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望みのゆくえ  作者: 環 円
膨らみきらぬ物語り
3/9

3

 これを世間では修羅場と言うのだろうか。

 メルルは自分から聞きたいといったくせに、及び腰になり、さらにじりじりと寝台の端に追いやられた自分に問うてみた。だがしかし、混乱している自分自身がこの窮地を脱出できる良い案を出してくれるかと言えば否である。

 ずずいっと身を進めてきた男にメルルは密かに怯えの声を飲み込む。こんな男は知らない。赤の光を黒の瞳に宿し、細められた目でメルルの心の奥底を見定めようとするこんな男は、初めてだった。金の色を持つ男ならばかなりきわどいことをしてきた記憶もあるが、赤のときは真摯に、メルルのレベルに下げて付き合ってくれていたのに。


 男が彼女の側に寄ってくるのは作戦実行前の小隊編制時と実行の時、そして睡眠前のこの時である。

 その他の時間帯はぶらぶらとしていたり、兵の訓練場に顔を出していたりするらしい。メルルは男と女の情事を目にしてからというもの、どこかしら男に一線を引くようになった。


 学術的にも男のそれは女が月に一度迎えるそれと同様のものだ。体が勝手に作り出すが、たくわえることが出来ぬものでもある。

 とはいえ兵たちや騎士たちがその建物に入っていくのを見ると、メルルは内心、塩っ辛くなった。

 父や兄、弟も行っているのかと思えば、なんだか汚らしいものに思えてくるから不思議なものだ。父には母が、兄にはこの戦いが終われば結婚する女性が居る。それなのにそういう場所に行くとはどういうことかとメルルはおもうのだ。男にとってそこらへんどうなのか。女の身であるメルルにはわからない。


 男はメルルの唇にそっと触れてきた。触れるだけの口付けである。だが今夜ばかりは舌でぺろりと唇を舐めてきた。必死に口を真一文字に結ぶメルルなど気にも留めない。そのうちにほぐれてしまった唇を割り、舌が口の中に入ってきた。一度許してしまうと、もう閉じれない。それはまるで決壊した河川の堤防のようだ。


 随分と長い間、その行為は続けられた。メルルは口の両端から飲み込めなくなった唾液が流れ、うなじを濡らしているのにも気付かなかったくらいだ。

 男はメルルを抱きしめる。その耳元で語るのは、メルルから尋ねられたあの日のことだ。


 本当は知られたくなかった。切実な声音はメルルの鼓動を跳ね上げる。

 処分したのは男の独断であったが、相手国の間者であったから情報を吸い上げてからとおもい、相手の思惑に乗ったのだと。


「メルル。お主だけでいい。お主だけが欲しいのだ」


 そのほかなど要らない。どんなに美しく着飾ったとしても同じような顔をし、言葉を吐いてくる女など丸太にしか見えないのだと男はのたもうた。

 ただ男に関し詳細な情報を得ていれば頑として否定していたと声を大にして言いたいとはおもう。


 男はその夜から更にメルルを翻弄しはじめた。

 なにもしないと言わなくなったのだ。体の至る場所に口付け舐めた。その結果、男によって触れられていない箇所を探すほうが困難になるまでそう日は掛からなかっただろう。

 だが嫌ではなかった。恥ずかしさはかなりあったが、メルルがいい、というまで男は我慢強かったのである。メルルの理性が溶けるまで責めつづけたのだ。そして許しを得て、存分に目当ての場所を堪能した。


 大勢の男たちに囲まれた時は表情筋が固まってしまうくらい、喉が引きつって声が出なかったのに、なぜか触れられるのが嫌ではなかった。メルルは一度だけ訝しんだことがある。だいたいからしておかしかったのだ。瞳の色がその時々によって変わり、言葉遣いや仕草、雰囲気が違う男が、否、男が男たちでないかと。だがどう考えても嫌ではなかった。嫌になれなかった。だから聞こうとした。だがすればやんわりと違う方向に話を逸らされ、結局のところのらりくらりと逃れられている。

 ある夜、男の手をはじめて望んだ。そして次の夜、調子に乗った男の手をはじめて拒んだ。瞳の色は同じだった。そのときの気持ちはかなり混濁していたと覚えている。抱きしめてもらいたい。けれどそうして貰う義理も権利もなかったと気付いたからだ。男の気持ちひとつでこの関係はうやむやになってしまう。


 好きなのだと。男のことがどうしようもなく好きなのだと気付いた瞬間だった。

 だがしかし、メルルには許婚がいる。王により直接賜わった婚姻だ。そうやすやすと切れるものではない。メルルは王国に所属する騎士団大将の娘だ。従が主の命を否定することは、できないのだ。

 

 だからメルルは必死に男へと願った。

 男の事は好きだ。瞳が赤のほうも、金の方もどちら共に大好きになってしまっている。

 もし婚約がなければ、男勝りで直情的な感情だけで戦場にやってきてしまう自分を好いてくれるというならば、こちらの方から嫁に貰ってほしいと願いたいくらいだと。

 だがメルルには婚約者がいる。その人物との婚約を解消してから、改めて挨拶に伺いたい。

 メルクト家のメルルではなくなっているだろうが、それでも、ただのメルルとして貰ってくれるかと尋ねた。


 ぽかんとする男に目の色がばれてないとでもおもったのか馬鹿め、とおもったのは秘密である。良く似た影なのか、それとも同じ一族の出なのか。

 だが男はメルルにわかった、と答えた。どういう仕組みなのかはわからないが、男は男であり瞳の色に関してはまた後日に説明すると言われたのをメルルは信じる。

 それからというもの男はメルルの体を弄りはじめた。せっかく両思いになれたのだ。告白時にさんざん煽ってくれた落とし前をとってもらおうかとにこやかに宣言して。

 メルルの懇願により乙女は守られたが、男の手によってかなり体を作り変えられたと断言できる。


 生と死の狭間に身を置けばおくほど、命が放つぬくもりに飢える、というのをひしひしと肌でメルルは感じるようになっていた。 父や兄、そして弟のように後方に退いて心身を休める選択を拒否したのだ。

 戦場に留まることを望んだメルルは、男がくれるそれのおかげでどちらかといえば健全寄りの精神を保てたともいえるだろう。


 何度も繰り返され覚えさせられた感覚はいとも容易くメルルに馴染んでいった。男がメルルに与える液体すべてが甘かったというのもある。その甘さは空から落ちてきたきれいなものに匹敵する美味しさであったのだ。麻薬かと一時は疑ったものの、特殊な薬草を煎じて作る薬物検査液にはまったく反応しなかった。

 男は調べた結果を聞き、当たり前だと一笑にふした。

 どんなに堅固な警備を敷いてもらったとしても忍んでくる男が言うには、メルルはどう足掻いてもすでに男のものだという。相性もかなり良く、時代が時代なら貢物として捧げられる質であると男は鼻を鳴らす。だからどんなに障害がふたりの間を隔てても問題にすらならないのだとにこやかに笑むばかりで胸をもみながら抱きしめることをやめてはもらえなかった。形ばかりであるが婚約者がいると伝えても梨のつぶてである。


 困ったなぁと眉間に皺を作りつつも、一年と数ヶ月前に交わした会話を思い出し、陛下になんとか納得してもらおうとメルルは考え始めていた。だがこれから行なわれる決戦が終わらねば未来はない。

 強くあろうとおもうが、なかなかそうならぬのが人間である。メルルが男との未来を考えるように、この丘陵にある多くが明日を手にするために、明日も生きていたいからこそ怖さも恐ろしさも奥歯を噛んで飲み込んでいる。本当ならば誰もが恐怖を叫びたいのだ。ここは死を量産する戦場である。死ぬかもしれない明日に心を竦めていた。


 両軍が最後の衝突をする準備を行なう最中にて。

 メルルはただ静かに涙を零した。本来であれば許されざる行為だ。自軍の勝利を目指し剣を振るわねば成らない。


 だがメルルは男の胸に額を押し付け、吐露した。どちらか一方が絶滅するまで戦うなど、もううんざりだと。どう足掻いても憎しみと恨みが残る戦いなど無くなってしまえと。

 将が死に、兵が死に、己が死んで、国と境を家族や恋人を守るために集まった多くが死人となり故郷である王都かはたまた敵国の首都か。どちらでも良いが剣戟を打ち鳴らす死をもたらす集団がなだれ込んだとして。多くの血が流れる。怨嗟が渦を巻く。生き残ったものたちが不必要な闇を抱く。その闇はその次の世代へと伝わる。そしてまた時を経て戦いが始まる。


 もういい。人など滅んでしまえばいい。けれど、滅んだら、大切な人を守るために、苦渋の選択をしてやってきた騎士や兵たちが背負う、戦いを遠い場所の出来事として知ろうとせぬ愚かしくも、ぬるま湯の日常が何事もなく続くと信じ享受する者たちの、ささやかな幸せまでもが奪われてしまう。

 それも嫌だ。

 あれもこれも嫌だとおもう、自分が嫌だと。

 

 いったいなにがこの戦のきっかけだったのだろうか。

 長く続いた小競り合いは、いつも相手からだったという。だが相手が攻めてくるということは、こちら側が豊かであるからだ。治めている王の考えもあるだろう。だがその実は満たされるために奪っても良いという考えを持つ人々の思考であるとメルルは思った。

 メルルの国は豊かだ。毎年氾濫する河川の被害を別とすれば、肥沃な大地が広がっている。飢えることはない。寒さに震えるほど気候が厳しいわけでもない。海もあり、塩の心配をする必要もない。

 不足の無い国だ。欲しいとてを伸ばしたいのもわかる。


 だが無理矢理に、強制的に力でもって奪いに来るのは違う。だが奪わねば満たされないとおもっているらしい相手を説得など出来はしなかった。あまりにも互いの主張が、かけ離れていたからだ。

 そうして戦いになった。戦いは飢えて欲した国がなくなるまで終わることは無い。

 戦は勝っても負けても遺恨を残す。どちらともに死者が生まれるからだ。奪われたものは勝っても負けても恨みつらみを残す。


 手をつないで仲良しこよしは無理だろう。だが関わりを断つことは可能であるはずだ。斥候くらいは来るだろうが、満身創痍で疲れきった兵たちばかりでなくなれば、しっかり防衛できるだろう。攻撃と防衛とでは、どうしても防衛側に負担がかかるのだ。

 大切な人を守りたい。明日を、明日が必ず来るのだと信じている多くの民を守りたい。そのために出来ることはすべてするのだと。そしてもし許してもらえるのであれば、あちらの国に施したいのだと。


 男が甘い考えだと、お前は平和ボケし狂った馬鹿なのだと一笑した。

 それでも和平のその先を捨てられないとメルルは泣き笑った。


 くちゅりと、舌が絡み合う大人の口付けがなされた。心地よさを甘受する。教えられたがままに男の舌に翻弄され続けるのではなく、そっと男の口内へと自らのそれを指しいれ絡めあった。賭けの倍率は、メルルの国がマイナスを負っている。兵の数からしてかなり劣勢であった。あちらの民は未来の食い扶持を得るために必死だ。だがこちらの国は豊かでありすぎたためか、戦いは騎士の仕事であり自分たちにとっては他人事となってしまっている。そのためか兵の集まりが中央に近づくにつれ少なかった。


 ないものねだりしても仕方が無い。居る者たちだけでなんとかするしかない。

 ならばこの戦いにてなにをお前は賭けるのだと男が言った。


 「この命を」


 メルルは戸惑うことなくはっきりと口にする。いつもそうだ。戦いに出るときは隊に入る兵達の命を預かり使う。ならばその兵達が背負う大切なもののために命を張るのはなんらおかしくは無い。

 

 男は嗤う。その誓いを忘れるなと言い。あっという間に停戦が成った。

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