01-10 『アカガワ中隊長(8) ドレス』 4月3日
逃げ出そうとする二人を眼光だけで押しとどめ、女医は視線をアカガワに戻す。
「聞こえなかったか? お前に話があると言ってるんだ」
「聞こえてます聞こえてます。判りました、先にそちらの用件を聴きましょう。
……じゃない。
聞こえている。判った、さきにそちらの用件を聴こうか」
すでに気を呑まれている。
アカガワは必死に中隊長の威厳を示そうとするがどこまでも空回りする。
女医は言った。
「……その絆創膏は何のつもりだ?」
「絆創膏? あ、これか」
鼻の絆創膏をさすり、アカガワは言った。
「別に何も。どうってことない怪我だから一応貼ってるだけで」
一瞬、どんよりとした沈黙が流れ、補佐が叫ぶ。
「駄目です中隊長! それは禁句です!」
「へ?」
忠告は遅すぎた。
女医はアカガワに吠える。
「たいしたことない怪我だとぉ! なんだ? お前は医者か? 違うだろ? 医者でないお前が、どうして怪我の軽い重いの判断が出来る!」
「いや、本当につまらない怪我で」
女医は吐き捨てるように言った。
「ほう。それで傷口の消毒もせず、適当に絆創膏を貼り付けて仕舞いだと?」
アカガワを掴む手を離し、女医は備え付けの棚に向かった。ガサガサ探すまでもなく、そこにある消毒液の入った瓶と消毒済みの布を取る。
「それで怪我をした時の状況は?」
女医の拘束を解かれ、アカガワはホッとした。
副隊長には悪いが、医務官への報告は正確を期すべきだろうと、アカガワは考えた。
「はい! 副隊長に投げられたコップが鼻に当たりました!」
「中隊長殿! 爽やかな笑顔で、個人を特定できる供述は止めましょう!」
女医の懐から投げられた鈍色に光るメスは、ストンと仕切り板に刺さった。副隊長の顔から十センチぐらい離れた場所である。
副隊長は悲鳴を上げる。
「先生! さすがに刃物をぶん投げるのはどうかと思うであります!」
「問題ない。消毒はしてある」
「そういうことではないであります!」
「うるせえ。医者もここにいる」
よっこいせと、女医はアカガワを片手で引き寄せ、軽く抱きしめる。
そして言った。
「おう、副隊長。年頃の娘の顔にコップ投げつけるたぁどういう了見だ!」
「誤解です誤解です。あの場の正着は制された剣を捨てて、右手でコップ受け取ると同時に、左手を逆手にして剣を掴み直す。でありまして、コップを顔面に食らったのはアカガワ中隊長殿の判断ミスで」
「あ? なんの話か知らんが、中隊長のせいだとでも言いたいか? 可哀想に」
補佐が唐突に叫んだ。
「あ! 大変だ! 中隊長が!」
「補佐、どうした! 中隊長殿があまりの恐怖で、覚醒して第二形態にでも進化したか!」
「副隊長、言ってる意味が判りません! いや、そうじゃなくて中隊長が泣いておられます!」
女医は驚かなかった。副隊長と補佐は驚き、ついでにアカガワも驚く。
一番驚いたのはアカガワ本人だった。
自分の顔に手を当て、確かに流れる涙を確認する。
「うわ! なんかゴメン! 泣くつもりなんて微塵もなかったのに!」
謝りながら離れようとするアカガワを、女医は再び片手で引き寄せ抱きしめる。
「構わん。ぼんくらの部下に振り回されてた緊張の糸が切れただけだろ」
よせばいいのに副隊長は、余計なことを言う。
「感情を知らなかった殺戮マシーン、アカガワ副隊長殿が涙を流すだと! こ、これが涙? 的な!」
補佐は否定する。
「いや、結構感情は豊富でしたよ、怒ってたし、タケヤ誤認の失態を誤魔化すのにヘラヘラ笑ったり、女医の先生につかまれて、絶望や恐怖を覚えたり」
女医に恐怖の辺りに反応したのだろう、再びメスが宙を舞い仕切り板に刺さる。
ウヒャアと補佐は怯んだが、副隊長は怯まない。
「見損なったであります、中隊長殿! 不意打ちで、ちょっと優しく女の子扱いされたからってボロボロ泣き出すなんて!」
女医が怒鳴り返す。
「中隊長か何かは知らんが、根本は年頃の娘だろうが! ヒノデ村を包囲する中隊の隊長なんて、とんでもない重責を押しつけられて、気が緩んでたまに泣いたら、見損なっただ?」
アカガワが女医を制す。
「いや、本当にゴメン。これは副隊長が正しい。なんで泣いたか判らないけど、泣くべきじゃなかった。うわ、ゴメンなさい。白衣に涙がついちゃった」
「涙ぐらい構うか! 元から血反吐で汚れても良いように着てるんだ!」
一発ぶん殴ってやると、副隊長に女医が迫る。
女医をアカガワは押しとどめようとしたが、あまり意味はなかった。アカガワを引きずりながら女医は進み、副隊長に向かい拳を振るう。
女医の攻撃をヒラリヒラリとかわしながら副隊長はアカガワについて考えた。
緩んだか。と。
アカガワは優しい言葉をかけられたからといって、泣くような人物ではない。いや、なかった。
アカガワは緩んでいるのか?
緩む緩まないの話は、ちと違うかと、副隊長は考え直す。
あぁ、ドレスだな、これは。
絶対着ることのないドレスをしまっておくか、捨てるか。
てっきり捨てるタイプだと思っていたが、アカガワはドレスを保存しておくタイプだった、それだけの話だ。
どちらがいいという話では決してないが、捨てるタイプの方が遙かに多い。
決して着ることがないなら、捨てる方が遙かに楽なのだ。
そして、あるはずのなかった、ドレスを着る可能性が出てきた。
得体の知れない顔を持つ自分と、同類であるかもしれないタケヤの存在、それにより可能性が生まれたのだ。
本当に些細な話に過ぎない。
ドレスを捨てた者が、ありえなかった可能性に遭遇して後悔することなどもなく、ありえない可能性に遭遇し、ドレスを着た者が幸運に緩むこともない。
ただ、ほんの少し華やかになる。その先にあるのが希望か絶望かまでは知ったことではないが。
マスターの意図を読む不毛さを嫌というほど副隊長は知ってはいたが、それでも考えずにはいられない。
アカガワをタケヤのそばに配置したのは偶然ではあるまい。
アカガワの配属は操られる。だがタケヤはどうだ。あれも手の内なのかそれともアクシデントなのか。
どちらにしろ、その目的は……
「ところで女医の先生! 我が輩をぶん殴って怪我人を増やすより、アカガワ中隊長殿の鼻の頭の治療をした方がよろしいんじゃないでしょうかであります! 手遅れになったら一大事であります!」
攻撃を全て避けられた女医は、ぜいぜいと息を吐き答えた。
「チッ。それもそうだな」
アカガワを椅子に座らせ、女医は鼻の絆創膏に手を伸ばす。
神妙な面持ちでアカガワは女医にされるがまま、椅子に大人しく座っていた。
ベリッと絆創膏は、はがされた。
「なんだ?」
女医は拍子抜けした声を上げた。無意識のうちに、指先で絆創膏を丸め、広げ粘着液の強度を確かめる。
粘着力は強い。長時間貼られていたなら、皮膚からの水分で絆創膏は柔らかくなるが、コリコリした堅さも残っている。この絆創膏が最近貼られたことに間違いはない。
女医は続けた。
「怪我なんかしてないぞ」
補佐が言った。
「いや、そんなはずないですよ。内出血とは言いませんが、結構赤くなってましたし。数十分で消えるような腫れじゃ……ありゃ本当、赤みが完全に消えてますね」
口を開きかけたアカガワを女医は止める。
「怪我がないなら、それでいい」
「先生。ありがとう。でも言っとくよ。副隊長に補佐も聞いといて。
私の顔の怪我はすぐ治るんだ」
その言葉の意味が補佐には判らなかった。
「どういう意味です?」
「意味も何も。どんな切り傷だろうが火傷だろうが、骨折だろうがすぐ治るんだよ。顔の負傷に限るが、再生といっていいレベルで、完璧にこの顔へと復元される」
副隊長が叫ぶ。
「アカガワ中隊長殿! もはやただの化け物じゃないですか!」
身も蓋もない副隊長の暴言だったが、女医は副隊長をたしなめることが出来なかった。 言ったのはアカガワであり、どんな反応をするかは個人の自由だ。
言う必要のない告白だ。
化け物扱いが嫌なら、黙っていれば良かったのだ。
口を開く前に漂った、アカガワの覚悟。それに気がついたから自分はアカガワの発言を止めようとしたのか。
アカガワは笑う。
「ああそうだ。化け物だな」
副隊長も笑う。
「後から化け物であるのがバレるのが怖くて、自分から先にゲロってる訳ですか!」
「手厳しいな副隊長。まあそうだ」
「自分でも得体の知れない化け物が、生きていくためには素性を隠すのがセオリーですがそれが嫌だったんでありましょうな!
そうなると、隣に居るのが化け物だろうがなんだろうが、役に立つ者なら構わないという極限状態に身をおくしかなかったと。それがこの稼業に身を置く理由でしたか!」
「そうだよ。化け物ではあるが、そこそこ使い所のある化け物だからな」
「ところが実戦部隊で死線を潜り抜けてたのに、気がつけば中隊の隊長様になっちゃって少々居心地が悪くなりましたか! いつもの手が使えないなら、さっさと化け物であることを告白して、陰口を勝手に叩かせて一人で気楽にやろうと」
「判ってるなら、いちいち指摘してくれるなよ副隊長」
「見損なって欲しくないであります、アカガワ中隊長殿!」
「ん?」
「我ら中隊の隊員は中隊長殿を信頼しているであります。その点に関しては、アカガワ中隊長殿が過去に死地を潜り抜けた戦友たちと何の変わりもありません」
女医が言う。
「その惚け茄子副隊長の言うとおりだよ。ここだって本質は中隊長が今までいた世界と同じなんだから」
アカガワは素直に言った。
「ありがとう、副隊長に先生」
副隊長は補佐をつつく。
「ほら、補佐。お前もなんかいい感じの発言をしろ」
「え! そんないきなり! えーと、私も勿論アカガワ中隊長を信頼してますよ」
副隊長は冷酷に審査する。
「弱いな。もっと感動出来るような感じで」
「そんなこと言われても! あ、そうだアカガワ中隊長に敬礼! でいいんじゃないですか」
「面白みに欠けるのう。まあ仕方ないか。我が輩が敬礼の音頭を取るから、よろしければ先生もご参加を。最後に中隊にも敬礼しますからね」
「ごほん。では改めまして、アカガワ中隊長殿に敬礼!」
副隊長と補佐、女医はアカガワに敬礼をする。少しばかり照れくさそうにアカガワも礼を返す。
「続きまして、我らが第ゼロ中隊に敬礼!」
副隊長はビシッと敬礼したが、他の者の敬礼にはあまり力がない。
空気を察してアカガワが言った。中隊内の最高責任者でないと言いづらい内容である。
「前から思ってたんだけど、この『第ゼロ中隊』って名前はどうにかならんものかね?」




