが、二人は殺人鬼ではない。
ただ腰に付けた剣は飾りではなく、幾度も実戦を潜り抜けている事実があるだけだ。
アカガワが話を戻す。
「でだ。報告書によると、一ヶ月でヒノデ村からの逃亡未遂が十五件、そのうち最新の一件で隊員が負傷。になってるけど、どういうことだ」
「どういうこととはどういうことでありますか中隊長殿!」
「一月、二月は村人が逃亡をはかった事案はなかったのに、今月だけで十五件だぞ」
「別に異常事態ではありません! 逃亡事案の発生は月によって変わりますので、元から平均値に意味があるような数字ではありません!」
「ほう。まあ、そうだろうな。だいたい判ってるけど、再確認だ説明しろ」
「ヒノデ村に連れてこられた村人の反応は主に二つです! こんなふざけた村での殺し合いに付き合っていられるかと、すぐに逃亡を図るパターンであります!
つまり、ヒノデ村への到着後、一ヶ月ぐらいの間に逃亡を企て、私たちに阻止され、それでも逃亡を図りの繰り返しになり、結果として逃亡事案件数は増えます!
これを一ヶ月も繰り返し、逃亡が無理と知れば件数はゼロになりますであります」
その先はアカガワが続ける。
「別のパターンは、素直に村の生活に適応し生き延びようとした連中か。で、村の生活に慣れた頃に恐怖に襲われる」
「ですな。年末の殺し合いから目を背けても、延々と続く同じような日々の繰り返し、自由を奪われた現実がヒシヒシと精神を圧迫し逃亡へと駆り立てます!」
「一生このままヒノデ村に捕らわれ、朽ちていく恐怖だな。どれぐらいでそうなる?」
「個人差があるので一概には! どちらにせよ、逃亡事案の発生に偏りがあっても異常事態とは言えませんです!」
副隊長の説明に不自然なものはない。
アカガワの推論も否定していないので、二人の意見は一致してると補佐は考える。
だがアカガワは否定した。
「異常事態だよ」
「説明が足りませんでしたかな中隊長殿! 三月期における十五件の逃亡未遂も一人の村人が起こしておりますので、パターンからは外れておりません!」
「先年の12月27日以降、ヒノデ村に新しい村人は入ってないな?」
「勿論。いれば当然中隊長殿に報告します!」
「ならば、やはり異常事態だ」
「判りません。説明をお願いします!」
「去年の年末、27日にヒノデ村に入ったのは、潜入任務の私と子役、タケヤとイシガキの四人だ。
村人番号は子役が3a01私が3a02。報告書にあった十五件の逃亡未遂犯、村人番号3a04ってタケヤとイシガキのどっちだ?」
補佐が持つ、この大きな鞄の中には各種書類が入っている。
そこには村人の登録簿も当然含まれた。
補佐は急いで鞄の中から3a04の数字が振られた書類を取り出し、読み上げる。
「識別番号3a04 タケヤ・エイイチロウですね」
アカガワは深呼吸した。自分を落ち着かせようとしてるとしか見えないが、補佐には理由が判らない。
アカガワは言った。
「あのタケヤ君が十五回の逃亡未遂? そして一回とはいえ隊員に怪我を負わせているんだぞ。これが異常事態でなくてなんだって言うんだよ!」
そう言われても補佐はピンと来ない。副隊長もタケヤと接触はないのでアカガワの言葉に納得はしていない。
登録簿に記される情報は元から余り多くない。しかもタケヤとイシガキに関しては二人とも異世界の住人である。
もっともタケヤたちの居た異世界からの来訪者は余り珍しいものではない。
ヒョイと、補佐の手から副隊長は書類を取り上げる。
スカスカの情報欄。目につくのはタケヤの顔を写した写像ぐらいだろう。
副隊長は言った。
「ほう。これはこれは。なかなかの男前じゃありませんか! 美少年といったとこですかな!」
アカガワは机をドンと叩く。
「男前? よりにもよって美少年? おい、オッサン! おふざけはなしだと言っただろ!」
副隊長はタケヤの写像をにらむ。
「人相でそこそこ、そいつの性格は読めるんですけどね。駄目だ、この顔はお手上げだ。笑っている顔も怒っている顔も泣いている顔も、どれも想像できない」
副隊長の言葉に納得せず、アカガワはタケヤの書類を奪い取る。
そしてタケヤの写像に目を走らせ、言った。
「……誰だこれ?」
アカガワの一言で、副隊長の顔に緊張感が走る。補佐の全身にも鳥肌が立った。
ヒノデ村に居るべき者が居ない。居てはいけない者が居る。
それが指し示す意味。
静かに、そして素早く副隊長は指示を出す。
「書類の人間とタケヤは別人でしたか。補佐。中隊内にコードレッド発動。大至急総司令と大隊長に連絡を入れろ、判ってるな? 最優先事項だ。
ヒノデ村突入班を編制し指示あるまで待機。待機と休憩は違うぞ、突入班にはプロトコルの確認を行わせておけ、何度でもだ」
タケヤの写像をにらんでいたアカガワは、慌てて大声を上げた。
「あ! ごめん、よく見たらタケヤ君だ」
許される誤認と許されない誤認がある。
これが部下の醜態なら副隊長は怒鳴っている。内容が内容である。もしかしたらぶん殴っていたかもしれない。
それが上官の醜態なので怒鳴りはしなかったが、副隊長の声は狼の唸り声のように低くなった。
「中隊長殿。軽率な発言はお慎みください。言っていいことと悪いことの区別ぐらいつくでしょうに」
アカガワ本人も軽率さを自覚し、失態を誤魔化す為に変なテンションの笑顔になる。
「あはは。本当にごめん、軽率だった。でもこんな感じじゃなかったんだよ本物は」
その性格、その顔から普段の中隊長は、若い娘という年齢を感じさせることはほぼない。
笑って取り繕うという行為が、珍しくアカガワを普通の娘じみて見せる。
副隊長の声はまだ低い。低い声で念には念を押す。
「よく見たらなどという訂正はあり得ませんからな。本ッ当に同一人物で間違いはないのですか? 間違いの間違いなんて論外ですよ!」
「うむ。この写像の男前が一週間ぐらい徹夜して、フラフラになってるとこにバックドロップを決めた感じかな、本物は」
「どんな面でありますか中隊長殿!」
大人に怒られていた子供が、ちょっと話をそらせることに成功し、そのまま話題を変えさせようと必死になる。アカガワの姿はまんまそれであった。
「だいたい、この写像ってどこで撮ってるんだよ」
「私は立ち会ったことはありませんが、新規村人をヒノデ村に搬送する時には睡眠剤を使い眠らせます。
写像を撮るのはその時ですな。睡眠に入る前に酩酊、半覚醒状態になるんで顔つきが変わりましたかね。
その催眠剤には軽い自白効果もありまして、姓名、所属などの情報は酩酊状態の時に取り調べております」
よし、これで話題は完全に変わった。アカガワは軽口を叩く。
「それにしても、このタケヤ君の顔、笑っちゃうほど美形だけどなんか薄気味悪い」
「ですな。化粧が崩れた中隊長殿の顔もこんな感じですよ」
意表を突かれ、アカガワは絶句しその顔から表情が消える。年頃の娘の姿は美しいが得体の知れない者へと容易く変わってしまった。
副隊長は言った。
「ショックでしたかな?」
すぐには返事が戻らない。アカガワは髪をかき上げ、爪を軽く咬む。
そして笑いながら答えた。
「……私の顔は、こんな風に見えてるのか。そりゃ怖いな!」
その笑いに自虐的なものは一切混ざっていない。
アカガワがどうして笑ったのか補佐には判らなかった。