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01-03 『アカガワ中隊長(1) 犬が嫌い』 4月3日

 ヒノデ村の東側には海があり、北には里山がある。

 西も南も、里山の向こうも森なので、海側を除きヒノデ村全体は深い森に覆われていると言えた。

 里山の上から周囲を眺めれば森の先が山になっているのが判る。

 里山は丘といってもいいぐらいの低さだが、この山はそこそこの高さがある。

 年末を越え、春を迎えた森の中はじっとりと暖かい。


 ヒノデ村を囲む境界ラインの遙かに外、森の一角には開けた場所があった。

 そこには赤い革のロングコートに、異形の黒い剣を携えた連中により基地が作られている。

 基地とはいえ、複数の天幕、いわゆるテントで作られただけの、簡易なものだ。

 緑色の布で作られたテントは森の中に溶け込んでいる。

 また、この基地より規模の小さな拠点は、森の中に複数存在する。


 基地の中では数十人のコートの連中が忙しく行き来していた。

 天幕は森に溶け込んでいるのに、その中で蠢くで赤い装束は、植物にまとわりつく異質な赤茶けたコケやカビを思わせる。



「副隊長、質問があります。中隊長はなぜ急に、こちらにお戻りになる気になられたんでしょうか?」

 基地の中、黒い剣を腰に下げた二人の男が、赤いコートをひるがえし、駆け足気味に進んでいた。芝生に似た、湿った草が地面を覆っているので砂埃はたたない。


 一人は上背のある二十ぐらいの青年で、肩から大きな革の鞄をかけている。その青年に副隊長と呼ばれたのは中年の男で、焼けた浅黒い肌をした短髪の男だ。


 大きな荷物を運ぶ隊員を、おっとっとと避けながら、副隊長は答えた。

「鷹の連絡には書いてなかったな。まあ、お嬢ちゃんの気まぐれなんざ知ったこっちゃない。と、言いたいがやはりあの一件だろうな副隊長補佐殿よ」

 副隊長の声はずしりと重く、よく響く。

副隊長補佐と呼ばれた青年はその答えに納得しない。


「でも、月例報告を上げてから間が空いてますよ。あれを重要視するなら、中隊長殿もすっ飛んでくるでしょうに」

 パチパチと燃える焚き火から出る煙、置かれた鍋から立ち上る湯気が二人にまとわりつく。


 がははと副隊長は笑う。

「それは補佐よ。俺が知恵を絞って判りにくい報告書にしたからだ」

「……またそうやって上官いびりですか」

 再び副隊長は、がははと笑った。


 副隊長と補佐をはじめ、基地内で鏡の仮面をかぶっている者は一人もいない。せわしなくも統率された人々の動きは普通の軍隊にしか見えない。


 哨戒任務用の犬たちが、急にワンワンと吠え声を上げた。


 副隊長はさらに足を速める。

「犬が騒ぎ出したか。急げ、中隊長殿の御到着だ」



 アカガワは今年で十七になる娘だ。

 引き締まった体、身長は高くも低くもなく、軽くウェーブのかかった燃えるような赤髪を持つ。


 そしてアカガワの顔は美しい。

 顔の美しさとはシンプルな話で、しかるべき形をしたパーツが顔の中のしかるべき場所に収まっている、ただそれだけの話だった。


 アカガワの顔は醜い。

 アカガワの顔は美しい。

 隙のまったくない完璧な顔、年相応の可愛さや柔らかさは微塵もない。

 ただそれだけで、アカガワの顔は人間によく似た人間でないものを思わせる。

 完全な三角形、完全な球が人の思考の中にしか存在しないのに、完全な美はアカガワの顔の上にある。


 だが、そこにあるのは薄気味悪さでしかなかった。


 普段は的の外れた化粧で、美しさをぼやかし誤魔化している。化粧に慣れるまでは、その無意味さを嘆いたが、すぐに本質は同じであると知る。

 どちらにせよ、本当の顔を隠すための技法だ。その技法の向きなどはどうでもいい。


 人造カサブタというものがある。

 肌色をしたクリーム状の医療物資で、外皮に馴染むが血には溶けず水分は逃がす。裂傷の縫合補助や縫合そのものの代わりにつかう代物だ。

 肌に良くつくので、軽い仮装で相手を驚かす時にもよく使われる。


 数年前、支部の余興で肝試しがあった。アカガワは驚かす方である。


 人造カサブタで両肘に球体関節風の仮装を施し、ノーメイクで暗闇の中に潜み、通りがかった支部の事務員の前にヒョイと出たら、本気の悲鳴を上げられ大騒ぎになった。

 あまりの顛末に戦闘班の同僚には大爆笑され、イラついたアカガワは同僚のケツを蹴り上げるのに走り回ることになった。



 何が嫌いといって、犬より嫌いなものはアカガワにはない。

 自分を怖がっている空気を読んで距離をとる犬はまだしも、「僕は怖くないよ!」とすり寄る犬も多く、この異世界においても犬は基本的に犬である。


 戦闘において一流の腕前を持ち、常に剣を帯びているアカガワは、狼ならともかく犬ごときを怖がったりはしない。

 が、それこそが不幸の始まりだとアカガワ本人はまったく気がついていない。


 犬は、まさか自分を嫌う生き物がいるなどと考えもせず、可哀想な表情をしている人間を慰めてあげようと、犬を見てしかめっ面になっているアカガワにつきまとう。


 アカガワの周りをグルグル回り励まし(自分の周りをグルグル回られるほど愉快なことがあろうか)

 アカガワに向かいキャンキャンと吠え励まし(自分に向かってキャンキャン吠えられるほど愉快なことがあろうか。もちろん唸り声は駄目だ!)

 アカガワの周りをグルグル回りながらキャンキャンと吠えて励まし(わぉ! 最高の最高だワン!)、隙あらば飛びかかって、嫌そうな表情をしている顔をペロペロしてあげようと待ち構える。


 この異世界においても最高の知性と美しさを持つ猫であるならば、らちがあかぬと知ればさっさと退却し、優雅に一眠りしながら食事を待つところだが犬は容赦がない。

「きみがどうしても僕を怖いというなら、残念だけど向こうにいくね!」という容赦はあれど、つらそうにしている人間を放置する容赦が犬にはなかった。


 さらにアカガワにとって不幸なことに、現在の任地には任務の都合上、犬がやたらと多い。

 ヒノデ村を包囲し、村人の逃亡を感知するためには犬の知覚が利用されている。


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