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01-05 『アカガワ中隊長(3) 斬れるはずのない剣による両断』  4月3日

 基地の中でも一際大きな天幕の中に、アカガワは居た。

 作戦会議に使われる机が据え置かれ、アカガワは一人でそこに座っている。


 机を挟んだ真正面に副隊長と副隊長補佐が直立して敬礼している。

 休めの号令がないのは、アカガワによるささやかな仕返しなのか、そこまで考えが及んでないのか副隊長補佐には判らない。


 焦点を失い同心円状になったアカガワの瞳には何が映っているのか。いや映ってないのか。

 机の上に置かれた桶の中には湯が入れられ、アカガワは湯で濡らしたタオルで犬の唾液まみれになった顔と髪を機械的に拭いている。

 可哀想な犬たちは、中隊長命令で檻の中に入れられていた。


 アカガワの口から漏れるのは、引きつけか笑い声か判らない、ヒヒヒという声とブツブツささやかられる独り言ばかりだった。

「なんで私がこんな目に。ただの潜入任務だったはずなのに……任務を完遂してるのに、どうして中央に戻れないのよ……ヒヒ」


 目は開いてても、心ここにあらずと判断したのか、副隊長は敬礼を解き、大きく伸びをした。

 さすがにそれはまずいと思った副隊長補佐であったが、アカガワがなんの反応を示さないのを見ておそるおそる自分も敬礼を解く。


「それはそうと副隊長。アカガワ中隊長の髪の毛って銀髪じゃありませんでしたっけ?」

 補佐が、この任地に配属されたのは年末だった。

 その時のアカガワは確かに銀髪だったが、今のアカガワは深紅の赤髪だ。

 かれこれ三ヶ月以上経つので、髪も伸びている。軽くウェーブのかかった髪をポニーテールにまとめていた。


「いや、中隊長殿は元々赤髪だ。潜入任務の為に髪を銀色に染めておられた」

「?」

「年末の潜入任務には弟役の子役が居ただろ。あの子が銀髪だったので、姉に扮する為に染められたのだ」

 まあ、あの目立つ銀髪で姉弟だと主張すれば、顔が似てなくても説得力があるだろうと補佐は思う。

 もし、染色がばれた時でも、子供がわざわざ赤髪にしているより、年頃の娘が髪を染めていた方が言い分けは簡単だろう。


「あの子供って何だったんですか?」

「何ももへったくれもない。作戦立案で必要と判断されて連れてこられた。ヒノデ村に到着してすぐに、アカガワ中隊長は戦闘班に紛れる必要があり、その為には戦闘に身を任せる説得力が必要だと判断された。弟を守るために戦闘に参加するという構図だな」


「そういう意味じゃなくてですね、いくら必要とはいえ、そう簡単に特殊任務用の子役なんて用意出来ないのではありませんか?」

「ああ、そっちか。あの子は戦災孤児で我らが組織で保護されている子だ」


 胡散臭さを補佐は感じた。

「えー、そのつまりあれですか? 孤児を施設で引き取る形にして、本当は特殊工作に使ってると?」

「……判っておらんな貴様は。孤児の保護が本質で、その他はついでだ」


「ただの詭弁じゃないですか」

「我が組織のやり方を全然判っておらんよ、貴様は。孤児用施設といっても、貴様が考えているような粗末なものじゃない。孤児たちはそこらの地方貴族よりよほど豪勢な生活をしておる。その生活を支える為の予算は、我が組織と孤児たちの稼ぎで賄う。あの子役のギャラを知っておるか?」


 副隊長は補佐だけに見えるよう指を折ってみせる。補佐はあまり納得しない。

「たいした額とも思えませんが」

「うむ。貴様が思ってる金額より二桁ほど多いとしてもかね?」


「マジっすか! いやいや、やっぱり詭弁だ。だって払うのも受け取るのも、うちの組織じゃないですか!」

「会計は厳密に区別されておるわい。……ならこう考えろ。保護施設ではあるが、特殊任務工作員、および幹部候補生育成施設も兼ねておるとな。善意だけで安定しない運営よりよかろう」


「やっぱり納得いきませんよ、純粋じゃない」

「そうだとも。だが純粋ではないが何も強要してもいない。才能を伸ばす手伝いをし、その才能を活用する場を与え、正当な報酬を与える。自由意志に基づく、公正な取引。ただそれだけ」


 補佐の立場になるほどの男である。副隊長の言葉は理解できたが、それを子供にまで適用するのはどうかという思いは変わらない。

 もっともその思いを副隊長にぶつけても意味がないのは判っている。


 補佐の考えなど見通しているのか、副隊長は皮肉げに笑う。

「補佐よ。的外れな同情など止めておけ。十年後にはあの銀髪の子役が、上級士官としてお前の上官になるかもしれんのだぞ。わっはっは」

 年末の鬼襲撃の際、中隊内では銀髪の子役の救出に細心の注意を払っていた。

 この一事だけでも信用にはあたいするだろうと、補佐は納得することにした。



「それはそうと副隊長。中隊長殿がこのまま放心状態では埒が開きませんよ」

「うむ補佐よ。確かにそうだ。仕方があるまい。正気に戻っていただくか」


 副隊長は真顔で、ばうばうと犬の鳴き真似をし、続いて甲高い声でキャーとアカガワの悲鳴を真似する。

 途端、正気に戻ったアカガワは顔を赤くし、殺気だった瞳で副隊長をにらみつける。

 赤髪に赤いコートに、血走った赤い目である。かなり怖い。


 副隊長はアカガワが正気に戻る寸前に、素早く敬礼をしていた。

 そして自分に向けられるアカガワの怒りを華麗に補佐になすりつける。

「貴様! 何を勝手に敬礼を解いておるか! アァカガワ中隊長殿がお怒りであるぞ!」

「え! うわ、ずるい!」

 補佐が慌てて敬礼する。


 怒る気も失せ、アカガワは頭を抱え込んだ。

「どいつもこいつも!」

 頭を抱え込んでいる。すなわちアカガワの視線は外れた。

 副隊長は、また勝手に敬礼を解く。その微妙な気配に気がつかないアカガワではなかったが、副隊長の反応も素早く、再びアカガワの視線が戻る寸前に敬礼の形に戻す。

 イラッとしたアカガワは、そのままうつむき、中隊長は敬礼を解き、今度こそは現場を押さえてやると顔を上げるが、中隊長はすでに敬礼の態勢になっている。

 

 巧みなフェイントを織り交ぜながら、このやりとりは数回繰り返されたが結局副隊長の尻尾はつかめなかった。

 イライラの頂点に達したアカガワは、目の前の桶を副隊長にぶん投げたが、これも華麗に避けられる。

 そして桶が地面にぶつかり湯が飛び散る音を聴いた天幕の外の檻からは「あの可哀想な人間が、また面白そうなことしてるみたい! 僕も仲間に入れて!」と犬たちがワンワンバウバウ。


 アカガワも犬に負けじと吠えた。軽く涙目になりながら外の檻を指さす。

「だいたい、何なんだ、あの犬どもは!」

 え? この娘はそんなことも判らないのと露骨な驚き顔をしながら副隊長は答えた。

「はいであります、中隊長殿! 僭越ながら申し上げますが、あの可愛いワンちゃんたちは人間以上の嗅覚と聴覚を持ち、哨戒任務ではその能力をフルに発揮し」


「わかっとるわい、そんなことは! でも軍用犬なんか全然居ないだろ! なんか太って丸太みたいな胴体の犬もいるし。いや、太ってるぐらいはまあいい。愛玩犬までがどうして混ざってる! どうみてもチワワにしか見えない犬にも顔を舐められたぞ!」

 ここは異世界である。アカガワが言うチワワとは、小型プードルに似た異世界の犬種である。


「誤解であります中隊長殿! あのワンちゃんたちは超一流の軍用犬であります。愛玩犬は暗殺任務用の特殊犬で、油断させて喉笛がぶりの虎落笛であります!」

「……暗殺用? 本当?」

 露骨にプッと笑い、これまた露骨に真顔に戻り副隊長は答える。

「冗談に決まってるであります!」


 怒りでアカガワの呂律が怪しくなった。

「オッサン、ふざけんにゃ!」

「ところで中隊長殿、虎落笛って判りましたか?」

「はい?」

「いや、ですから虎落笛って何か? ですよ」

「え?」

「え? じゃなくて」

「し、知ってるわよ。喉笛を咬んだ時のアレでしょうが」


 こんなやりとりが永遠に続く気がして、それはたまらんと補佐は言った。

「虎落笛、もがりぶえとはですね、喉を切られた時に気管から空気が漏れて笛のような音がすることを言います」

 答えを言って怒るかと思ったが、副隊長は補佐を褒め称えた。

「ナイス助け船だ、副隊長補佐! 貴様の手柄で中隊長殿は、無知を晒して赤っ恥をかかずにすんだぞ!」

「し、知ってたってばさ! 副長の副官! 答えようと思ってたのに、余計なこと言うんじゃない!」

「えーと、一応、副長の副官じゃなくて、副隊長の補佐官です」


 軽く咳払いして、副隊長は言った。今までの張り上げるような大声ではなく静かな口調だ。

「それはそうと、アカガワ中隊長よろしいですか」

「……なんだ、急に真面目になって」

「いくらなんでも作戦司令部で、司令官が語尾に『にゃあ』は勘弁してください。ふざけるにしても限度があります。隊員の士気に関わりますので」


 顔を真っ赤にして、アカガワは机の上に置かれていたコップを副隊長に投げた。


 ひゅん、とコップが飛び、反射的に副隊長の肩も動く。


 がさりと副隊長の赤いコートの裾が舞った。

 節くれ立った太い指が柄を握り黒い剣が引き抜かれる。

 そしてそのまま、副隊長の剣は、投げつけられたコップを両断した。

 陶器製の小さなコップである。それが粉砕されず、綺麗に両断された。


 コートの裾が元に戻る動きに溶け込みながら、放たれた黒い剣は鞘に戻る。

 熟練の動きに補佐は思わず嘆息の声を上げたが、全てに何の意味もない。

 コップが一個割れただけである。

 両断されたコップは地面に落ちて砕け散る。


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