非現実から非現実へ
「おまたせ。店のあと片付けをしていたのでね」
三分くらいしてから、『みーさん』が下りて来た。格好はさっきと同じ蝶ネクタイのままだ。
「言われた通りついてこの子について来たけど、何の用です?」
みーさんに尋ねる。
「それは、これから案内しよう」
そう言って岩をじっと見つめる……オイオイ……まさか岩が開くんじゃねぇよな。開けゴマってか?
冗談半分に様子を見ていた俺は自分の目を疑った。
岩がうっすらとぼやけてきて、向こう側に違う風景が合成写真のように重なって見えてくる。
そこはどこか山の中で、細い道が足元から伸びていた。
なんだコレ!
じょ、冗談じゃねえぞ!
驚きをよそに、みるみる風景の方が現実みを増してくる。
「行きましょう。仁狼さん」
女の子は平気な顔で中に進むが、俺はさっき階段を下りる時とは比べものにならないほど戸惑っていた。
これ、ほ、本物か?
「どうぞお入り下さい。大丈夫、ご安心を」
みーさんが階段の時と同じセリフを繰り返す。
「あぁ……そうだな」
とにかく、このままここに突っ立っていても、どうにもならねぇ。
おそるおそる、風景の中に一歩足を踏み入れてみると、空間をスッパリと切り取ったように景色が変わっている。
試しに切り取られた景色の境目を触ってみると、確かな岩の感触があった。
なん歩か歩いたところで振り返ると、そこにはラオムの地下で見た岩が反対側を向いてドカッと立ちはだかっている。
もう向こう側にあった地下室は見えねぇ。それに足元の細い道は岩から始まってやがる。とすると、ここはさっきのわけの分かんねぇ方法でなん度も人の出入りがあるってことか。
ともかく、俺はもう逃げられねぇってことだな。
ここがどこかも分からねぇし、木々のあい間にかすかに見える風景から、この場所がかなりの山奥なのが想像できる。
小鳥のさえずりや、木漏れ陽まで違って感じられる。
エルティと出会った時も初めのうちはわけの分かんねぇことばかりだったな。こんなことには、もうすっかり慣れたと思ってたぜ。
……それにしても、空気がうまい。昼間だと言うのに夜明けごろの山でしか吸えない独特の空気の味がする。
受験勉強のあい間……徹夜した朝に近くの山に登って朝日を見に行くと、眠っていた木々が朝日を浴びて今まさに呼吸を始めた時の、ちょうどこんな空気が吸える。
時々順崇も誘って登るが、ほんとにケモノ道を使うので鈴乃は誘わない。一度だけタヌキに出会ったことがあったな。
いつの間にか俺は、この風景……場所をすっかり気に入っていることに気がついた。
オイオイ!
店の地下室から岩の中を通って来るなんて、常識の“じ”の字もねぇとんでもねぇ場所だぜ。
思わず自分にツッこんで苦笑してしまう。
50メートルくらい歩いたところで、周囲を断崖絶壁に囲まれた山に突き当たり、道はそこで途切れている。
またさっきの岩の通り抜けをやるのかと思って様子を見ていたが、女の子が岩の一つに触れると、なんなく動いて向こう側にトンネルがつながっていた。
うまくできているもんだ。
外からじゃぜんぜん分からねぇぜ。
トンネルを抜けると、そこはものすごく明るい光に溢れていた。不思議なことに、これほどの光なのにちっとも眩しくない。
だがそこで見た光景に、俺は言葉を失った。
火山の火口のように周囲を絶壁で囲まれた岩肌の頭上には、まっ青に晴れ渡った空がぽっかりと顔をのぞかせている。
そしてこんな場所なのに、目の前には数千人、あるいはもっとたくさんの人間がいた。
しかも、どんな意味があるのか分からねぇが、一人に一つずつ石でできた円筒形の台座(?)に座って俺の方を向いて微笑みかけてやがる。
台座は中心を幾重にも取り囲む同心円状になっていて、内側に行くほど少しずつ高く、大きくなっていて、ちょうど火口の中にもう一つ山があるかのようにも見える。
なんなんだ? この場所は?
コンサート会場……とかじゃ、ねぇよな。
なんかの宗教の集まりでもなさそうだが、俺の知っている常識からは遠く離れた非現実の世界に見えることに変わりねぇ。
そしておそらくそこが中心であろう、最も高い台座がさっきの光の発生源だった。
「仁狼さん、中心に向かって進めるところまで進んで下さい」
「え? おう」
わけが分からないまま女の子にうながされ、黙って座るやつらと台座が並ぶ中へ足を踏み入れる。
なんだ、こいつら?
誰一人、言葉を発していない。これだけの人数がいるのに、咳払い一つ聞こえねぇ。まるで順崇が集団でいるみたいだ。
しばらく歩いて行くと頭の奥の、ずっと奥の方から、ざわざわと声が聞こえて来るような感覚がしてきた。
……歓……迎。
……よく……来て。
周りにいるやつらを見渡しても、口を開けているやつは誰もいない。
中には会釈までしてくれるやつもいるが、ほとんどのやつが、ただ俺を見て微笑みかけているだけだ。
しかし声は中心に近づけば近づくほど、大きく、はっきりと聞こえて来る。
……君が来てくれるのを、ずっと待っていた。
……本当に義鳳さんに似てるなぁ。
時々、親父と俺を比べるような声も聞こえ、しかも誰もが、『みちひろ』と本名を呼んでいる。
親父とこいつらは一体どんな関係だったんだろう。