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望みのゆくえ  作者: 環 円
膨らみきらぬ物語り
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1

婚約破棄ものです。


婚約の理由は謎のまま、王国騎士将軍の娘 メルル・マルクトは幼少の頃王より勅命を受けた。それから幾数年、メルルは許婚である皇太子率いるものたちにより、婚約破棄の弾劾を受けることとなる。


(私学園に、一年間居なかったんだけどなぁ。殿下たちが取り囲んでいる可愛くて可憐な令嬢と会うの、初めてなんだけどなぁ)


悲嘆さなんて(たぶん)まったくない婚約破棄のゆくえは?

「逃げずに来たのは褒めてやろう」


 ふふん、と鼻を高くし、見下げてくる存在にメルル・マルクトは目を瞬かせた。眼前に立つ人物から続いて放たれた言葉にはて、と首をかしげる。はっきり言って心当たりはない。冤罪である。なにをどう情報収集してその結論に達したのか。まったくわからない。今からでもいいからメルルにもその情報を精査させてもらえないだろうか、と考え首を振った。


 随伴してくれていた弟が挨拶に出払った瞬間に話しかけてくるのは狙ってやったのだろう。ずいぶんと用意周到なことだ。根回しもある程度すすんでいるのか、メルルの周囲に居た人物たちが、さっと距離を開けた。


 簡単にその主張をまとめると、こうである。

 メルルがとある人物を陥れるためにさまざまな悪意を込めた行為を続けた。それに対しとある人物は、本来であれば覆すことが難しい婚姻の約束を交わしたふたりの間に割り入ってしまったのだから致し方がないのだと。相手の令嬢の気がすむまで受けようとしたという。だがしかし、先日おきてはならないことが起こった。


 今まさに、彼らが積み重ねただろう成果の集大成を喜々として大発表されていた。それに対しやんわりともう一度それ、本当かどうか調べさせてと申しても却下されるに違いない。


 久し振りに、1年以上振りにお会いした殿下に対しメルルはじ、とその瞳を見る。とち狂っているわけではなさそうだった。

 しかしこの国、代替わりの後は大丈夫かといささか心配になっていた。果物と同じである。中央が腐れば皮の手前まで茶色く変化するのはあっという間だ。そのためにこの国は議会を、絶対的な権力を持つ王が暴走せぬように設けられていた。また議会も王と同様である。汚職に沈んだ議員はあっという間に丸裸にされ居留地に流される。

 メルルは少々、額を押さえた。いったいこの一年でなにがあったのか。自分の行いはとりあえず棚にあげておく事にして、感じためまいに額を押さえる。聡明な王と温和でどしりとした心持ちをした王妃からは何も言われていないのだろうか。とめてくれる学友が居ただろうに、彼らはどうしたのだ。若気の至りだと笑うには度が過ぎていると考えられた。


 それに婚約破棄がしたければ互いに応じる約束があるというのに、なぜこんなあからさまに悪手を披露するのか意味がわからない。メルルは思考のため足元の磨かれた鏡のような床から視線を上げる。

 殿下とメルルは幼馴染でも同年代だからと近習に添えられたのでもない。ただの貴族に生まれた女児である。

 だがメルルの父はこの国にある4つの騎士団を統括する元帥の直属の将軍であった。殿下が幼い頃はまだ騎士団団長であっただろうか。結婚に相応しい身分としては中の上といったあたりである。


 出会いはなんのことはない。父に連れられての登城であった。

 過去のある日、責任ある役職に就く父が休みをもぎ取れなくてなくなくひとりで王都に残ることになったマルクト家当主であるが、思いも寄らぬ伏兵がこのとき潜んでいた。

 彼の妻は当時、第三子出産間近であり実家に戻って産む予定であったのである。

 ゆえに屋敷には最低限の執事と侍従を残し、平素は勤勉に働く者たちへの労いもかねて休暇をとらせていた。

 

 さて、伏兵とはなんだったのか。

 さらりと述べるならば、メルルである。母と兄が乗り込んだ馬車に続く次に彼女は乗り込んでいた。寂しくないようにとお気に入りの兎のぬいぐるみをしかと抱いて座席に座っているはずだった。その姿を随行する侍女たちも見、二度も確認してドアには鍵が確かに掛けられていたのになぜ令嬢が外に出てしまっていたのか。出発時には確かに世話役の侍女もその真向かいに座ったというのに。

 いったいなにが要因だったのか。過去に戻れたとしてもきっとその場に居た誰もはっきりとはしないだろう。

 実際にはぽつんと、メルルは屋敷に取り残される事態となったのである。


 当時、居残った彼女に聞き取りをした侍従に目を輝かせて言った言葉に、「空にとっても綺麗なものが走ってたの。絵本の中にある竜みたいだったのね。もしそうならとても素敵よね。きらきらしてすごかったぁ。それでね、ひらひらってなにかが降ってきたの。う。約束破ってごめんなさい。木に登ってりんごとったわけじゃないけど、お口の中に入っちゃって。吐き出そうとおもったんだけど、それがあまりにも良いにおいちょっとだけいいかなぁって舐めてたらとけちゃった。そのあとに凄く眠くなっちゃって。うう、またおかあさまに怒られるかな、怒られるよね」と残っている。


 だが家に仕えるものたちからしてみれば、さっぱりまったくわからなかった。

 メルルというお嬢様は他家とは比べられない野生児である。あちらこちらに興味を示し、いつもどこかを走り回っている。だがその所作はさすが良家のお嬢様であった。やかましくするわけでもなく、粗野に大またで歩くわけでもない。ただその行動が予想できない、それだけである。

 りんごの実事件も使用人たちからしてみれば目くじらを立てるほどではない。庭に植わった小さなりんごの木があるのだが、どこからか紛れ込んできた猫がなぜか枝の上で固まっていたのである。それをメルルが助けただけだ。その際にいくつかの実を落としてしまったのである。猫はとある貴族が愛玩している飼い猫であった。言い訳としてメルルが泥をかぶった形だ。猫は隠されて飼われていたため、その存在が明るみになると都合が悪かったのである。だからメルルがりんごが欲しくてのぼり、落とした、となったのだ。

 


 馬車が出発してからすでに半日以上、馬を走らせるにも乗れる者はひとりしかおらず家令が悩んだ末に出した結論は、当主へと今後をうかがう文であった。無論のこと当主は文字の如く飛んで帰ってくる。そして妻の身を案じた当主は戻らずそのまま向かうように、そして折りを見て娘をそちらに連れてゆくと講じた。

 

 皇太子殿下とメルルが出会ったのはそのときである。

 皇太子はちょこまかと動きまわるメルルが気に入ったのか、頻繁に騎士団棟に足を運ぶようになった。

 メルルも兄から皇太子の話を聞いていたのもあり、兄と同じように慕った。


 ふたりの関係は幼馴染や兄弟というには遠く、近習たちのように未来の主従とまではいかない、中途半端なものであった。

 遠方に住み、数年に一度会う存在とするのが最もしっくりと来る間柄といえた。


 そのふたりがなぜ婚約者となったのか。それは王しか知らない。

 メルルが父について登城するにあたり、陛下へ拝謁した際に申し出られたのである。

 臣としてメルルの父は王に苦言すら発することが出来なかったという。メルル3歳、皇太子5歳の契りであった。


 それからの関係がどうなったかといえば、進みもせず後退もせずである。

 挨拶はする。だが年齢が上がるにつれ近習たちがその周囲をとりまき、メルルが何かを話しかけようとすれば、そのものたちが自分達を通してからにしてもらおうかと言われるようになった。

 メルルは素直にその言に従う。王が決めた婚約とはいえ互いにまだ子供であり、自分達の関係はそういうものなのだと納得してしまったからだ。


 婚約者となってからは王妃に誘われ幾度となく城に招待されるようになった。王妃教育が始まったのである。

 学びの席で教師となった者たちから、殿下の様子を聞けていたためまったくなにも知らない状態にならなかったのもメルルの情緒を育てる機会を奪った原因ではあった。

 メルルにとって殿下は、共に国を支える友人として構築されていったのだ。


 とはいえ世間には、王城であったとしても恋の話は至る場所に転がっている。それはもちろん屋敷と王城を行き来するだけのメルルの耳にもはいってきていた。

 身分さのある男女の恋物語。また隣国の騎士と皇女の幸せを描く噂話。乙女や淑女はこれらの話に敏感だった。

 恋をした事のないうら若きつぼみたちは物語に出てくるヒロインに自身を重ね合わせ、このような体験をしてみたいと心を震わし、華を咲かせた淑女達はそんなつぼみたちに過去の自分達を重ね合わせ、可愛い可愛いと妖艶に笑む。そしてもしかしたら得ていたかもしれないとおもわれる未来を物語や噂の中に心を躍らせ夢をみた。


 メルルはつぼみや華たちを一歩離れた場所で、いつもみていた。

 あの中へは入ることが出来なかったからだ。

 彼女たちはメルルを仲間として迎え入れてはくれない。人は自分にないものを羨ましくおもう生き物だ。隠すことはできるし、取り繕うこともするだろう。だが物語と同じ、ありえない婚姻を結ぶ存在を横に嫌味や妬みをまったく漏らさないでいられるなどありはしないのだ。


 メルルは天上から落ちてくる、いつどこに落ちてくるやも予想できない幸運を手にした唯一なのだ。

 誰だって特別になりたいし、ちやほやと扱われるのが嫌だとおもうものは少ない。

 それをメルル自身も、誰に言われるまでもなく理解してしまっていた。


 王妃に招かれた茶会にてで一度だけ、どうして自分が選ばれたのかわからないと率直に尋ねてみたことがあった。だが王妃もまたなぜなのかと首をかしげたのである。

 この国唯一の妃は王が定める、となっている。身分など関係なく、過去幾度となく異国から国母となった女性もいたと残されている。

 現王妃も生まれ的に一応貴族の枠内カテゴリにははいっているものの、ほとんど平民と変わらぬ暮らしをしていたと話す。しかも出身地は海辺の小さな町である。王妃の父はその町だけを領地に持つ最弱と言って良いほどの貴族であった。


 王妃は、きっと商家の次男とか三男とか、そういう方と婚姻を結ぶのだとおもっていたのです、と言った。だがどんな運命のいたずらか、王がその町を視察に訪れた際、一目ぼれして王妃にと請われたのだとも。


 結婚した年齢が高かったため、子はひとりでよいと言われたそうだが、王妃は出来るならばもう一人欲しかったと静かに笑む。

 けれど不思議ね、と言葉を続けた王妃は、どうして王家にはこんなにも子宝が恵まれないのかしら。

 なにかの謎かけのように、メルルへと笑いかけた。


 時はゆっくりと、だが確実に流れてゆく。


 殿下とメルルの関係が変わってきたのは皇太子が学園に入り遅い反抗期を迎えた頃であっただろうか。

 反抗はされる方としてはかなり苦虫を噛み潰すほどに苛立ちを覚えるものだが、自我を確立し、一人で立つための心を養うための、誰しもが必ず通る通過点である。

 王族として言われるがまま、施されるままに従ってきた皇太子が初めて両親に噛み付いたという話は聞き及んでいた。

 呼び出されたメルルはにこやかに対峙する。


 藪から棒にお前はこのままでいいのかと問われた。なんのことかと尋ねれば、許婚の件であった。親が決めた婚約にもやもやとした感情を抱いているとメルルは聞き出すことに成功したのだ。


 この時、殿下は17歳、メルルは15になったばかりだった。

 「殿下はどなたかお好きに、心を寄せられる令嬢がお出来になられましたか」

 「いや、まだだ。恋とは話に聞くところによるとひと目で落ちるそうだが……」


 じ、とメルルを見る目には10年に渡り、婚約者として、自分に近しい者としての信用はあれど、世間に出回っている多くの恋愛話のような恋焦がれたような眼差しは向けられてはいない。好きでもないが嫌いでもなく。そばにあっても別段、気にもならない。言うなれば空気、もっとわかりやすく言えば目にも留まらぬ調度品といったところか。

 とはいえメルルもそうだ。殿下といまからすぐにでもしとねにはいれと言われても、首を縦に振れないだろう。


 「ならばこう致しませんか」


 この婚約は王が定めたものである。おいそれとは解く事ができない物事だった。

 一般的な、といっても貴族間での話しだが、婚約した者同士であれば解くことが可能な代物になっている。難しいのは家同士が結んだ場合だ。なぜなら婚姻そのものが金銭のやり取りのために結ばれるのも少なくないし、ふたつの領地を一体化して潤滑な運営を行なうため行き来が頻繁となる。婚約を結んだ家の片方が恋をしただの愛する人が出来たのだと足掻いたとしても、そもそもからしてそれをなかったことにする、などなかなか難しい現実が横たわっているのだ。


 ならばメルルと皇太子殿下の場合はどうであるのか。それがよくわからないのである。

 この婚約は王の恣意により決定され、その決定された理由を王自身が公表されないためであった。

 メルルの父は王の剣のひとりである。持つ領地も小さく、王家の直轄地ともかなり遠く、やり取りは皆無だ。

 

 「殿下。もし殿下に慕う方が出来たならすぐにおっしゃってください。王にお伝えいたしましょう」

 「お前は、それでいいのか」

 「はい、かまいません。私は私のすべきことを、ただ行なうだけです」


 メルルはそのとき、確かに頷いた。

 もし。もしも。仮定を思考し、ゆっくりと首を振る。たおやかに笑めば、皇太子も頬を緩ませ口元に笑みを乗せた。

 互いに好きになった人が出来たなら、改めて王に直訴すればいい。そう約束し納まったはずだ。

 嫌がらせをわざとするわけがない。そもそも殿下には恋や愛などの情は抱いてはいなかった。

 ではなにであったのか。それは明確にはわからない。ただ好意はある。が添い遂げたいとおもう情ではないことだけは確かだ。


 彼は皇太子である。生まれたときから死ぬまで国の民が汗水働いて得た金銭の中から国へ徴収される税によって生かされている存在だ。そして貴族も同様である。なので有事の際はその体を張るものだと。多少の不平不満は飲み込むものだと祖父母から寝物語として聞いていたメルルは、この婚姻が愛がなくとも互いを思いやれる少しばかりの情があればいいと考えていた。


 他の国では外交の責をもつ王妃も居るが、この国の王妃が求められている役割は第一に子を成すことである。この国の王族は他国と比べるとかなり数が少なかった。男女共に生殖に関し問題が皆無であっても、どう足掻いてもひとり産めば大儀であったと喜ばれふたり産めばおぬしはこの国の繁栄を支えたも当然だと賞賛されるほどである。ならば側妃をあてがえばどうだと過去に試されたが、子を身ごもった側室はひとりも居なかったという。


 なので健康な優良児を妃に迎えるのはこの国の慣わしといえた。その点でのみ評価するならば、メルルは花丸をもらえるだろう。

 学園の成績も良く、代々軍部で実力を示す家系の末だ。少々行動範囲が突飛であることを除けば、王家に入るに相応しい令嬢だったのである。

 だがその実は王の血筋に代々受け継がれたとある判断基準があるのだと、この因習は代々、王になった者のみに伝えられ受け継がれていた。側近のほとんどはこれを知らない。

 

 メルルは熱でもあるのだろうかと殿下の額に手を伸ばしかけ、やめた。なにか精神でも惑わす毒でも口にしたのだろうか。いやいや、それはないだろう。なにせ目の前におわす彼こそは年頃になれば通う学園の、特別室に居を持つお人なのだ。しかも王城と同じく厳重な警備が敷かれており、上流貴族でも申請無しでは入ることが出来ない場所に暮らしているのである。


 そんな場所だ。仮に毒が仕込まれたとしても、ご本人に至るのはかなり低確率であろうと考えられた。

 しかし、しかしである。

 これはなかろうと涙が出てきそうになる。悲しいのではない。あまりにも哀れすぎてだ。

 メルルの耳には聞きなれない言葉の羅列が流れ込んでくる。だが今で無くても良かったのではないかという思いがさらに強くなるばかりだ。集い徒党を組んだ彼らからしてみればメルルの罪状と醜聞を広めるまたとない機会であるのだろうが、今夜はただの夜会ではない。長いあいだ血を流し合った国と国の関係を修復する調印が行なわれたあとの、宴の席である。


 茶番だ。だがあえてこの場を選んだ、主張しているということは、彼らにとっては勝算あっての行動だろう。負け戦を吹っかける猛者はいないなずだ。

 周囲が一瞬にしてざわつきを散らした。沈黙のまま成り行きを見守る様子をひしと肌に感じれば、言葉を発するのもはばかられる。

 感情的になってはならない。メルルは背筋を正しただ聞き役に徹することにした。

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