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望みのゆくえ  作者: 環 円
膨らみきらぬ物語り
5/9

5

 メルルは咄嗟に両手でその口を抑えた。ここは戦場ではない。だから多少の声をあげても平気なように思えたとしても、安全安心が担保されているはずの王都で、しかも護衛が屋敷の至る場所を巡回している将軍の住まいなのである。

 声をあげようものなら護衛がこの部屋に殺到するに違いない。

 突如現れた男に絶叫しなかった自身をメルルは褒めちぎりながら奥歯を噛み締める。そして深い呼吸を繰り返した。

 

 じ、とメルルを楽しげに見つめる男はあの日からなんら変わってはいない。目の色は月光に邪魔されて良くわからなかった。

 ゆっくりと足を進める。見上げるほどに近づけば、黒の中に混じった色は黄であった。

 扉の外を伺いつつ声を抑え、探したのだと、王都に戻ることを伝えたかったとそれはもう、知っている語彙を駆使して伝えた。男はそんなメルルに肩を震わせる。噴出すのは時間の問題だと言わんばかりの微細な震えであった。


 「少しはおかしいとは思わなかったのか、お前は」

 「おもったわ。でもね貴方たちがおかしいのは最初からだもの。父様や兄様、弟やあの地にいたみんなが貴方を忘れても、またあの人なにかしたわね、くらいにしか問題にならなかったの、私の中では」

 「……せっかく逃してやろうと、まあ、仕方が無いな。予定調和だ」

 

 つぶやきの意味を考える暇など与えられず、メルルは貪られた。

 男には是非とも遠慮という言葉を覚えてもらいたいものだと憤慨しつつも、嫌と感じなかったのがかなり悔しくも感じる。男は夜着をするすると脱がせ奪い、腰を掴んで動けなくすると背中に口付けてきた。鏡では見えないだろう箇所にちくりとした痛みを感じ振り返れば、喜々とした色を瞳に乗せ、しかも隠そうともしない男が唇までも弧に描く。


 「明日、ドレスをっ、着なくちゃいけ、ないのに、なにするのこの、変態!」

 「なら出席しなければいい。ここまで迎えにきてやるから、な?」


 そういうわけにもいかないのだと、疼き出した体に、これは幻影なんだ、嘘なんだ、感じてなんかいない! と無理矢理言い聞かせ、体がひねって何とか隙間を作りかかとを振り上げた。


 「こわいこわい。さすがは切り込み隊長メル様だ」

 「くっぅ、人で遊ぶな!」

 「ああ、いい匂いだ。お前が大人しく喰われてくれたら優しくできるのだが、どうする」


 低く耳心地の良い声にぞくりと体が震える。どうするもこうするもない。涙が出そうになり奥歯を嚙んだ、その一瞬の隙に男はメルルのおとがいあごを固定した。

 咥内を何度も柔らかな舌が行き来する。歯列だけではない。舌の裏や唾液が湧き出る舌下などを余すことなく堪能した男は、腰砕けにしたメルルをベットにそっと横たえた。


 ただの、というにはかなり卑猥な口付けだが、それだけでメルルはもう体に力が入らなくなっている。


 「このまま連れて行くのは、くそっ、分かってるよ。手順踏めって話だろ。面倒だがわかってる、うっせぇ、笑うな」


 誰かと話しているのだろうか。ぼそぼそと声が聞こえるが明確な意味はわからない。このまま寝ろ、お休み。そう言って現れたときと同じく、あっという間に姿を消した男にメルルは細長い息を吐いた。

 いつものことながら情緒もへったくれもない。だがメルルも男がそういう男であると知っていたため、体が動くようになるまで気合を入れて考え事に没頭することにした。


 母はメルルが欲しいと思っていた伝聞をきっちりと用意してくれていた。メルルの代わりに学園に居た従姉妹が巻き込まれそうになっていた事件のあらましが数十枚の紙にまとめられているものを読んだのだ。


 母に覚えたかと聞かれ、頷けばその紙束はあっという間に燃やされてしまった。

 

 それとは別に学園を離れていた1年間の報告書もあったが、そちらは正式に学園からもたらされた書であったので、所持していても問題ないという。報告書と銘打たれてはいるが、遠方に住む親御に子供たちが送った一年がどういうものであったのかを知らせる書である。学問に対する姿勢はどうか、その成績は。学友との関係や寮での生活態度などが記されているのだ。


 どうやら従姉妹は上手くメルルを演じてくれていたらしい。

 特記というほどでもないが、前学年まではすべてにおいてそつなく平均的に修めていた学習のうち、いくつかに大きな興味を寄せたのか意欲的に取り組むようになったと。貴族としての立ち振る舞いをしながらも身分を笠に着ず、王族とのかかわりも最小限にとどめ、模範生として高評価を得ていた等が書かれていた。


 もう一度、報告書を確認しておこうと視線を上げ体に動けと叱咤する。そして紙束を手にしたまま燃やされた文字を再度思い浮かべた。

 王族はこの国の支配階級と取りまとめる長だ。支配階級は領地を持ち、その地に住まう人を得る。国は領地を持つ貴族から毎年、国が国として成り立つための税を徴収する。

 ならばどちらが貴くどちらが卑しいのか。それはどちらともが成りえるとしか言いようがない。

 爵位を持つ人物が不正に金銭を蓄え民を弾圧すれば卑しくなるし、名もない平民だったとしてもその腕一本で荒地を森に変えるという荒唐無稽こうとうむけいを実現すれば貴くなる。


 民は日々、義務を果たしている。国に税という金銭を納めることにより、その地においてその場所に住まう権利や天災や人災が起きた場合の補助を得る。

 今回の戦いもそうだ。この国を害そうとした災いを、騎士という王が束ねる、支配者として特別な待遇を受ける貴族が持つ武力でもって民を、民が暮らす地を守った。貴族である者たちは民を守る義務を果たすがゆえに贅が許されるのである。


 あの報告書を鵜呑みにするならば、たった一年で学園はかなり荒れたといえよう。

 本当かどうかはあやしい。そう思ってしまうくらい、ありえない内容だったのだ。確かな筋に調べてもらったと母は言ったがしかし、メルルの内心はそんな馬鹿な、というおもいであった。


 王子は帝王学を、しかと学んでいるはずなのである。王とはなにか、支配者とはなにか。しっかりと叩き込まれてから学園に足を踏み入れているはずなのだ。

 で、あればこそ余計に信じられない。

 メルルは未来の王妃として教育を受けてきた。

 なにも言われずとも分かっている。戦場に、女の身で、しかも国母となる予定の人物が安易に足を踏み入れるなど、狂ってしまったのかと言われても仕方の無い行動をした。感情のまま突っ走るなとあれほど窘められていたのに、踏みとどまらなければならない場所で止められなかった。


 メルルにも非はある。

 もっと皇太子と言葉を交わし、お互いの相互理解を深めておけば良かったと今更ながらにおもうのだ。


 だがしかし。

 戦場でいた丸1年を、そもそも時間を巻き戻すなど出来はしない。


 物事は往々にして仕組んだとおりに上手く運ばないものだと小さく息を吐いた。メルルが従兄弟に身代わりを頼み、出奔した2ヶ月後に最初の救援が従姉妹から母に出されたという。そして従姉妹はなんとか3ヶ月ほどは踏ん張ってくれたようだが、その1ヶ月後に領地に戻っていた。ならば残り半年をどうしたかといえば、従姉妹が冬季の休暇で戻ったのを見計らい、日々の疲れが出たのか体調不良だとこじつけて、静かな領地にて療養を行なっていることにしたのだと。


 メルルはあの学園で目の役割を担っていた。

 しろ、と命じられたわけではない。だが王妃に施された教育の中にあったのだ。広く浅く周囲を見続けることの意味と大切さを長年に渡り施された。ゆえにメルル自身が意識しないままに行なっていたのである。


 その目、が機能しなくなったとしたら。

 好き放題、やりたい放題する輩も出てくるだろう。だが出る杭は打たれるものだ。学園という閉ざされた場所ではあるが、自浄作用がそれほどまで低くなるかという疑念もある。


 (直接、自分の目で見たほうが早いかも)


 屋敷のベットの上で悩んでいてもどうこうしようもない。

 メルルはちらりと今朝、届けられた手紙に目を向けた。そこには是非とも将軍の働きにより平定が成った、慰安も兼ねている夜会に来て欲しいと書かれていた。長らく戦地にあった将軍である。屋敷にも長らく帰ってはいないだろう。娘である君ともゆっくり話がしたいだろう。来てやってくれないか、と。


 (殿下、呼び出すにしても父を餌にするのは間違ってるとおもいます)


 メルルは小さく笑む。隣国との戦いに身を投じていた娘は父と一緒に二ヶ月ほど前にようやく、王都に戻ってきたばかりなのである。

 学園内に居ながら外の情報を得るのはかなり難易度は高いが、やってできないものではない。

 実際、昨年の夏にメルルは得ていたのだ。


 手紙に書かれた文字の羅列は本位ではない。

 とはいえ交渉の席において、それらの問題が起こっていた最中、真実を相手に感情的に叩きつけたとしても効果は薄い。理性的にかつ順序だてて相手の鎧をはいでいくのが定石である。その際、紛うことなき動かせぬ、しかも嘘をつく本人がよく知り信頼している人物を間に挟むのがちょっとしたコツなのである。


 そして宴の席には戦場でご一緒した多くのご隠居たちも来るに違いない。


 笑い話になるだろうが砦を奪還したという報をうけ、領地で隠居していたかつての英雄たちが勇んでやってきたのだ。鼓舞するだけのつもり、だったのだろう。ちょっとした訓練のつもりで赴いた場所で隣国が放った斥候とどんぴしゃりと遭遇してしまい、その技を存分に披露してもらったことがある。


 のちにメルルの差し金だと、とある裏切り者の男のせいで判明してしまったのだが、彼らは快活にメルルの老獪振りを笑い飛ばしてくれたのである。良くも我らを出し抜けたと。


 敗戦の風潮が色濃くなっていた最前線であるが、砦を取り戻すことで一夜にしてそれを吹き飛ばした英雄の話は代々騎士を排出している家系の、新たに召集された弟の同い年の騎士見習いや、兄と同年の近衛騎士たちによって詳細を伏せられながらも広がっていたのだ。ゆえに引退した者たちがその真偽を確かめるべくやってきた、というのが真実である。


 老年の騎士たちがそれぞれの場所に戻る際や部隊の入れ替えが起きるたび、 メルルはお願いだから私がここに居るのは内緒にして欲しいと土下座していた。女であるから、という理由は使わず、武勇を立てたら王を尻に敷く女と言われかねない、だから黙っていてと願ったのである。

 その約束を彼らは守ってくれていた。なぜならメルルに関しての情報は漏洩せずにすんでいたからだ。だがそれが果たしてよかったのか。いまでは少々懐疑的である。殿下にくらいは言伝してもらえばよかったとおもわなくもない。そう思考をぐるぐるさせていた。


 戦場で状況を読み、命をかけて突き進んでいたときはこんなに迷わなかったし、思考を廻らせることもなかった。

 なのになぜ、男のことや殿下のことを考えると袋小路に入ってしまうのかわからなかった。

 

 燃やされた報告書には、殿下に想いを寄せる女性ができたとあった。

 メルルはひとりで居続けることのつらさは良く知っているつもりだ。

 だから殿下に愛しくおもう誰かができたならば、その人と添い遂げて欲しい、と願っている。


 今のままメルルと皇太子が契りを結んでもお互いに背を向けたまま、その背を互いに寄り添わせることなく冷めた夫婦になってしまうだろう。


 だから異論はなかった。喜ばしいことだ。貴族として生まれた義務だからと盲目的に殉じるのではなく、許される範囲内で自分の希望と擦り合わせることが可能であるのならば、それはきっと小さな幸せに繋がるだろう。王をはじめとする国を支える貴族は、民たちがあるからこそ貴族であり続けることができるのである。民をないがしろにし、私腹を肥やす不届き者は、裸の王様がお似合いになるであろう。


 互いに好ましいと想う誰かが出来たならば。そう殿下とは話してきた。

 報告書にあることを信じるならば、メルルは殿下の背を押して差し上げたかった。誰かを想うとそわそわしてどきどきする。落ち着きがなくなって、触れ合いたくなる。多少の我慢はいたしかがない。それぞれの立場というものがあるのだ。なにもかもをかなぐり捨てて恋に恋して愛に生きるなど、生きたくても立ち行かなくなるだろう。


 だから話をしよう、とおもっていた。

 学園での滅茶苦茶さはさておき、置いておくと腐りそうではあるのだが、メルルにどうこう出来る問題ではないとおもわれたからだ。母が言っていたのだ。学園でかなり大きな問題が起こっている、と。

 有事の際に夫が不在であればその指揮を執る豪傑な母が言うのだ。こればかりは間違いではないだろう。


 メルルも戦場というかなり特殊な場所で恋を自覚したわけだが、当然、殿下も学園でこの令嬢こそはという一目ぼれする事態が起こってもおかしくない。

 ただ報告書にあったような学園を真っ二つに割るほどの色恋沙汰など、眉唾物だとメルルはおもってしまう。ひとりの女性に懸想した身分の高い男性がその周りを取り囲み、蝶よ花よとご機嫌を伺い続けるなど何の冗談だと笑い飛ばされてもおかしくはないだろう。

 だがあの報告書はメルルにとっては吉報であった。

 メルルだけではなく、殿下にも好いた人物ができているのだ。双方共に解消を願い出れば、もしかするといけるかもしれない。


 さてそのために必要な情報はなぜ陛下がメルルを嫁候補筆頭の判を押したか、である。

 血筋ではないだろう、とはなんとなく分かっていた。なぜなら王妃は小さな港町出身だった。王が一目ぼれし、婚姻を結んだ。だが未だ王妃はわからないという。あの方がどうしてわたくしを妃に選んでくださったのか。遠くを見つめる、殿下と同じ青の瞳がそっと閉じられた。


 メルルはかつてを思い出すたび、眉を寄せるのをやめられなかった。

 メルルは王が何を考えているのか、まったくわからない。王の御心をおいそれと知れるほどに近しくもないし、かなり年齢差のある人物の心象を想像出来るほうが恐ろしいだろう。

 17年生きて、お会いしたことがあるのは1度きりだ。夜会に行けばお目見えする機会もあっただろう。だが面倒であった。女性は何が楽しくて着飾るのか、当時いまいち良くわかっていなかった。


 それにメルルは嫁ぎ先がすでに決定している女でもあった。

 王都に集う多くのつぼみたちのように条件の良い嫁ぎ先を見つけるためとか、恋する相手を探すためとか、まったく必要なかったのだ。


 皇太子もメルルが夜会に出ないのを、咎めなかった。

 それをいいわけにしてメルルは当時、ボードゲームに嵌り興じていた。ひとりで二役しつつ、自分自身をけちょんけちょんに負かしたこともある。はっきりいって夜会よりゲームの方が楽しかったのだ。


 だから学園でひとりきりになった。いわれるがまま教育を受け、自分のことしか考えず、交友を結んでこなかったがゆえの結果である。

 メルルはそれを甘んじた。自らが蒔いた種は、自分で刈り取る以外に方法がないと知っていたからである。


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